金沢の観光スポットレポート(No.1761)
◇金沢市旧町名復活標柱巡り-3 金石通町、金石下本町、金石味噌屋町、金石新町、金石今町、金石海禅寺町
3月1日金石方面の撮影に行きました。
◇金沢市の旧町名復活
昭和38年(1963)に実施された住居表示変更で、金沢では藩政期からの由緒
ある343(金沢市資料)の小さな町の名前が消えた。平成11年1月に主計町(あずえまち)が復活し、
現在(2002.2)計20の旧町名が復活した。
その町名は下記の通りです。
◇金沢市の旧町名標柱
明治22年(1889)に市制となった金沢市は、昭和54年(1979)度から市制90周年記念事業の一つとして「金沢市歴史のまちしるべ標示事業」を開始。旧町名やその由来等を記した標柱をこれまで224基設置(平成22年3月31日現在)されており、標柱には町名の由来や読み方が刻まれています。
13)金石通町(金石西3、4丁目)
町全体の中心的役割を担う町人や商人が、多く居住していた「本町」へ行くため、多くの人が往来したことから付けられた。
江戸時代には上通町と下通町にわかれていて、 大店もあり人の通りも多く賑わった町であった。
〇復活日:平成30年(2018)11月1日
14)金石下本町(金石西3、4丁目)
本町の下に連なった町で店屋も多く賑わった町 であった。
〇復活日:平成30年(2018)11月1日
15)金石味噌屋町(金石西2、4丁目)
重要な調味料であった「味噌??」を商う有力な商人が居住したと推測される。元禄時代に書かれた宮腰絵図に記されている由 緒ある町名である。
〇復活日:平成30年(2018)11月1日
16)金石新町(金石西2丁目)
藩政時代に人口や家が増えて、町の中心から、新しく町建てされたことにより「新町」と付けられた。元禄時代に書かれた宮腰絵図に記されている由 緒ある町名である。
〇復活日:令和元年(2019)11月1日
17)金石今町(金石西2丁目)
藩政時代に人口や家が増えて、町の中心から、さらに、新しく町建てされたことにより「今町」と付けられた。
〇復活日:令和元年(2019)11月1日
18)金石海禅寺町(金石西1、2丁目)
藩政期に「海禅寺」があったことから、付けられた。 この寺がいつ頃に上越前町に移転したかはさだ
かではない。
〇復活日:令和元年(2019)11月1日
□旧町名標柱のリスト
□金沢市旧町名復活区域地図
□地図は金沢市ホームページより
◇金沢市旧町名復活標柱巡り-1 袋町、下新町、主計町、観音町、並木町、下石引町
◇金沢市旧町名復活標柱巡り-2 飛梅町、柿木畠、木倉町、南町、上堤町
(つづく)