の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

海士潜女社

2010年07月21日 21時44分23秒 | 近畿(三重、和歌山)
■鳥居■
(13th October 2008)



★海士潜女社★ 三重県鳥羽市国崎町鎧崎 

・祭は潜女。海女のおべんのことという。

・土地の傳承によれば、倭姫命が國崎の鎧崎に着いた時、海女のおべんというものが海潜りをしており、採った鮑と栄螺を燒いて差し上げたところ、命は大変ご賞味になり、非常に氣に入り、「是非、大に献上するように」と言い、立ち去ったそうだが、この後、約を奉じて國崎から毎年、鮑を熨斗にして納めることになったのであるが、おべんはのちに蜑御前として祠に祭られたといい、それが、創祀傳承である。

・おべんの後裔という辻家は、近代まで生まれる子が女子ばかりで養子取りをしていたといい、たまに生まれる男子は若死にするといわれていたそうである。

・『外宮舊樂歌』に「國崎にはつづみの御前、白髭の御前、つるぎの御前、ひめ社」と歌われているが、當社はこのなかの「ひめ社」にあたる。

・天保年間、近くの松永という地の松林で偶然、古墳が発掘され、石棺のなかに、顔面骨、四肢骨などがはっきりと殘っており、村人がおべんの墳墓だと大騒ぎしたことが傳えられている。

・明治二年(1869)に海士潜女社と名稱を改めた。

・明治三十九年(1906)、境内社劔宮社、白髭大明、八雲社、鏡宮社、鎧崎社、伊雑宮社、山社、また、字宮谷の無格社八幡社、字海間谷の無格社風宮社、字大津坂の無格社土宮社、月讀宮社、その境内社稀人社および社、無格社水社を合祀、さらに翌年、字宮ノ谷の村社明社、その境内社熊野社および八柱社を合祀し、村社に列した。

・かつて、舊六月一日には、伊勢宮へ御饌料として献ずる鮑を採取する儀式「御潜事」が行われていたが、明治五年(1972)、國崎村の御贄貢進廃止とともに斷絶となった。しかし、熨斗鮑調進は古例とし、現在も引き繼がれている。

・年の初めの漁が始まる前に海女達は必ずここを訪れ一年の無事と大漁を祈願するという。


■參道と拜殿■
(13th October 2008)



■本殿■
(13th October 2008)



■伊勢宮調進所■
(13th October 2008)


 熨斗鮑作る作業が行われるところ。平成十五年(2003)十一月、秋篠宮殿下、紀子妃殿下、および眞子内親王が来られた時に紀子妃殿下が詠まれた歌が石碑になっている。


■鎧崎の海■
(13th October 2008)



((コメント))

2008年10月13日

 海士潜女社を目指し、近くまで行ったのであるが、ナビには映るものの入り口もわかりにくく、車を停める所もなく、これが社のはずなのだが、と思いつつも確信がなく、ものすごく細い漁村の道を入って行くと、シルバーカーを押したおばあさんが通りかかったので、道を尋ねたら、「ああ、皇太宮のな・・・」といって、教えてくれ、さらに、海のほうを指差して、あちらには熨斗鮑を作るところがあるから、見て行きなさい、と言ってくれたので、後ほど見に行くことにした。

 さて、社であるが、非常にこじんまりした寂しい感じのするところである。氣などはないが、村の方に見守られて手入れはされている感じだ。村の人々にとっては、おべんさんは大切な人だから。古えの社というものではないが、何となく、村人や村への訪問者を包み込んでくれそうなところではある。


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