ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

喜雨亭の話

2017年06月29日 | 俳句

 「あしかび会」は、新進気鋭を育てるための年一回の俳句勉強会です。

 私が始めた頃の若手と言われた人たちは、みな同人になっていて、今では本当に若手が少なくなってしまいました。なぜなんでしょうか。最近また少しずつ増えてきたのかなあ~、あの〝プレバト〟を見て入門という若い人もいるから。動機は何であれ、入ってくれたらこちらのもの…特に若い人は逃がしませんけどね。(笑)

 さて、勉強会での何か面白い(?)話でもしましょうか。

 初日、雨の中を句材探しに歩いたのですが、果たして皆さんどんな句材を拾ったんでしょうか?楽しみ!

 夕食後、7時研修室に全員集合。最初はまずその場で発表の兼題と読み込み、それぞれ1句を15分間で。と言うと、みんなの口からエエッ~短い!と、更にどんな題が出されるのか…みんな戦々恐々としています。「梅雨」と「聖」ですと発表すると、途端に顔が緩びましたね。提出後その句稿が出来上がるまで、事前提出の自作1句についての問題点や疑問点の討議です。いろんな疑問や質問が集まりました。簡単に箇条書きしてみます。

 1 季語の問題…このような場面ではどのような季語の斡旋がいいか。

 2 俳句の評で、「報告」とか「説明」とかよく言われるが、それが分らない。

 3 表記の問題…漢字・平仮名・片仮名で書いたときの効果の違い。

 4 「心」(思い)を詠むのに、どんな見える景(映像)で、どのように表現したらよいか。

 5 口語と文語の違いやその効果は?

 6 常套的な表現から脱する方法は?

 7 固有名詞や「〇〇忌」のような季語はどう扱えばよいか。

 8 切字を使ったとき、文末の文法的な注意点。

 9 戦争体験のない者がそういう場所(沖縄など)などに行って詠む時、その心構えや注意点。

 細かく書けばもっともっとありましたが、纏めれば大体このようなことでした。簡単に説明できるものもありましたが、4番目などは私自身が日夜四苦八苦している問題ですから、そう簡単には…ね。

 討論会ですので結構時間がかかり、兼題と読み込みの2句は互選だけにして選評は明日へ。10時で今日の研修終りです。ただし、あと3句を12時までに提出ですから、寛いで寝るなんて…まだまだ甘いよ。投句が済んでから自由時間でぇ~す。だって幹事の私たちはそれからがまた一仕事なんですからね。

 朝は7時30分から食事、9時からはまず昨夜提出した3句の選句、その後昨日の2句と合せての合評です。12時に終了、昼食後少しミーティングして、迎えのバスで新山口駅まで。15時ぴったりの解散でした。メデタシ!メデタシ!

 あら、俳句の面白い話が何もなかったですね。期待させたのに…ゴメンナサイ!

 では一つ、投句に「喜雨」という季語を使ったのがありました。「昨日の状態は『喜雨』じゃあないですよね。」「この季語は日照りが長く続いて、農家などが待ちに待った雨ですよ」「だからみんなが、特に農家の人たちが喜ぶ雨、恵みの雨のこと…」「でも、秋櫻子先生は確か喜雨亭と仰ってましたよね。だから忌日も喜雨亭忌と…」「ウン、あれはね~自分のための喜雨なのよね。みんなのための雨じゃないの。」私と主宰の会話です。このこと私は知っていましたが、みんなは初めて聞く話…。実を言うと、千鶴子主宰は秋櫻子先生のお孫さんで、若い頃は秋櫻子先生に付いてあちらこちら一緒に行かれていたとか…でもその時は俳句を詠んでいらっしゃらなかったので、今はそれをとても残念がっていらっしゃいます。

   喜雨亭翁を侮る鵯の柿に居り(きうていおうをあなどるひよのかきにおり)

 これは勿論秋櫻子先生の句ですが、以前紹介した『秋櫻子俳句365日』に、千鶴子主宰がこの句について次のように書いておられますので、載せましょうね。

 中国宋代の文人蘇軾に「喜雨亭の記」がある。秋櫻子は『文章軌範』に載っていたこの文章を、朧げに記憶していたが、この文の喜雨亭は、五穀豊穣のために雨を喜ぶの意味で、秋櫻子の雨が降ると病院の患者が減って、原稿がはかどるので助かるという意味の喜雨とは、だいぶ違うのである。それを承知で、少しでも蘇軾にあやかりたくもあり、シャレで使っていたのだ。

 八王子の庭には、百目柿が一本、渋柿が二本あった。柿が熟れる頃合を見計らって、鵯が啄みにくる。近くで見ていても、悠々として逃げない。ピッピッピィーと高い声で鳴くのが、まるで人を人とも思わない調子で、侮られているようで、小憎らしいが、また愛嬌者にも思えてくる。無聊な生活を慰めてくれる歓迎すべき友でもあった。(昭和28年作・句集『帰心』所収)

 ちなみに、この句の季語は「鵯」で秋、「柿」も秋の季語ですが、ここでは副の役割で使われているのです。

 下の写真は今日の蘇鉄。旦那が葉をガリガリの丸坊主に剪ってしまって、カワイソウと思っていたのですが、このように優しい色の(手ざわりも優しい)若葉が出ました。もう一つは9日前の写真。


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