ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

厚南会館の文化祭

2018年11月11日 | 俳句

 今日の何と気持ちのよかったこと!洗濯物がカラッと乾く日和でした。

 主人は我が地区の文化祭の陶芸体験教室のお世話で、朝早くから出かけましたので、私と息子が午前中はのんびりと…。でもそれなりに何やかやとあってアッという間に昼過ぎになってしまいました。

 お昼は主人が文化祭のおでんと炊き込みご飯を届けてくれましたので、それを食べて…その後私は厚南の文化祭へ。行く途中にもいくつか地域の文化祭と思しき人だかりがあって、本当に今日は文化祭日和でした。少し早めに着いたので、〝ポン菓子〟と〝たこ焼〟を懐かしくなって買いました。

 そういえば息子が小さい時、この〝たこ焼〟が大好きで、「大きくなったら日本一のたこ焼屋さんになる~」と言っていたっけ。遠~い遠い昔の話です。

 これが厚南の文化祭の今年の作品。色紙は〈矛杉に月をかゝげて祭果つ〉、短冊は〈冬うらら鯨のやうな雲生れ〉です。

 前句は「祭」が季語で夏です。この句を見て、「月」も季語ですがいいんですか?と質問がありましたが、この場合はいいんですよ。月は年中ありますから、他にメインになる季語があればいいんですと説明すると納得されていました。まあ、初心のときは季語の勉強をするために季重ねは避けなさいと指導しますので、きっと疑問に思われたのでしょうね。

 〈矛杉〉というのは、矛のように真っ直ぐに生い立った杉のことで、『万葉集』にも使われていることばです。先程までとても賑やかだった夏祭が終り、やっと平生の閑けさが戻ってきた神社の境内、そこにある大きな矛杉には月がかかり皓々と照らしている…そんな動から静への場面を想像して下さるとありがたいです。

 後句は、〈鯨のやうな〉がミソです。冬なので気温は低いんですが、昼間のポカポカとした陽気、これに誘われるように雲もプカリプカリと…見るとそれはやがて鯨のような形になって…ちょっとホッとするようなそんな気分になりません?手前味噌でしょうかね~。

 来週もまた違うところで文化祭ですので、色紙、短冊を書かねばなりません。これも結構大変なんですよ。では、また…。

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山茶花

2018年11月10日 | 俳句

 ああ、忙しかった!今やっと家に帰ってホッとしています。(夜の10時前で~す)

 今日は朝からバタバタして、厚南会館の文化祭に出す色紙と短冊を持って…どうにか間に合いました。ここは二年目ですので、去年と同じように飾り付けて12時に終了。それから帰宅して、午後と夜間の俳句教室の準備をして13時過ぎまた出かけました。

 午後の部の兼題は「鶏頭」で秋の季語、夜の部は「時雨」で冬の季語でした。

 「鶏頭」の句にはあの有名な正岡子規の句がありますね。

  鶏頭の十四五本もありぬべし

 この句については以前にも書いたことがありますので省きますが、熱帯アジア原産とされ、日本へは中国を経て古く渡来し、韓藍(からあい)という古名で『万葉集』にも詠まれているのがこの鶏頭花のようだと…。鶏の鶏冠を思わせることからこの名がついたものです。

 「時雨」は、冬の初め、晴れていても急に降り出す通り雨のこと。

  小夜時雨上野を虚子の来つつあらん   正岡子規

 この句は、子規が虚子の来るのを、〝今どの辺りだろう。きっと上野あたりだろうか…〟と思いながら今か今かと待っている情景でしょう。それほど子規と虚子は信頼し合っていたのでしょうが…。下五の字余りがその子規のイライラしている気持ちと重なって…。この時子規はかなり病状が悪化して臥すことが多く、その不安や焦りが夜になると余計に募り…ましてや時雨も降り出して。こんな句を詠む子規はきっと寂しがり屋だったのでは。親身になって看病してくれる母や妹がいても、こと俳句のことになると、やはり虚子や碧梧桐でないと…という思いだったのでしょうね。

 明日は文化祭を覗いた後、展示を撤収しに行きます。句会の話はまた次にでも。

 写真は、我家の〝山茶花〟。一重のこの色が大好きなんです。忙しくて気がつきませんでしたが、いつの間にか咲いていました。 

 

 

 

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偏頭痛に悩まされています!

2018年11月09日 | 俳句

 今日は久し振りにリハビリに行きました。行かなくっちゃとはいつも思っているのですが、先月末はもう全く余裕なし…今月も、普通月初めは少し暇なんですが、〝山口ゆめ花博〟へ行ったり、母の三回忌で大分へ行ったりと忙しかったので。

 でも、それ以上に気になることがあったんですよ。例の〝あしかび会〟で尾道に行く4,5日前から頭が痛くて、風邪でもなさそうだし…と、気になりながらも鎮痛剤を毎日飲んでやりすごしていました。ところが、以前と違って薬を飲んでも余り効かず、またすぐ痛くなっていたんです。これは何なんだろう…運動も殆どしないし、食事も不規則になっているし、夜も遅くまですることがあってゆっくり休めない。これはもしかしたらヤバイ!何か脳の病気の予兆では…とどこかで不安になりながらもそのまま薬を飲んでいました。

 先日それをやっと暇を見つけて、いつも通っている脳血管心臓病クリニックの脳の方の先生に診てもらいました。私の話を聞いて、それではMRIをとりましょうと。

 ちょっと冷や冷やしましたが、年齢的なもの以外の異常は見られない年相応の脳で、今のところは心配ないでしょうと、映像を見ながら説明を聞きました。じゃあこの頭痛は…と聞くと、きっと首や肩の凝りからきているものでしょうから、温めたり、マッサージをしたりするか、薬を飲むしか方法はないんだそうで、結局薬をもらって帰りました。するとその薬はとてもよく効いて、やっと頭の痛いのが解決しました。しかし、また根を詰めたりするとすぐなるそうです。ということは…のんびり過ごすしかないということですよね。でも私にはそれが一番難しい!

 明日も地域の文化祭があるので、短冊色紙を描いて持っていかなくてはいけないし、午後からは俳句教室。夜の部もありますので、一番大変な日なんです。とにかく11月も全く暇な日はなさそう…また頭痛が起こらないかと心配ですが、今から明日の資料と俳句も作らなくってはいけませんので、ブログはこれでオシマイにします。

 写真は、〝水木の実〟で、晩秋の季語です。尾道の志賀直哉旧居にありました。宇部の街路樹にも水木がありますが、それは葉がみな落ちてまるで花のように実だけが赤く付いていましたのに、ここのはまだ葉がこんなに…。ということは尾道というところは余り寒くないと言うことでしょうか。

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鮟鱇鍋

2018年11月08日 | 俳句

 今夜の宇部の最低気温は16度と…。昨日は夜起きているのが寒くって、見ると10度でしたから、こんなに違うんですね~。

 寒くなるとやっぱり鍋物が一番。それで今日は〝あんこう鍋〟にしました。そのために部屋が温もって、余計暖かく感じたのかも知れませんが…。〝あんこう鍋〟も冬の季語です。

  鮟鱇もわが身の業も煮ゆるかな   久保田万太郎

 鮟鱇は深海魚で、肉・皮・臓物の全てを食し、特にとも・ぬの・肝・水袋・えら・柳肉・皮を鮟鱇の七つ道具といって賞味されます。見た目はグロテスクでも、鍋に入れて食べると淡泊で癖のない上品な味が誰にでも好まれます。〈わが身の業〉とは、万太郎の生き様を多少でも知っていれば納得できるでしょうが、〈鮟鱇も〉と一緒に並べられると、ちょっと鮟鱇がカワイソウです。だって前世の報いを受けねばならないような悪いことなどしていないでしょうからねえ~。この句が万太郎の亡くなる数ヶ月前に詠まれたものと分かれば、なおさら自分の業の深さをぐつぐつ煮えている鮟鱇に重ねて、慚愧の思いを募らせているのかもしれません。

 今日は俳画教室でした。画題は、年賀状などに書く〝干支〟で、来年の〝猪〟、賛は、俳句ではなく、年賀の挨拶〝迎春〟でした。これはまた、年賀状に使いますのでここには載せません。悪しからず。

 その代わり、あの〝山口ゆめ花博〟で初めて見ました「ブラックペチュニア」をどうぞ。花の谷ゾーンはいろいろな花の色や種類で分かれていて、真っ赤な雁来紅を基調にしたところやラベンダーの紫を基調にしたところなどと…いろいろと雰囲気が違っていました。その中に黒を基調にしたところがあって、そこで見たんです。何だか魔法使いでも出て来そうな…そんな秘密めいた花園という感じでしたね。実の生っているのは、「ブラックパール」といって、観賞用の唐辛子です。赤いのは雁来紅。

 

  

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尾道吟行(番外編)

2018年11月07日 | 俳句

 今日は立冬です。二十四節気の一つで、暦の上ではこの日から冬に入ります。

  今朝冬の日当りそめし手水鉢    富安風生

 やはり冬になれば一番有り難いのは何といってもお日様ですね。朝夕はぐっと冷え込むようになり、いよいよ今日から本格的な冬に突入するのだと自覚した作者。そんな日の朝、やっと手水鉢に日が当たり始めたのを見てホッとする…読者も救われた気になりますね。

 でも今日はそんなに寒くもなくて、午後からの体操は気持ちよく出来ました。

 ああ、そうそう〝尾道吟行〟の番外編の写真が残っていますので、今日はそれを書きましょう。

 10月28日、尾道駅で解散したのが14時過ぎ。その後私たち宇部組の6人は、せっかく尾道まで来たんだから、もう少し見て帰ろうと言うことで、まず尾道の寺巡りならここだけは是非にといわれる「浄土寺」へ向かいました。

 タクシーを降りると、目に飛び込んできたのが、朱色の堂々とした重要文化財の山門です。山門の脇には、尾道石工の素晴らしい石碑があります。碑文は、江戸時代の漢詩人頼山陽作で狛犬が石碑に巻きつくように彫られていて、しかも一石彫というすごく面白い石碑です。
 この見応えのある浄土寺は、616年聖徳太子開基と伝わる古刹で、小津安二郎監督の名作『東京物語』の舞台になった風光明媚な美しいお寺です。映画の舞台としてだけではなく、歴史も古く、多くの寺宝を持つ浄土寺は、尾道水道を眼下に威厳ある姿で佇んでいます。中でも見逃せないのは、日本三大名塔ともいわれる国宝の「多宝塔」。元徳元(1329)年鎌倉時代末期建立で、三間多宝塔、本瓦葺。見どころは、大きなわりにバランスよく美しい塔の姿、軒の垂木や蟇股の装飾の素晴らしさです。蟇股には、牡丹・唐草に蝶の透かし彫りが施されています。さらに本堂も国宝になっています。

 次はここからブラブラと歩いて、「西國寺」へ。

 この寺は、天平年間(729~748)、行基の創建と伝えられ、他のお寺の門と違うのは、大きな草履がかかっているところ。この巨大草履は約2メートルもあり、“仁王様のように丈夫な脚になるように”との健脚祈願のシンボルです。仁王様のたくましい脚にあやかろうと、仁王門には大小のわら草履が所狭しと奉納されていました。この坂の町・尾道では、昔から脚が健康であることがとても大切だったそうですから当然でしょうね。

 その後帰り道にあった「浄泉寺」にも少し寄って、もう疲れてきたし、お寺にも飽きたので、そろそろ帰ることにしました。

 実はこれからが大変だったのですよ。タクシーでコインロッカーへ寄ってもらって荷物を取り、新尾道駅まで行く予定でした…が、大変なハプニングが起きたんです。そのコインロッカーが開かないと…。最近のコインロッカーは紙に印刷されたコードを読み取って開くようになっているので、それを何度かざしても開かない!もうみんな真っ青です!2台のタクシーを待たせてありましたので、それを断わり、そのロッカーの会社に電話をするのですがなかなか通じません…どうしよう、どうしよう、時間は過ぎていくばかり…ほとほと困り果てました。みんな貴重品だけは持っていますので帰れないことはないのですが、トランクなどの重い荷物は全部預けていたのですから…そしたらビックリ!開いたんですよ!なぜかって?それは私が、肩で思いっきりドンと押したからなんです。その時はなぜそうしたのか…後で考えると〝きちんと閉まってないから開かないのでは?〟と思って、しっかり閉めるつもりで押したんです。もうすでに開いていたのか、それとも何かに引っかかっていただけなのか、その時はそんなこと考える余裕はありませんでした。頭の中真っ白でしたもの。そうですね、昔から〝押してダメなら引いてみな〟というけど、その反対をしたんですね。ああ、ヨカッタ!

 早めに寺巡りを切り上げていたので、時間には余裕があり、新幹線にもゆっくりと間に合い、一件落着です。と思いきや、今度はMさんが忘れ物をしたと…それもこの勉強会の大事なメモ書きの資料とか。それを書くとまた長くなりますので、それは割愛して…。でも翌日無事に見つかって解決。

 このようにいろいろハプニングがありましたが、とにかく今回の旅でつくづく実感したことは、尾道の人ってみ~んな親切だということです。本当に有り難うございました。

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〝瑞松庵〟へ吟行

2018年11月06日 | 俳句

  今日は小羽山教室の久し振りの吟行会でした。ところが、馬醉木会報に〝吟行だより〟の記事を頼まれましたので、宇部馬醉木会でも吟行を計画したのですが、その予定日に来られない人が多くて困っていました。そのため急遽今日の吟行会と合同で行うことにしたんです。総勢15人になりました。

 今日も雲一つない快晴です。やっぱり〝晴れ女〟でしょう?

 行く先は宇部市船木にある「瑞松庵」、応永18年(1411)開山の曹洞宗の寺院です。開山の石屋真梁(せきおくしんりょう)禅師は島津家の一族、2世定庵(じょうあん)禅師も薩摩の人、4世守邦和尚は島津元久の子ということで、瑞松庵の寺紋は島津家と同じだと。見れば山門に丸に十の字の紋が入っていました。その山門で記念撮影。すぐ傍を新幹線が通りすぎていきました。

 案内して下さった住職の奥様が、〝ドクターイエロー〟がもうすぐ通りますよと。めったに見られないこの車両を見ると幸せになるという…それじゃあみんなで見なくっちゃあと待ち構えたのですが、でも時間がなくて見ることはできませんでした。

 本堂に上がろうとすると、外陣の板張りに蟷螂が…もう枯れる前なので鎌を振り上げる力もないのかじっとしたまま動きませんでした。でもしっかりと句材にはなりました。

 しかし、とってもシアワセなことがあったんですよ。境内や本堂の中などをいろいろ説明して下さった奥様に、〝お茶などどうぞ〟と言われ、何だか申し訳ないと思いながらも頂くことにしました。ところがそれはナントお抹茶なんですよ。15人分も点てるので、そりゃあ勿論お手伝いはしましたけれど…。なかなか出来ないことです。それも一つ一つ立派なお茶碗で…これもきっと観音様のご縁なのでしょうか。お菓子は可愛い金平糖でした。感謝、感謝です!

 その後、〝楠こもれびの郷〟の農家レストランで昼食。初めて行きましたが、なかなか美味でした。昼食後万倉ふれあいセンターで句会。3句投句の45句、5句選で行いました。4時過ぎ修了。

 この時の句と写真が〝馬醉木会報〟に載りますので、句はここでは紹介できません。ゴメンナサイ!

 

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〝山口ゆめ花博〟閉幕

2018年11月04日 | 俳句

 今日は母の三回忌で大分の実家へ行って来ました。日帰りはちょっとシンドイかなと思いましたが…なんせ2人ともすることが多くて、朝7時に出発して先ほど帰宅。まあ、運転は主人がしてくれますので…、でも、この道なんべん行ったり来たりしているかしらと…苦笑いです。

 早いものです。まだ2年しか経っていないのに…母が思い出の中でどんどん遠くなっていきます。何かの拍子に急に逢いたくなって切ない思いにかられることもありますが、日々の忙しさの中でゆっくり感傷に浸る時間がどんどん減っていくからでしょうか。昔から〝去る者は日々に疎し〟と言いますが、本当にその通りだと思います。しかし、広辞苑の意味に「死んだ人は月日のたつに従って次第に忘れるものである」と書いてありますが、絶対忘れるということはありませんけれどね。

 〝山口ゆめ花博〟は、県が掲げた来場者の目標は50万人以上でしたが、その目標を大きく上回る133万人以上が訪れたといいます。それが今日は最終日でした。山口ゆめ花博は「全国都市緑化やまぐちフェア」の愛称で9月14日から52日間開かれ、今日の午後4時から閉会式で、次に開かれる長野県に緑化フェアの旗が手渡されたそうです。山口県にとっては〝きらら博〟についでの成功で、メデタシ、メデタシです。

 先日義母を連れて行ったときの写真がありますので、どうぞ御覧下さい。もう終わってからじゃ…いけませんよね。ゴメンナサイ!でも、記念に…。

 ①ウエルカムゾーン ②~⑦花の谷ゾーン ⑧森のピクニックゾーン ⑨日本一高いブランコ ⑩⑪日本一長いブランコ ⑫⑬藁の狐の広場 ⑭~⑯大道芸 

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尾道吟行(その3)

2018年11月03日 | 俳句

 昨日はたまった仕事や家事をして…でも気分は乗らない!何だかどっと疲れが出た感じです。きっと応援疲れかな? 第5戦はとうとう延長戦になり、最後はさよなら負けでしたから…

 これでソフトバンクに王手をかけられて、第6戦が広島で今日…またまた目が離せません。

 尾道吟行の続きの写真がありますので、見て下さい。

 千光寺山ロープウエイで山頂の展望台へ。雲は結構ありましたが、遠くには石鎚山がかすかに見えると…、眼下には尾道の町と尾道水道。ここは今でも3分の渡船が行き来しています。60円ですって…

 ロープウエイを降りたところにありました。ここは恋人たちの聖地だとかで…

 それから、〝文学のこみち〟を千光寺まで下りました。あの有名な『放浪記』の一節を刻んだ岩から〝芙美子の海〟が見えました。

 大宝山権現院千光寺は標高140m、尾道港を一望する大宝山の中腹にあり、(大同元年・806年)弘法大師の開基で中興は多田満仲公と伝えられています。珍しい舞台造りの本堂(貞享3年・1686年)は別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も放浪記の中で「赤い千光寺の塔が見える」と書いています。境内の周辺には巨岩が多く、「鏡岩」「玉の岩」「三重岩」など、いろいろな伝説も残っているそうです。

 千光寺を降りたところに、三重塔が見えて、ここが平山郁夫の尾道の〝スケッチポイント〟と。

 さらにそこを下って今度は〝おのみち文学の館〟へ。まずアララギ派の歌人中村憲吉が最晩年を送った旧居、次に尾道ゆかりの文学者の〝文学記念室〟、最後が大作『暗夜行路』の構想を錬ったり、短編小説『清兵衛と瓢箪』を執筆した棟割三軒長屋の〝志賀直哉旧居〟です。時間がなくて、雰囲気だけでもと外から眺めただけでしたので、ちょっと心残りでしたが…

 坂の多い尾道には、なぜか猫が多く、やはり至る所で猫に出合いました。最後に出合った猫が我家の〝テン〟にそっくり、首輪までピンクをしていて…ビックリ!

 以上、尾道吟行の写真見て頂いて有り難うございました。お疲れ様、オシマイ!(これは昨日書きかけて、今朝しあげたものです)

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俳句どころじゃない!

2018年11月01日 | 俳句

 今日は朝から洗濯日和と、まずは洗濯物を干しました。その後10時頃から義母を連れて〝山口ゆめ花博〟へ。〝いつ連れて行ってくれるの?〟と、心待ちにしていた義母だが、私たちが行ける時には、京都から北海道へ出かけていなっかったし、戻ってきてからは私たちが忙しくて…

 もうこの11月4日で終わるので、唯一空いていた今日出かけたのでした。だから、尾道吟行の報告がまだ残っていますが、それは置いといて、〝花博〟のことを書こうかと思ったんです。ところが、その前にこれはどうしても書いておかなくちゃということがあるんですよ。エッヘン!

 全くお恥ずかしい限りの私の失敗談です!笑って下さい。

 昨日(31日)のこと。娘夫婦がこの日のチケットが2組取れたので行かないかと…。もちろんタダではありませんよ。日本シリーズは高いから、う~ん、どうしようと悩んだすえ滅多にない機会なので、主人が行くという。ここまではよかった!試合は18時30分からなので、昼過ぎ宇部を出発。高速道で福岡空港へ行き、そこに車を停めて地下鉄で唐人町へ。其所から歩いて福岡ドーム…。

 何もなければその予定どおりで…余裕でした。その空港近くの駐車場を探している15時過ぎ、ハッ!と一瞬血の気が引きました。そうなんです!一番大事なチケットを忘れてきたんです。トホホ…恐る恐る〝チケット、忘れてきた!〟と言うと、〝じょうだんじゃろ~〟と、主人は信じてくれません。でもホントだと分かると…(無言) 

 娘たちは前日の試合から来て泊っていましたので、電話すると〝なんな~ん、信じられん!〟と。〝何か方法ない?指定席なんだから…〟と聞くと、〝そんなこと、今までなかったから知らんわ。仕方ないから新幹線で取りに帰ったら?〟と、むげもなく言われてしまいました。ムッ…

 まあ、私が全て悪いんだから…弁解のしようがありませんが…。すると主人が車をすぐにUターンして、〝帰るぞ!〟と。 悩みましたよ。新幹線往復で1時間30分、1人10000円ちょっとは掛かる、問題は車がないので家まで戻るのはもう無理。当日券は完売しているらしいと、ならチケット代16000円をあきらめるしかないか…。車で取りに戻っても高速代、ガソリン代を考えれば10000円以上はするし、試合には到底間に合わない…。車を走らせながら…いろいろ考えて、結局家でのんびりテレビでも観ようかと話が纏まったところに、娘から電話!〝発券事務所に問い合わせたら、買ったという証明を送って貰ってそれを球場に見せると入場できそうだから、そこから戻ってきて!〟と。ああ、アリガタや。

 ちょうど古賀SAの手前でしたので、そこから若宮ICへ行って、戻りました。球場に着いたのは18時過ぎ。ああ、これでセーフかと思いきや、チケットを忘れたり紛失したりした人は、開始後10分ぐらいしないと入れてくれないと。まあ、指定席ですもの、少し始まっていても席は大丈夫。そんな贅沢なことは言えませんよ。しめて福岡~若宮の高速代780円×2で、一件落着。お粗末でした!

 そんな苦労をして応援したのに、クヤシイ! 試合はいいとこなくて、無様に負けてしまいました。クスン!でも、黄色に負けず赤がほぼ半分はいましたね~。7回の風船飛ばしの写真見て下さい。

 

  ただ今第5戦5回裏。SBの攻撃ですが、カープはさっき丸のホームランで逆転!3-2です。が…どうなるかまだ分かりません。フレーフレーカープ!いや、5回裏同点にされて、6回表會澤のホームランでまた逆転だよ~。もう目が離せません。皆さんも応援してね!

応援するカープファンのイラスト

 

 

 

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