鏡花水月紀。

日々の言の葉、よしなしごと。

からむし織の里・昭和村へ。

2012-06-29 | 日々のこと。
6月9日~11日にかけ福島県の羽鳥湖で開催された
一社)日本茅葺き文化協会主催の「第3回茅葺きフォーラム」に参加。
そのついでにかねてより訪ねてみたかったからむし織の里・昭和村にも寄ることができました。

昭和村はその名があらわすように昭和2年に野尻村と大芦村の二村が合併して生まれた村です。
場所は福島県西部の山間。
ブナやホウ、トチ、シラカバ、ダケカンバがこんもりと繁る山々、
その間を縫うように野尻川が流れ、川が開いた平地には水田や畑。
集落にはトタン葺きの家々が並びます。

昭和村は本州で唯一、苧麻を栽培から手掛け糸を績み、生産を行っています。
私もたまに卓上織り機で平織をしたり、織の産地で 織体験 をして楽しんでいるので、
せっかく福島の会津地方まで行くのなら、このからむし織の昭和村を訪ねてみたいと思っていました。
(それがこんなに早く叶ったのは、今回、車に乗せていただいた茅葺屋さんをはじめ、
お付き合いいただいた武庫川女子大・古民家族のTさん、Kさんのお陰。
深く感謝します。)

また昭和村に関心をもったのにはもう一つ理由があり、
この昭和村には石川県羽咋市にもある「気多神社」(能登一ノ宮気多大社)と同じ、
気多神社があることでした。
石川県以外の方はそれがそんなに関心をひくことかと思われることでしょうが、
石川の気多神社からそう遠くない鹿島郡中能登にも、
苧麻の織物「能登上布」が伝わっているのです。
神社と苧麻、そんな共通項が会津の昭和村にあることが気になって、気になって(笑
これはきっと古えの一族が北上し、伝えていったのではなどと
勝手にイメージがふくらんでいたのでした。

さて深い山を抜け昭和村に到着し、トタン葺きの家々を写真に収めたりしながら、
からむし織の里(織姫交流館、からむし工芸博物館、郷土料理伝承館苧麻庵など)で一休み。

そのあと気多神社があることを知ったきっかけにもなった
NPO法人苧麻倶楽部さんが運営する宿泊体験施設「とある宿」を訪ねました。
「とある宿」として借りている家は、元は気多神社の宮司さんの家でもありました。





玄関先で挨拶を交わし茅葺屋さんも名乗られるとえっ!と驚かれ、
お話を伺うと共通の知人を介し茅葺屋さんをご存じだったのだとか。
そんなこともあり話もはずみ、からむしのことや気多神社のことをお伺いさせていただきました。

からむしはイラクサ科に属する宿根草の植物で、意外とあちこちにも自生もしています。
苧麻(ちょま、からむし)、または青苧(あおそ)といい、
一般的に畑で栽培するからむしの繊維を青苧と呼びます。

昭和村では自生しているものは「野からむし」と呼び
(このあたりは天然の鮎も野鮎と書いてあった・・・)、
これらは葉の裏が白く繊維も固いのだとか。
村で栽培しているからむしは、葉の裏も緑で良質の繊維が採れるそうです。
毎年小満のころ、育つ苧麻の高さを一定にするためにススキを畑に広げ野焼き。
また風ですれると茎に傷が入って灰色になり上質の糸にならないため、
ススキで柵を作り風をよけるなど、丁寧に育てられます。



ススキの柵のなかを覗くとすくすく成長中のからむしさんたち。



戦時中にはからむしよりも食料を作れという統制もあったけれども、
村の人たちは絶対絶やしてはいけないと、
からむしを掘り起して大切に保管し、守ったのだそうです。

こうして村の方々に大切に守られてきたからむし織ですが、
伝統工芸につきものの後継者不足は否めません。
昭和村では伝統を次代に伝えるための取り組みとして、
平成5年から毎年「織姫」も募集し村で11か月暮らしながら、
苧麻の栽培、糸績み、織りを学ばせています。

以前、中能登町の能登上布会館で織の体験をしてきましたが、
これも実は後継者を・・という目論見があったようですが、
あのあとどうなったのでしょう。
能登上布も苧麻の栽培から行い、織姫制度のような長期実習の制度があれば
もう少し若い方が後継者として増えるのではと思います。

昭和村では織姫制度終了後も村にとどまる方も少なくなく、
農山村に女性が留まるには結婚しかないという風潮が各地であると思いますが、
ここではそうではなく、経済的に自立して引き続き村でからむし織を続けられるような
システム作りにも取り組んでいて、これもいい。

いつかまた再訪する機会をつくり、
村の織姫さんたちにも、ぜひお会いしたいと願っています。