果未 の館

観音菩薩日記

記憶に左右されないために

2017-05-09 08:25:20 | 記憶
話しをすること
それは全ては記憶である

あるがままに言っているつもりでも
自分の思いが入る
自分の見方が入る
自分の価値観が入る
それは自分の記憶の上にある

人の話しもその話し手の記憶である
話し手は正確に話せるわけもなく
話し手の記憶をもとに話す
記憶からの価値観の上に記憶を話す
全てを話すこともできない

聞き手は聞き手の記憶の上で話しを聞く

話し手の話しと聞き手の話しが全く同じものになることはない

相手がどんな話しをしたとしても
相手の話しを完璧に理解することはできない
相手の話しは中途半端なもの
聞いている自分も自分の価値観という物差しで
はかりながらしか聞けない

相手に意見したり 反論したり
全ては自分の記憶が発している

快 不快を感じさせるのは記憶
快 不快を感じたとき記憶が話し始めているだけと思えば
記憶の自分から少しだけ離れることができる


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