果未 の館

観音菩薩日記

愛情だと認識できる事

2013-06-15 08:16:30 | 
愛情と認識することは
相手が我慢しても自分を受け入れてくれた時

好きな子に意地悪をするという行動は
まさに愛情の確認行動
意地悪をして気を惹く
その上それを受けいててくれたと感じれば
自分の事を好きなんだと感じることができる

子供がわけのわからないことを言う
それを親が受け入れるか受け入れないか
子供は親の愛情を確認する

親が苦労して(親が親自身を犠牲にしてまでも)
自分が行きたかった学校に行かせてくれたとか

愛情を勘違いしている親は
子供がが行きたくないのにやりたくないのに
行かせてやった やらせてやったという
親は自分がした事を愛情だと押し付けるが
子供はそれを愛情とは認めない

親が愛するが故に子供に押し付けのような行為をする
子供は反発する。子供は愛情と認識できない。
だが親がその反発心をわかりながらも押し付け行為をした場合
時として それは後に子供が愛情と認めることもある

相手が我慢して(我慢した方も愛情だからと)でも
自分を受け入れてくれたことで
はっきり愛情を感じることができる

受けて側と与える側の思いの均衡が取れて
初めて愛情と呼ぶことができる

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