植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

金沢の重要文化財(建築物)巡り ①

2019-03-05 04:15:45 | 日記


金沢の観光スポットレポート その1059(No.1500)

◇金沢の重要文化財(建築物)巡り ①

2月24日(日)石川県ウオーキング協会主催の金沢駅もてなしドーム地下発着とする「金沢の重要文化財(建築物)を巡る」に参加した。

もてなしドームより大野用水を経由して、1番は尾崎神社に参拝。2番の尾山神社神門で集合写真。3番の石川四高記念館、4番の金沢城公園三十長屋、5番の金沢城公園鶴丸倉庫、6番の金沢城公園石川門、7番の成巽閣、8番に石川県立歴史博物館、9番に金沢くらしの博物館そして最後にひがし茶屋街の志摩の10ケ所の重要文化財を巡り午後12時40分ごろ金沢駅もてなしドームにゴールした。コース11キロ



■写真は金沢駅もてなしドームをスタートする参加者



1)尾崎神社神門

寛永17年(1640)、加賀藩四代藩主前田光高公が東照権現勧請を幕府に願い出、許可を得て金沢城内北の丸に造営を始めた。その間、ご神霊を上野寛永寺から勧請し同寛永20年(1643)9月に東照権現社が落成し鎮座祭が執行された。廃藩後、朱塗りの社殿には徳川家康の紋が散りばめられ、金沢城の江戸、北陸の日光と呼ばれ崇められた。
明治7年(1874)に社名を金沢東照宮からご祭神に天照大神と加賀藩三代藩主の前田利常公を加え、尾﨑神社に改称するとともに、城域が陸軍省の所管となり明治8年(1875)に移転することとなり明治11年(1878)旧加賀藩御算用場であった現在地に移った。昭和25年(1950)社殿が国の重要文化財に指定。

□尾崎神社紹介ページ(植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」)



2)尾山神社神門

尾山神社は、加賀藩祖前田利家を祀る神社として明治6年(1873)に創建され、神門はその正門として明治8年(1875)に建築されました。
神門は洋風と和風の混淆したデザインで、全体は木造の架構で支持されています。1層目は戸室石積みの3つのアーチを架けますが、石積みの下地には煉瓦が積まれ白漆喰の壁で包まれています。2、3層目は壁を銅板で覆い高欄を廻しています。3層目の大きな窓には色ガラスが入っています。昭和25年国の重要文化財指定。







■写真は尾山神社と梅



3)石川四高記念館交流館

建物は当時文部技師であった山口半六氏、久留正道氏により設計され、明治24年(1891)に建てられた旧第四高等中学校本館である。翌明治25年(1892)の旧第四高等中学校開校から昭和25年(1950)の旧第四高等学校閉校まで、旧制高等学校として使用され、次いで昭和39年(1964)まで金沢大学理学部として使用された。その後も金沢地方裁判所、石川県立郷土資料館として保存・活用された。昭和44年(1969)には貴重な煉瓦造りの初期公立学校であるとして国の重要文化財に指定。
兼六園周辺文化の森の新しい「学びとふれあいの複合文化スペース」として、平成20年(2008)に生まれ変わりました。

□石川四高記念館交流館紹介ページ(植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」)

□石川四高記念館交流館紹介ページ②(植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」)

(つづく)