植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

2020-02-23 04:15:48 | 金沢・石川の観光


金沢の観光スポットレポート(No.1753)

日頃ぶらりと訪れている寺町寺院群で、季節ごとのリポートしているが、金沢市発行の「静音の小径(しずねのみち)」資料をもとに、全寺社をくまなく巡ってみようと思い立った。すでに、お参りしレポートした寺社はリンクを張り付けて、詳しく見ることができるようにした。全68寺社となりました。お楽しみにご覧ください。 

◇寺町寺院群巡り-13 善隆寺、妙法寺、実成寺、本性寺

○寺町寺院群概要

寺町寺院群は、石川県金沢市寺町、野町にある寺院の総称である。藩政期に一向一揆に対する防衛策として、犀川流域にあたるこの地に寺院が集められた。忍者寺として知られる妙立寺を始め、65の寺院、神社が立ち並び、市内の三つの寺院群の中で最大規模である。寺町、野町、弥生の各一部、22.0ヘクタールが「金沢市寺町台伝統的建造物群保存地区」の名称で国の重要伝統的建造物群保存地区として選定(2012年)されている。
*参考資料:静音の小径(金沢市観光協会発行)、インターネット



49)恵光山善隆寺(ぜんりゅうじ)金沢市寺町3-2-30

宗派:日蓮宗
由緒:
開山は立像寺三世日淳の弟子である善光坊で、寛永20年(1643)、立像寺内に草庵を建て、後に、慶安2年(1649)、京都の立本寺の末寺となって寺号を受けた。明治以前に一時廃寺となったが、明治41年(1908)に再建されたももである。

住所:金沢市寺町3-2-30



■写真は善隆寺



50)大蓮山妙法寺(みょうほうじ)

宗派:日蓮宗
由緒:
天正元年(1573)に圓智院妙浄法尼が開基となって、尾張、荒子に建てられました。その後、領主の移転とともに、越前府中、能登府中、金沢尾張町と移り、元和元年(1615)現在地に伽藍を構えて今日に至ります。妙法寺には石川県指定文化財「圓智院妙浄(篠原一孝夫人)画像 附紺紙金泥妙法蓮華経 漆塗経箱」が伝来しています。
住所:金沢市寺町4-2-6







□紹介ページ(植ちゃんの金沢・いしかわに恋をしました。)

■写真は妙法寺



51)永正山実成寺(じっしょうじ)

宗派:法華宗
由緒:
貞享二年(1685)の由来書によれば、永正十四年(1517)、日授が石川郡野々市に創立したのが起こりと伝えられる。後に、金沢の小立野に転じ、加賀藩三代藩主・前田利常の時に河原町(現・片町)に移され、さらにその後、現在地に移った。た文化三年(1806)の由来書によれば、十代藩主・前田重教の生母・実成院から国家安泰の祈祷を命ぜられ、宝暦十一年(1761)に実成院が没すると、当寺において葬礼が行われ、後に、霊屋を設けて霊供米十石が寄進されたとある。実成院の法号は、当寺号を採ったものと思われる。(看板より)
住所:金沢市寺町4-2-2



■写真は実成寺



52)長久山本性寺(ほんしょうじ)

宗派:法華宗
由緒:
天正14年(1586)、三田村作内と橋本総右衛門の二人が、加賀藩初代藩主・前田利家に請うて、本性寺を枯木町に建立。越前府中本興寺の子院・教行院の僧を招いて寺主とした。後に小立野に移り、次いで河原町、そして元和二年(1616)現在地に移った。境内には、建仁寺流の宮大工・山上善右衛門の墓がある。山上善右衛門は加賀藩三代藩主・前田利常の招きで加賀藩に仕え、富山県の国宝・瑞龍寺、羽咋市の妙成寺、気多大社、小松市の梯天満宮、那谷寺などを建立した名棟梁である。また、平家関氏の墓も境内にある。関氏は、平重盛の次男・資盛が伊勢国鈴鹿郡関の谷に隠れて関と姓し、源氏の討伐から逃れた。子孫は能登の長氏に仕え、現在に及ぶ。(看板より)
住所:金沢市寺町4-1-6



■写真は本性寺

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◇寺町寺院群巡り-12 永福寺、融山院、玄光院、昌柳寺

◇寺町寺院群巡り-14 法光寺、立像寺、大円寺、妙福寺 

◇寺町寺院群巡り-15 本因寺、長久寺、高岸寺、妙典寺

◇寺町寺院群巡り-16 本妙寺、諏訪神社、伏見寺、松月寺

◇寺町寺院群巡り-17(完)浄安寺、妙慶寺、成学寺、常徳寺

(つづく)