敬老の日に発表する「鞍馬天狗」と「紅葉狩り」を練習した後、三輪を習いました。
三輪(みわ)
大和の国三輪の山に住む玄(げん)賓(ぴん)僧都(そうず)の庵に毎日、仏に供える花と水を持ってくる里女がいました。不思議に思った玄賓は、女がやって来たら素性を問うつもりでいます。今日も訪れた女は、秋も夜寒になったので衣が欲しいと玄賓に願い出ます。玄賓が衣を与え、住家をたずねると、女は三輪の里、山のふもとに近い所に住んでおり、「我が庵は、三輪の山と恋しくは」という歌にも詠まれていると答えます。そして不審に思うならば「杉立てる門」を目印に尋ねてきなさいと言い残し、かき消すように消え失せてしまいました。
三輪大明神に参詣した里の男が神木の杉の衣が掛かっているのを見つけます。しかも衣の褄(つま)には「三つの輪は清きぞ唐衣、来ると思ふな、取ると思はじ」という神の歌が金色の文字で記されていました。すると杉の木陰より神の声が響き、三輪明神が姿を現し、神代の昔物語を語り舞い始めます。さらに三輪明神は、天照大神が天の岩戸に隠れ、世の中が暗闇になった時に、神々が岩戸の前で舞った神楽(かぐら)を再現して舞います。やがて、天照大神が岩戸を押し開いた様子を再現してみせ、夜明けと供に姿を隠しました。
見どころ
玄賓は、平安時代に実在していた高僧。僧と神が出会うというのは、一見不思議ですが,中世は神仏習合思想の時代でもあり、神も人間も同様に、罪から救われることを仏に願い、そのような神の姿勢は人間を導くものと考えられていました。
文章を綴るが苦手なのでネットから拾ってきました。
ここでは神様より仏さまの方が偉いようです。
神さまと仏さまは同格でもとは同じものだと思っていました。
仏教が日本に伝わる時、日本には神さまがいらっしゃるのでそこへ仏さまを持って行くのはちっと無理で、日本の神さまは仏さまの化身ということで布教を行ったと聞いた様な気がします。
三輪では神様を人間と同格に扱っています。神様は特別偉い存在ではなさそうです。
職業訓練所の教員は「毎日暑い日が続きますが、それも彼岸までで彼岸を過ぎると涼しくなりますよ」と言っていました。それから、20年以上気に掛けてみているが、なるほどその通りだと思いました。涼しくなるどころか急に寒くなるような気がします。さて、今年は・・・。どうなるのでしょうか。
敬老の日の服装は、上着を着て出演すべきだろうがこう暑くてはそうも言っておられないような気がします。
敬老の日には鞍馬天狗の「鞍馬天狗」のワキ(東谷の僧)を役をやることになっているがその東谷の僧とはどんな存在なのか、いまだによく分からない。
ジッちゃんは「オラは若者だ」って言うの(笑)