亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

知恵は小出しにすべし

2016-09-22 | 読書

福沢諭吉

 「知恵は小出しにすべし」とは古人の金言なり。大なる知恵を一時に表して、一時に天下を驚かさんとするよりも、物に触れ事に当り少しづつ遅滞なく出して世を渡るべきなり。「鼠捕る猫は爪を隠す。」というはよろしけれども、生涯かくして鼠捕らずば爪なきに等しからむ。世間の後進生が動もすれば英雄豪傑を気取りて人事に頓着せず愚鈍といえるるも、迅濶と評せらるるも馬耳東風にして、高くみづから構えこの事は我が本領にあらず、その業はおのが目的にあらずとて、好き嫌いするその有様は病身なる貴公子が飲食物を選ぶに似たり。

 蓋し後進生は胸中に知恵の大いなるものを藏めて、容易にこれを用いず、用いれば即ち大いに事をなすべしとの考えなるべけれども、如何にせん。事は来たりて人を求めず、我より進みて事を求にあらずば、遂にこれに逢うことなからん。鼠を捕らんと欲せれば猫より進むべし。鼠の来りて猫に触れたる例を聞かねばなり。ただに鼠を求むるのみならず、蜻蛉にても蝉にても目に触れんには飛びかかりて平生の技倆を表すべきなえんり。

昔、豐太閤が木下藤吉の時より次第に立身したるは、豐公の大智をもちながら、初めは草履取、次は炭薪奉行、また次は普請奉行と次第にその知恵を小出しにして、かいがいしく事を弁じ、漸くにして大名に立身すれば、大名たるべき知恵を出したり。若しも当時の木下藤吉が武家奉公の初めより英雄豪傑を気取って、草履取は我が本領にあらず、薪奉行はおのが目的にあらずといわんには、遂に天下も手に入らざりしならん。太閤畢生の大業は、知恵の小出しに成りしものというべきなり。―福翁百話―

昭和5年の中学校の教本に福沢諭吉のコラムが載っていた。

幾ら知識があっても力があっても使わなかったらないのと同じといっている。知恵は一度に出そうとすると無理が生じる。少しずつ出してこそだんだん認められるようになるようだ。

秀吉の話は今地元紙に連載されている。何とも胡散臭い話だけど分かり易くて面白い。

 

今日の地元紙に面白いコラムが載っていた。金沢港には豪華客船が目白押しのようだが、船内では欧米人は1日当たり50㌦使うのに対し、日本人は15㌦~20㌦しか使わないそうだ。

欧米人は本当のお金持ちだけが乗るようで、それに対して日本人はお金もないくせに見栄で乗っているのでしょうか。高い船賃を払ったら財布はすっからかん。とても船内で使う金はないと言うことか。

 


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