京子の名前を出した途端、和恵の顔が曇った。
「あの子は夏美さんや私とは違う、思うてるんやけど……。一緒に見える?」
静かな言い方に変わったことが、不快と怒りを表わしている。僕は少し焦った。
「いや、そりゃあもちろん、色々と違うところはあると思うけど…。なんて言うか、よく気が付くところとか、男に優しいところとか…。彼女も古風な感じがしたから……」
後は口ごもる。他に付け足す言葉も見つからない。
「女の優しさに種類があるの、柿本君わかってへんの違う?」
「優しさの種類?」
「そう。わからへん?夏美さんの優しさと京子の優しさの違い?」
答えようもなく上村に顔を向けると、上村はすかさず、肘で脇腹を軽く小突いてきた。
肘を払いのけながら「優しさに、種類ある?」と言うと、「そら、あるやろう。あるに決まってるやないか」と、上村はもう一度脇腹を小突いた。
「言い方変えたらどやろ?優しさが心のどこから生まれてくるのか、その場所が違うから種類も違ってくるんよって言うたら?」
「また、禅問答や〜!」
上村が天井を仰ぐ。確かに謎掛けのような感じもなくはないが、和恵の言わんとしていることがほんのりと見えてきたような気がしなくもない。
「心の奥底で求めてるものを獲得するための方法論って言うんやろ?優しさは」
天井に向いていた眼差しを和恵にしっかりと向けながら、上村が身を乗り出す。
「あっ!そういうことか!」
僕は、素っ頓狂な声を上げた。そして、続けて言おうとした“優しさの裏に欲が張り付いてることもあるんよって言いたかったんや”という言葉は飲み込んだ。
「何にでも動機があるって言うんやろ?」
上村は苦々しげだ。
「当たり前やないの!誰に対しても優しい人にだって、そうする動機があるもんと違う?動機もなく、目的もなく、ただただ人に優しい人の優しさって、弱さと違うの?」
京子に対して潜在的にもっていた怒りなのか、上村への苛立ちか、和恵の語気は荒い。
「僕も人に優しくしている時、そうしておけば、きっとその人も僕に優しくしてくれるだろうって思ってるような気がすることがあるけど。そんなことかな?」
剣呑な空気を宥めようと、僕は口を挟む。
「そう!それって弱さ違う?言葉を替えれば、自己保身とも言えるけど……。うん。きっとそう!……大体柿本君て、何をしたいのかわからないし……」
頬にまだ酒の火照りを残した和恵の矛先が、突然僕の方を向く。上村はするりと身を逸らし、背もたれに沈み込む。
「確かに、ずっとそれを探してるような気がするんだけど…。でも…でも、みんなは見つけてるのかなあ、自分のやりたいこと…」
「そうやって観察ばかりしてて、飛び込んだことないのん違う?柿本君。人がどうこう言ってる間はあかんね!」
おっしゃるとおり!と心の中で叫びつつも、僕の中の好奇心は急速に冷え込んでいく。
そして気付いた。僕は、夏美さんにひとかたならぬ興味を持っていたんだ、京子や和恵は観察の対象ではあったが、興味の対象ではなかったんだ、と。
和恵と上村の間に何があったのかは知らないが、知りたいという気も起きない。となると、ここは退散すべきではないか……。
「批判されるのが嫌で逃げようとしてる?」
壁の時計を覗き見するようにしたのを見咎めて、和恵の声に激しさが増す。どうも、その怒りは尋常ではない。
「まあ、そう言うなや。こいつ、仕事してんねんで。時計見るの習慣になってるん違うか?なあ、柿本」
突然やけになれなれしく、しかも気持ち悪いくらい優しく上村が言った。和恵の言葉に従うなら、何らかの動機があってのことのはずだ。しかしそれがどうであろうと、僕には都合がいい。
「実は休みをもらってるんやけど、朝の仕込み、ずっと僕がやってたやろ、気になって…。それに、辞めさせてもらうことになってるし…。そうなると、余計気になるもんなんやねえ。……最後の休みだからやろか?……いつもは寝てる時間に起きれるやろか、コックさん、とか、ちょっと気になるなあ……」
気になどしていなかったのに、口にしている間にやけに気がかりになってくる。退散する積極的な理由としても歓迎できる。
そう思うと、むしろ気持ちが浮き立ってくる。早く店に帰らねば……。
「始発、もう出てるやろ?やっぱり気になってあかんわ。……ごめん。話の途中で。行くね」
立ち上がる僕を二人の目が追う。和恵の落胆と非難が綯い交ぜになったような目に対して、上村の目には喜びの輝きが感じられる。僕ははっきりと、二人が恋人同士だったんだと思った。そして途端に、深い疲労感が後頭部から爪先まで浸していくのを感じた。
つづきをお楽しみに~~。 Kakky(柿本)
第一章“親父への旅”を最初から読んでみたい方は、コチラへ。
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