ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

「げんこつ」といふ菓子

2017年06月19日 | 俳句

 昨日は「父の日」、「母の日」には寿司を食べに行ったので、今度は〝しゃぶしゃぶの食べ放題〟へ行きました。前回大いに待たされて懲りましたので、今回はしっかりと予約を入れて行きました。だから待たされることはありませんでしたが、隣の席がナントモうるさいこと。ワーワーキャーキャーと、それはそれは賑やか!ちょっと覗いてみると中学生の部活の集団のようでした。

 「あんな元気もうどこにもないよねえ~」と言うと、まだ若い娘も「ウン、ウン」と納得していました。だってこちら、500円引きのシニアが半数以上だもの。でも、食べ放題なので久し振りに思いっきり肉を食べましたよ。

   げんこつといふ菓子父の日なりけり

 10年以上も前の私の句ですが、「げんこつ」という駄菓子、皆さんご存じですか?旦那に聞くと余り食べた記憶がないと…エエッ!それで調べてみると、飛驒高山や犬山名物の〝げんこつ飴〟という菓子がありました。が、これは要するに芋飴ならぬきな粉飴のようなもの。でも私が詠んだのはそれではありません。他にはないのかと調べてみると、今度は長崎の方にありましたが、それは堅いおかきでした。私が子供の頃に食べていたあのお菓子、父も大好きで良く買ってきてくれていたあの〝げんこつ〟というお菓子は、一体どうなったんでしょうか。

 やっとのことで見つけました。〝下関ふるさとうまいもんづくり名人〟で紹介されていた手作りの菓子〝げんこつ〟、写真もありました。これです!あのポン菓子を飴か砂糖かでげんこつのように丸く固めたものなんです。ひなびた甘さとカリカリと噛む音…父から叱られて泣いた日を思い出します。懐かしくてどこかに売っていないかと探したんですが…。他に〝黒棒〟というお菓子も好きでしたね。父は10歳ぐらいで父親を亡くしていますので、それで好きだったのかも。私も好きですよ。

 土曜日の句会でも「父の日」の句が出ていました。〈父の日と孫連れてきて疲れさす〉や〈父の日や父に将棋の勝てぬまま〉など。前句は今の父の実感だろうし、後句は回想の父。どちらにしても血のつながりというものは…良くも悪くも廻り廻ってくるものですよね。俳句的にはどちらの句も、もう一歩で、前句は「孫」後句は後の方の「父」を削りたい。

   父の日に父に弟子てふ子沢山

 能村研三氏の句ですが、この父とはもちろん「能村登四郞(のむらとしろう)」氏のこと。

 能村登四郞は馬醉木の大先輩です。1911~2001、90歳で死去。中学の頃より俳句を始め、水原秋櫻子に師事、1949年に馬醉木同人、1970年には「沖」を創刊、主宰する。1981年に馬醉木同人を辞退して、本格的に「沖」の発展・育成に努められました。長男も次男も早くに亡くされていたので、三男の研三氏をしっかりと育てられ、彼が後を継いだのを見届けてから亡くなられました。

   火を焚くや枯野の沖を誰か過ぐ

 登四郞の「沖」という結社名の由来となった代表句です。

 下の写真はアジサイ。珍しくもないのですが、一応我家の記念として。珍しいのは3番目の「黒軸アジサイ」と言って中国産だそうです。私が好きなのは最後の花びら(?)が巻き込んでいるもの。殆ど挿し木で増やしたのですが、「墨田の花火」(1番目)が一番繁殖力が強かったですね。でも我家ではどれも青い色で赤い色のアジサイは育ちません。きっと土壌が酸性なんでしょう。あの墨田の花火も最初は真っ白だったんですよ。

 

      


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