昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第一章:親父への旅   親父の元へ、再び。 ②

2010年09月30日 | 日記
7月21日午前9時10分。わずかに遅れて石見空港に到着。その足で医師会病院に向かう。今回は、バスを利用。前回の帰郷が人との接点が少なかったことを反省してのことだ。
10時前、病院に到着。318号室。4人部屋の入り口で名札を確認し、入室した。
見当たらない。人探し顔の僕を見つけ、同室の人が近付き声を掛けてくる。
「今、トイレだと思うんじゃけどねえ。ま、腰掛けて待ってとりんさいや」と、手招きをする。ベッドから足を下ろしお茶でも用意しようかという風情に慌てて、「トイレ、見てきます」と部屋を出ようとする。
「そこじゃけえねえ」と指差されたのは、病室に入ってすぐ左のベッド。抜け出たばかりの様子もなく、きちんと整えられている。
親切な同室の人に、「ここですね。ありがとうございます」と一礼し、ベッドの上に小さなポーチを置く。前回より増えたのは、文庫本2冊。親父の傍で過ごし、手術室の前で結果を待ち、翌朝まで付き添う、その覚悟と準備が、文庫本2冊になっていた。
病室を出てトイレの方を見る。…いない。病室の隣、休憩室を覗く。…いない。病室に戻り、ドアを開けて左の方を見る。…いない。もう一度、廊下に出る。…いた!
「おう!」と手を振っている。「おう」と親父よりも小さな声で応じる。廊下には数人の人。親父まで10m。その距離を縮めていくのが、うれしい。
「着いたか。遅かったのお」
「バスだったからね」
親父と肩を組む。身長差15cm。右脇の下にすっぽりと収まる。
「どうだった?」
「うん?まあ、調子がいい!というわけにはいかんわのお」
右手に力を少し込め、親父の肩を引き寄せる。
「いよいよだね」
「先生、自信たっぷりじゃけえ」
引き寄せた肩を小さく前後に揺らす。
「大丈夫だってことだ!」
親父の歩幅が小さくなる。
「まあ、手術は大丈夫かもしれんがのお。その後がのお…」
「今からそんなこと!こら!後のことは、後から!」
肩を引き寄せながら病室の前まで行き、入り口で手を放す。
病室に入ると、親父はするりとベッドに上がり、端座。すぐに、真顔になる。さあ、これからの段取りだ。
まず、午後4時から主治医との面談。明日午前中に、個室へ移動。麻酔をするので、遅くとも12時半までに手術室に入る。午後1時、手術開始。2時間程度の手術の予定。その後相当長い間、麻酔が覚めるまで意識はないと思われる……。
手術の段取りの説明が終わると、僕に対する指示が始まる。何を、いつしてほしいか、その時気を付けるべき点はどんなことか……。次いで、僕への気遣いだ。
宿は?昼飯は?もうすぐ昼だぞ…。出かけたら、4時までには必ず帰ってきてほしい。東京へ帰るのは23日の朝か?帰りの予約は?忙しそうだから、身体に気を付けないと……。
全く言葉を差し挟む余地がない。しかも、前回の僕の遅刻も織り込まれている。あの時、待ったんだな、と思う。頬がいつしか緩んでしまう。
親父はしっかりと歩もうとしている。そして、歩める。そう確信する。
僕はきっと傍らにいて、傍らにいることの大切さだけを意識していればいいのだ。

60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと等あれこれ日記)

コメントを投稿