昭和少年漂流記

破壊、建設、発展と、大きく揺れ動いた昭和という時代。大きな波の中を漂流した少年たちの、いくつかの物語。

第二章:1969年:京都新聞北山橋東詰販売所   とっちゃんの宵山 ①

2010年11月01日 | 日記

玄関ガラス扉を開けて正面、2階へと続く階段の下から3段目に、とっちゃんは大股開きで座っていた。タバコを挟んだ人差し指と中指を鼻の穴に突っ込み、入り口に向かってVサインをしているように見えた。

「ごめんくださ~い」。ちょっとひるんだ僕は、ぺこりと頭を下げ、小声で挨拶をした。

するととっちゃんは、フィルター部分まですっぽり口の中に納まっていたタバコを引き抜いた。ジュポンと音がしたような気がした。

タバコが抜けた口から煙をぶーと吐き出すと、「おっちゃ~~~ん。お客さんやで~~~」と奥の方に向かって叫んだ。向き直った顔は、人懐っこく笑っていた。

それが、とっちゃんとの初対面。1年余りの付き合いの始まりだった。

 

その年、1969年。10代終わりの年を迎えていた僕は、目標を見定める心の蓄えもないまま、“今、何を為すべきか?”を突きつけられているような思いだけが募り、ただ右往左往していた。

踏ん切りだ!決意だ!などと寝転がったまま想うだけではいけないと、自立への道へと飛び出した。しかし、“自立なくして自律なし!”とノートに大書し、潔く飛び出した直後には、もう途方に暮れていた。

外に出ていきなり浴びた春爛漫の日差しは、茫洋として掴みどころのない“これからの僕”を象徴しているようだった。

次第に“まあ、いいか。帰って寝るか”に傾いていく心を情けない思いで見つめながら鴨川の堤防を北上。そろそろ引き返そうと思った北山橋のたもとで見つけたのが“京都新聞販売所”の看板だった。小学生の時から新聞配達の経験がある僕には、馴染み深い看板だった。

入り口に近付いてみると、“新聞配達員募集中!”の貼り紙。これだ!これこそ、巡り合わせというものだ!と玄関を開けたのだった。

 

「なんや、とっちゃん!大きな声はあかん言うてるやろ!いつも。もう~」と、小太りのおっちゃんが奥から出てきた。歩くと汗ばむほどの陽気とはいえ、クレープのシャツにステテコという姿に、僕は思わず奥を覗き込むようにしていた顔をそむけた。

「なに?」と一瞬ギロリと僕に向けられたおっちゃんの大きな目は、すぐに柔らかくなった。「配達?したいん?」と、カウンターに手を掛ける。とっちゃんものそりと階段を離れ、近付いてくる。横に来てみると、身長165㎝くらい。僕より少し小さい。身を低くして見上げるように観察の態勢に入った顔の、顎のしゃくれがやけに気になる。

「そうなんです。大丈夫でしょうか?」と応えると、おっちゃんよりも早くとっちゃんが「ええんちゃう?なあ、おっちゃん」と反応する。

「とっちゃんは、黙っとき!」。おっちゃんにたしなめられるが、とっちゃんは蛙の面にションベンの風情。のそりと、階段に戻っていく。

途中でほとんどフィルター部分を残すのみとなっていたタバコの灰を落として叱られ、首をすくめる。下から3段目に腰を落ち着けたとっちゃんを確認し、おっちゃんはカウンターから少し身を乗り出す。

何か言いたげな風情に、おっちゃんに耳を寄せると「ちょっとな、遅れてるんや。気にせんといてや」と指先だけを頭へ向けて苦笑して見せる。「いえいえ、大丈夫です」と言い、思わずとっちゃんの方に目をやろうとすると、おっちゃんは小さく首を振り、「見たらあかん。見んといたって」と小声で言った。

 

*月曜日と金曜日に、更新する予定です。つづきをお楽しみに~~。

 

もう2つ、ブログ書いています。

1.60sFACTORYプロデューサー日記(脳出血のこと、リハビリのこと、マーケティングのこと、ペットのこと等あれこれ日記)

2.60sFACTORY活動日記(オーセンティックなアメリカントラッドのモノ作りや着こなし等々のお話)


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