★しろうと作家のオリジナル小説★

三文作家を夢見る田舎者です。
SF、ミステリーから現代物まで何でも書いてます。
良かったら感想をお聞かせください。

手回しニッポン(28了)

2009年12月12日 | 短編小説「手回しニッポン」
 朝食をとりながら山崎は妻に向かって言った。
「俺、なんか最近痩せてない?」
「そうね、エコ徴兵制度始まってから少し痩せたかもね」
 人力発電には電力を作り出す以外にも、思いがけない効用があった。国民の健康増進である。エコ徴兵制度は、結果的に全国民に週一回以上強制的運動をさせる制度でもあった。それにより、国民の医療費(特に高齢者)が大幅に削減されたうえ、平均寿命も伸びた。
 山崎も例外ではなく、メタボが心配だった腹回りがなんとなくすっきりとしている。
「よし、今日もがんばってくるか」
 山崎はそう言うと、日本の電力の大元であるご飯を納豆とともに掻きこみ、ワカメの味噌汁で朝食を締めくくり、若干張りが無くなったお腹をポンと軽くたたいて立ち上がった。

手回しニッポン(27)

2009年12月10日 | 短編小説「手回しニッポン」
 この『エコ徴兵制度』の法令化により、各地域の町内会レベルで小型人力発電所が建設され、15歳以上の国民は全員週1回エコ戦士として交代で発電機を回すこととなった。
 そして、人力発電が軌道に乗り始めた頃、宣言どおり火力発電所は次々に解体され、その跡地には、安藤工業が新たに開発した発電所が建設されていった。これは、安藤工業が手回し発電の第二ステージと提唱する方式のもので、人の代わりに家畜の労力を発電に使うというものだった。これまで火力発電所としてコンクリートと鉄で作られた広大な施設が、土と緑の広々とした牧場に変わり、発電設備は必要最小限のサイズのものが設置された。発電機は、牛や馬など家畜が交代で24間フル稼働でまわし、従来の火力発電並みの電力を発生させることに成功した。太陽と水と草が原料の電気が生産され始めたのである。究極のエコエネルギー国家手回し発電立国『日本』の誕生であった。

手回しニッポン(26)

2009年12月09日 | 短編小説「手回しニッポン」
 しかし、武山総理が考えたのは兵役としての徴兵制度ではなく、地球温暖化問題に対する徴兵制度だった。情報の出所が自衛隊だったことも影響したのだろうか地球温暖化に戦いを挑むということからのネーミングだったらしい。
 法制化するにあたって武山総理大臣はテレビやインターネットを使って国民に説明した。
「今、地球は明日をも知れない状況にあります。我々の大切な地球は、異常気象や多種な生物の絶滅、温暖化等、人類の生存の根幹に関わるアラームを発し続けてくれました。しかし、私たちは、そのアラームに気づかず、地球温暖化ガスを垂れ流し続けました。今こそ立ち上がる時です。日本国民全員が地球温暖化に戦いを挑む戦士としてご協力をお願いしたい。ついては、15歳以上の国民は週1回2時間以上、最寄の人力発電所に行って発電を行っていただきたい。これにより、日本から地球温暖化ガスが発生する火力発電所を全て撤去したいと考えています」

手回しニッポン(25)

2009年12月08日 | 短編小説「手回しニッポン」
「これだ」
 武山総理は国連総会で地球温暖化問題への日本の取り組みとして、温室効果ガス排出量30%削減という高い目標をぶち上げ各国から賞賛の拍手をもらったが、実現するための方策にすっかり行き詰っていたところだった。
「うん、これならいける!」
 早速、武山総理は関係閣僚を招集し検討を重ねた結果、ある結論に達した。
『エコ徴兵制度』の法令化である。
 ご存知のように戦争を捨てた平和国家日本には、徴兵制度は存在しない。しかし、世界には徴兵制度を継続している国家が多数あり、それらの国では一定の年齢になった男性は祖国を守るため徴兵され兵役を行っている。もちろん、日本には徴兵制度は無く、もし兵役としての徴兵制度が始まれば、内外から猛反発がくるに決まっている。

手回しニッポン(24)

2009年12月07日 | 短編小説「手回しニッポン」
 しかし、大企業というものはそのくらいでは満足しない。
 帝国電力はなんと自衛隊に提案を始めたのだ。
 人力発電の源は文字通り人の力である。今の日本で一番人的な体力がある組織はどこか、おのずと答えははっきりしていた。しかも自衛隊には、有事の際ライフラインを確保するという使命があることから、独自発電できる装置はうってつけであった。帝国電力の提案は自衛隊に歓迎され全国各地の基地に自己発電マシンが配備された。
 その情報を聞いた当時の総理である武山大臣は、はたと膝を打った。

手回しニッポン(23)

2009年12月06日 | 短編小説「手回しニッポン」
 そのような事態を、大企業が黙っているはずがない。大手電力会社である帝国電力は安藤工業と業務提携を結び、さらに効率の良い人力発電装置を開発、各自治体への積極的販売を展開した。
 まず名乗りを上げたのは、市民体育館での導入に味をしめた金星市だった。金星市では少子化の影響で廃校となった小学校の校舎の利活用といまだに続く市民体育館の行列解消を目的に、旧小学校校舎を提供し、新型マシンを50台を設置した。もくろみは的中、旧小学校校舎には活気があふれ、市民体育館の行列も短くなった。
 その結果に触発されてか、その後全国各地さまざまな自治体から引く手あまたの状態となった。

手回しニッポン(22)

2009年12月05日 | 短編小説「手回しニッポン」
「あなた~。時間ですよ。起きてくださいな」
 妻があけたカーテンの外は、暖かい日差しに満ちていた。
(はっ・・・・あぁ、夢か)
 山崎は、妻の声に目をあけたが、日差しがまぶしいせいか、まだ回りはぼんやりとしか見えない。
 それとも、今まで見ていた夢と現実との差に頭が混乱しているのだろうか。
 見ていた夢は、確かエアロバイクを開発したばかりの頃の出来事だ。あれから、何年経ったのだろう。もう10年は過ぎただろうか。本当に懐かしい。
 土曜日の朝7時半、会社は休みなのだからもう少し寝かせてほしかったが、今日は当番の日だった。顔を洗って朝飯を食べ、出かけるとするか・・・・・。

 西暦20XX年、自己発電型ローイングエルゴメーター・エアロバイクに始まった人力発電の波は、金星市民体育館だけにとどまらず全国へと波及していき、あっという間にトレーニングマシンによる発電は当たり前のこととなった。

手回しニッポン(21)

2009年12月03日 | 短編小説「手回しニッポン」
 さらに、発電をしてくれる市民にとっては、メタボ対策など健康増進にもかなりの効果が期待できることから、利用者は全く減る気配がない。それどころか、世の中の高齢化による健康意識向上により、ますます増える傾向にある。
 もしかして人力発電というのは、究極のエコ発電なのではないか。市民のボランティア精神、環境問題に対する人々の純粋な気持ちの結晶なのではないか。この人力発電こそが火力や原子に変わりうる唯一の発電方式なのではないかと。

手回しニッポン(20)

2009年12月01日 | 短編小説「手回しニッポン」
 殺到する注文に対応しながら、山崎は考えた。
 自己発電型エアロバイクの発電能力は、思いのほか高く、20台導入した金星市民体育館では、照明設備から冷暖房設備にいたるまでの全消費電力の、実に半分の電力を安定的にまかなうことができた。これに毎日できる行列分の人数を加算すれば、体育館の電気を余裕を持って丸ごと人力で賄うことができる程である。
 今までエコ発電と言われてきた自然エネルギーを利用した方式は、太陽光にしろ風力にしろ自然の影響をモロに受けるため電力供給源としては不安定だった。それに比べ自己発電型エアロバイクは、人力発電のため人数さえ確保できれば、安定した電力源となる。発電量も文字通り人の手で自在にコントロールできるのだ。

手回しニッポン(19)

2009年11月30日 | 短編小説「手回しニッポン」
 その話を聞いた市の担当者 佐藤は、さらに一計を案じた。発電した貢献金額見合いで次回以降のトレーニングルーム利用料金を値引きするという、お役所では難しいポイント制度を導入したのだ。このポイント制度は大当たりし、利用したい人の列はトレーニングルームからはみだし市民体育館の外にまでできるようになってしまった。
 当然、マスコミが放っては置かない。地元新聞や地元テレビが取り上げた後、全国紙やテレビのキー局も食いつき、一大ブームとなった。
 これには安藤工業もびっくり。エルゴメーターの際にはなんとなく先細りで後味が悪かった社長は、前回の反省も忘れ、根が目立ちたがり屋なのか、喜んでインタビューに応じまくった。
 その結果、今回は、ポピュラーなトレーニングマシンだったことが幸いして、全国のトレーニングジムやスポーツセンター、スポーツ店から注文が殺到し、エルゴメーターの時には期待はずれだった工場の製造ラインの全面変更、フル操業での生産体制が現実のものとなり、社長ともども山崎もうれしい悲鳴を上げることになった。

手回しニッポン(18)

2009年11月29日 | 短編小説「手回しニッポン」
 開発段階で、紆余曲折があったものの、無事納期まで製品化が完了し、結果的に自己発電型エアロバイク20台と蓄電システムを納品することができた。
 このトレーニングルームを利用する人の層は、曜日と時間帯で大きく分かれていて、平日の日中帯は、高齢者や家庭の主婦が多く、夕方夜間や週末は比較的若い人が多い。当初、発電量は、若い人が多い夕方夜間週末が多いと思われていたが、実際始まってみると不思議なもので、高齢者や主婦が集中している平日の日中帯が多かった。ジジババオバサンパワー恐るべきというところか。また、自己発電型エアロバイクは、発電に重点を置いた単純型のため、となりに設置されているコンピュータ制御された従来のエアロバイクと比べると、利用者が少ないのではないかという懸念があったが、市民の環境に関する意識が高いせいか、圧倒的に自己発電型エアロバイクの利用率が高かった。すぐ目の前に発電量のディスプレイを配置し、今どのくらい自分が発電したかを即座に確かめられるようにしたのが功を奏したのかもしれない。
 それに加え、トレーニングルームの壁面に現在の蓄電システムの総蓄電量とそれを金に換算したらいくらになるかという表示板を設置するとともに、利用者が使用し終わった時点で自分の発電量と貢献金額が印刷できるように改造をしたところ、エアロバイクの後ろに待ちの行列ができるまでになった。

手回しニッポン(17)

2009年11月28日 | 短編小説「手回しニッポン」
 数日後、市の担当者にアポを取り、山崎と営業の担当者の二人で市役所に出向いた。
 佐藤と名乗った市の担当者は、元ボート部らしく黒々と日焼けしていてニッと笑うと白い歯が印象的な青年だった。
「大門先生のご友人の方ですよね。先生からお話は伺ってます。しかしあの自己発電型エルゴメーター、僕も漕がしてもらいましたけど、いいですよね~。実は僕、今でも地域のボートクラブの一員でして、国体なんかにも出場してるんですよ」
 ボート競技というのは、意外と人を虜にするらしい。大門に言わせれば、筋トレメインの過酷なスポーツで、陽には焼けるし足は太くなるしでとても大変なんだけど、水面を走る爽快感やブラッシュアップされたわが身の筋肉美は一種独特な魅力なんだそうだ。
 商談の方は、大門が言ったように意外とスムーズに話が進んだ。
 今回は、自己発電型ローイングエルゴマシンは一台のみ、それ以外にエアロバイク(自転車型トレーニングマシン)に発電機を組み込んだ新たな製品を開発することになった。
 エアロバイクは、かなりの種類が市場に出回っていて、単純にこぐだけタイプのものから、大型ディスプレイを装備していて、テレビが写ったり、コンピュータ制御で負荷が自動的に変わるものまであり、値段もピンきりだったため、どのタイプを参考にするかで若干もめたが、経費や納期等の関係から、とりあえず一番単純なタイプで開発することとなった。

手回しニッポン(16)

2009年11月27日 | 短編小説「手回しニッポン」
「いやいや、あれだけできれば大したもんだよ。ところで、うちの学校がある金星市で市民体育館をリニューアルするって話、知っているか」
 最近、新聞かなにかでチラッと見た記憶はあるが、気にも止めていなかった。
「市の関係者から聞いたんだが、あの市民体育館には、結構大きなトレーニングルームがあってな。トレーニング器機がわんさかあるんだよ。で、今回その機器もみんな古くなっているんでまとめて更改するらしいんだな。そこでお前の顔を思い出したわけよ。発電と組み合わせができるトレーニング機器があれば、例のエルゴマシーンのようにお前の会社も潤うんじゃないかと思ったんだけどさぁ」
 なるほど、エルゴマシーンの時は、どちらかというとマイナーなスポーツだったためあんまり商売に結びつかなかったが、一般的なトレーニングマシンだったら需要が多いはずだ。
「もし、よければ市の担当者を紹介してやるよ。実はその担当者って金星高校ボート部OBなんだよ。だからこの話、意外とうまくいくかもしれないぞ」

手回しニッポン(16)

2009年11月26日 | 短編小説「手回しニッポン」
 一ヶ月もすると、マスコミの熱もすっかり冷め、もともとマイナーな感がいなめないボート競技のことは人々の脳裏からすっかり消えてしまい、残ったものといえば社員が持っている名刺の裏に書かれた主な製品欄に「自己発電型ローイングエルゴメーター」と追加されたぐらいだった。
 安藤工業の社長は、うつろな目をしてこう言ったものだった。
「流行っていうのは、こわいもんだねぇ。あんなにちやほやされたのに、あっという間に話題にもでない。エレベーターより速いなあ」
 社長も今回の件では、踊りすぎたと反省しているようだった。 ボートの件から数ヶ月後、会社の帰り支度をしていると山崎の携帯が鳴った。大門先輩からだった。
「山崎か。この間はどうもな~!エルゴメーターも調子よくちゃんと動いているし、インターハイにも行けたしすごく助かったよ」
「そりゃ良かったですよ。でもインターハイは残念でしたね」
 大門のボート部は、30年ぶりにインターハイに出場したものの予選で敗退、入賞に届かなかったらしい。

手回しニッポン(15)

2009年11月25日 | 短編小説「手回しニッポン」
 ボート部員が発電する電気量は、部員達が使用する体育館の照明や音響等の、約半分近くをまかなうことができた。しかも、この新エルゴメーターのおかげなのか、万年最下位争いだったチームがなんと地区大会優勝、30年ぶりにインターハイ出場を成し得たのだった。
 学校側は、ここぞとばかり地元の新聞社やテレビ局などに、このたびの快挙は選手達の努力と、環境に配慮した独自トレーニングマシンの効果と報道発表を行ったところ、世間の地球環境問題に対する意識の変化の追い風に乗って各マスコミはこぞって取り上げ、学校の株を大きく押し上げた。
 勿論、開発元である山崎の会社、安藤工業の社長もこの好機を逃さず、学校と申し合わせ、報道機関が学校に取材に来るときは必ず呼んでもらい、校長と社長が一緒にインタビューを受けたりして一躍地元の有名人に祭り上げられた。
 山崎は、社長が出ているテレビニュースを見ながら、これで、新エルゴメーターに注文が殺到し、会社の工場もフルラインを新エルゴメーターに移行し生産するといううれしい悲鳴を上げることになってくれるといいなぁと心を弾ませていたが、いかんせん、ボート部という競技人口が少ないスポーツが対象であったため、他校から数件の注文は来たものの悲鳴を上げるまではならなかった。