亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

写謡 高砂

2020-08-15 | 能楽
九州肥後の国阿蘇の宮の神主の友成という者、都の上る途次播州高砂の浦を訪ねた。それは風長閑に吹いて松に颯々の声ある麗らかな初春であった。ここに如何にも清楚なる老人夫婦が現れて木陰を掃き清めるのであった。神主友成はこの老夫婦に、高砂の松とは何れの木ぞと問えば、老人は、ただいま木陰を清めているのが高砂の松よと教え、なおも古今集の序を引いて、高砂の松と住吉の松とが相生なるいわれを語り、我は住吉の者、嫗はこの地の者だが妹背の契り深くして夫婦相老いなりといい、高砂を万葉集の上代に、住吉を今の延喜の御代に喩えたる由を説き、更にまた万木に勝れることを和漢の故事まで引いてのべて松のめでたき由をたたえるのである。友成はまことに奇特なことと思って老人夫婦の名を尋ねると、我等は高砂住の江の相生の松の精であるが、仮に夫婦となって現れたもの、再び住吉で会おうと言い置いて老人夫婦は小舟に打ち乗って、そのまま追い風に吹かれて沖の方へと姿を消して行った。
 友成は深く感じるところがあって、言葉に従って自分もすぐに老人達の後を慕い、浦船に帆を上げて月諸共に高砂の浦に立ち出でた。かくて友成は淡路の島影、鳴尾の沖も過ぎゆきて住の江に着いたのである。青海の波涛は清く、月は高く澄んで松陰に映じ、神韻のありがたさを感ずる折柄、住吉の明神出現したまい、君の千秋民の万歳を寿ぎたまい、影向尊く相生の松風颯々の声を和し、真にめでたき有様である。
謡本の巻頭に梗概というのが出ている。これを写してみた。本文は難しくてなかなか中身を理解できないが、書いてみると内容が良くわかる。読んでいるだけではだめだなと思った。



結婚式の定番であった「高砂や~」から最後まで。結婚式場会場に招待された能楽師の中には式が進行している間に高砂を全曲歌ってしまう人がいるという。
高砂には小謡になる部分が多い私の持っている宝生流袖珍小謡本には8か所も載っている。こんなに載っている曲はない。


下に様々の舞姫の~は仕舞の部分で、この部分を良く習った。能楽堂の舞台で仕舞の地を謡うためである。能楽堂で謡うと言ってもお金を取らない唯の発表会なのだけど。それでも能楽堂を会場に出来る教室は少ないと思う。
能楽堂では年に何回か謡曲教室の発表会がある。観光客は自由にタダで鑑賞できる。結構程度の高い能楽が鑑賞できる。金沢へ観光にきたら一度覗いてみたらと思う。もしかしたらそこに私がいるかもしれない。
高砂という場所がどこにあるのか、地図で探してみた。

実在していた。姫路市の東側で、反対側に相生市と言うのがあるがこれはどうも関係がないらしい。そしてその隣が忠臣蔵でお馴染みの赤穂市、そこから西へ行くとすぐ岡山県になる。
「遠く鳴尾の沖過ぎて~」の鳴尾とは地図では確認されなかったが西宮市の甲子園の近くにあるらしい。ここには沖を通る船の目印とされる一本松があるらしい。翁達はこれを見て住吉(大阪)の宮を目指したのか。

「あんた旅に行きますか」。「いや、誰も連れて行ってくれないから」。
「旅は楽しいよ。友達がいっぱいできるから」。
朝の散歩の仲間から言われた。羨ましいにね、友達が作れるとは」。
私は会話が下手な上、耳が遠いから、会話しても殆ど中身が分からないから、友達なんかとても無理。
「それでは年賀状なんか来るんですか」。
「年賀状は来ないけど、携帯にメールが入るよ」。
旅友達が一杯いるらしい。一人旅も楽しいね。
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