植ちゃんの「金沢・いしかわに恋をしました!」

金沢に永住して金沢・石川が好きになりました!その魅力を紹介します。

◇長町足軽資料館訪探レポート(清水家②完)

2012-09-28 04:47:07 | 日記


金沢の観光スポット体験レポート その105(No.208)

◇長町足軽資料館訪探レポート(清水家②完)

鍵の間
 納戸一室での収納や就寝に無理が生じてくると、この
 鍵の間が付加されました。ここでは日中、大人たちは
 玩具作りや糸紡ぎなどの内職をしたり、作法書などの
 書物を読んでいました。

■写真は鍵の間



足軽の教養
 足軽は、身分的には武家社会の最下位層にありました
 が、武士である以上それ相応の教養を身につけなけれ
 ばなりませんでした。また、公務の中には文書の取扱
 や種々の計算能力が求められるものもありました。
 足軽の一日は、生計を立てるための公務と内職で大半
 が費やされますが、勤勉な足軽たちは時間を見つけて、
 文学書や歴史書をはじめ、俳諧集や和歌集、漢詩集な
 どを読み教養を深めていたようです。

早道飛脚足軽
 この清水家のあった旧早道町は、早道飛脚足軽の組地で
 あり、当家は飛脚の仕事に関わっていたと推測できます。
 万治2年(1659)の規定によると、金沢から江戸間の早
 道飛脚で、夏季は5日間・冬季は6日間で行くのが「早
 飛脚」。夏季は7日間・冬季は9日間が「中飛脚」。夏
 季は10日間・冬季は12日間が「常飛脚」と呼ばれていま
 した。

■写真は鍵の間の当時の古文書



納戸
 この部屋には、生活に使われる日用品が置かわていまし
 た。また、寝室としても使われ、家族が狭い空間に蒲団
 を並べて寝ていたのです。しかし、家族とともに日用品
 も増えてくると、新たに部屋を増築するようになりまし
 た。この奥の鍵の間は、まさにそうやってできたものと
 推測されます。

■写真は納戸



茶の間
 ここは、言うまでもなく食事をしたり、一家団欒を楽し
 む場です。食事は、箱膳を並べてとりました。江戸初期
 では、一日の食事は一汁一菜で、朝夕の二回だけという
 のが普通でしたが、現代人よりも米をたくさん食べてい
 たと言われています。一日三食になるのは、江戸の中期
 で、その頃にはおかずも豊かになり、季節の旬のものな
 どが珍重されるようになりました

■写真は茶の間



あま
 足軽屋敷は、平屋が原則でした。そこで、収納空間を必
 要としていた足軽たちは、「あま」と呼ばれる屋根裏を
 利用して物置にしていました。

■写真は台所