珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

白か黒

2018-05-30 | 思うこと

ものごとの白黒は、あまりはっきりさせない方がいい。 

グレーにしておいた方がスムーズにく。

わかってますがな …

それはよくよく、知ってますけれども…

そんな時、私がやるのがこれである。 

リバーシゲーム!! 

オセロですね。

 

白か黒の二極しか見なくていい世界。 

いや、それしか考えちゃいけない世界。

答えがはっきり出るところがいいのか、時間がかからずに、すぐ決着するとことが好きなのか、実は私の暗い趣味の一つです。

将棋と同じで、コンピュータにも作った人の癖というか戦法パターンがあって面白い。 

心ゆくまで白黒はっきりしたい時は、ぜひリバーシゲームで\(^▽^)/

 

中級レベル

http://www.afsgames.com/reversi.htm

 

 

 

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文章の話

2018-05-30 | 思うこと
私の夫は作文を書くことと、人前で流暢にスピーチをすることがこの世でいちばん苦手のようである。
友人に送るちょっとしたメールに、3日も悩んで書いている姿を見て吹き出してしまうことがあるが、苦手とはこういうもの。
私にももちろん苦手はある。

しかし血を分けた義兄はその両方の玄人で、再販されるような本まで出版している。
兄弟でも全然違うものなんだなあ、とつくづく不思議に思う。
(ちなみに私が唯一ハマった、韓流ドラマの「兄嫁は19歳」という話に出てくる兄弟がそれとそっくりで笑ってしまった)

ところで紙で書く(書籍で書く)文章と、webの文章は、その基本が違うそうである。
どちらにしても文章がうまくなりたければ、ただたくさん書くのではなくて、基礎をしっかりと勉強してから書かないと全く上達しないと聞いた。
しかしながらwebの文章上達のセミナーはごくごく少ないそうで、でもブログなど書く人は興味を持っていい話だと思った。
勉強だのセミナーだのがそれこそ苦手で大嫌いな私も、これは受けてみたいなあと思っている昨今である。

すみません、また前置きが長くなりました。

先日、ブログを書いたことがある友人と、文章について話していた時のこと。
「どんな文章が好きか嫌いか」という話をしていたら、こんな意見があった。
「私はクサイ文章が嫌い」
例えば
「『彼女を見て大変だったなあ』と書けばいいだけのことを、『私は彼女を見て嗚咽が止まらなかった』なんて書く人がこっ恥ずかしくて読んでいられない」

笑った。
私は偉い先生もセミナー講師も知らないし、勉強したこともないけど、頷けた。
これが感覚というもの。

ネットって、ただでさえ万事が実態より大袈裟に伝わりがちで、読む方も何というか真に受けて熱くなりすぎてしまう。

感覚の鋭い人は、セミナーなんか受けなくていいよね。
うらやましいと思ったな。
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或る国語の授業2

2018-05-30 | 日記
小学校の時、教材が「物語」場合、先生は決まってこのパターンを言った。
「読んだあと、疑問に思うことを書きなさい」
その後、クラスの子全員の疑問を話の順番に並べて皆で考えていく、私はこの授業が好きだった。

覚えているのが「ごんぎつね」「めもあある美術館」「大造じいさんとガン」の三つがある。

私は「ごんぎつね」を読んでわからなかったのがこの一点。
ごんぎつねが兵十の採った魚を盗んだ時、「兵十は追いかけてこなかった」という一文を読んで、
「なぜ追いかけなかったのか?」
これが不思議でならず、皆も不思議に思ったにちがいない!と思っていた。
そしたら、そこは
「だって狐なんて足が速いし、追いかけても間に合うはずないじゃん」
という一人の発言であっさり終わってしまった。

そうなんだ…これは国語というより生物学を理解していたらわかる問題だったかもしれない。
私は反省した。

その代わり、親友だった頭のいい女子の
「兵十はごんぎつねを火縄銃で打ってしまった時、どんな気持ちだったのだろう?」
「それから彼はどんな気持ちで生きていったのだろう?」

という質問が、わざわざプリントに刷られて配られた。
す、すごい…こんなふうに書けばいいんだ…
私は感心した。
感心しすぎて結局、兵十はどんな気持ちだったのかは覚えてない。

「めもあある美術館」というのは、自分が生まれてから印象に残ったいろんな出来事が、男から案内された不思議な美術館に並んでいたというお話。
これは断然、これしかないだろう!と思った疑問がこれ。
「他の絵は全部美術館にあったのに、どうしておばあちゃんの絵だけ古道具屋にあったのか?」
(物語はそこから始まる。少年が「おばあちゃんだ!」と驚いてその絵を見ていたら、そこに現れた見知らぬ男がその絵を買って、美術館に案内するという話)
でもそれは
「人物の心情を読んでもわからない」という部類に入れられて、私の疑問は解決されなかった。

最後の「大造じいさんとガン」は速攻で、
「なんで残雪(ガンの名前)は鳥なのにあんなに頭がよかったのか?」
と書いて提出したら
「それは頭がよかったからだよ」と笑われて、何か文章そのものに疑問はないのか?と言われた。
え?だからなんでそこまで頭がよかったのか不思議なんだけど、それ以外で???
時間ギリギリまで考えたけど、それ以外別にわからないことはなかった。
仕方なく「別にありません」と書いて提出した。

「疑問、疑問」ってなんで先生はそんなに疑問を言わせたかったんだろう?
疑問をもつほど、成績がよくなるみたいな感じだった。
そして私の疑問はほとんど相手にされなかった。
実際、私の国語の成績は全然よくなかったし、作文も上手い人はいっぱいいた。

ちなみに「ごんぎつね」は時を超えて、娘も習った。
私に比べたらほんの数年前の話なのに、娘はよく覚えていないという。
「ああそういえば、ごんぎつねの地図を描いたよ。私は巣の近くに神社とコンビニを描いた」
神社はわかるけどコンビニ?!

彼女も将来、暇つぶしのブログくらいは書くかもしれないな(笑)
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