の坐すと地と魂の鎭まる地

社や陵、墓所についてや、について勝手氣ままに綴っていきます。

伊達社

2010年05月28日 02時15分00秒 | 近畿(三重、和歌山)
■鳥居■
(28th April 2009)



★伊達社★ 和歌山県和歌山市園部1580

・延喜式内社、紀伊國名草郡、伊達社、名大。

・舊社格は郷社。

・祭は五十猛命、八井耳命。相殿に市杵島姫命。本來、伊達(イタチ、イタテ)一神。伊達を五十猛命と同一視している。

・志磨社、靜火社とともに「紀三所」とされるが、これは、祭をそれぞれ建速須佐之男命の子である五十猛命、大屋津比賣命、都麻津比賣命に見立てての名稱である。ただし、志磨社、靜火社に關しては疑問が殘るとされる。

・八井耳命は園部の氏とされており、園部氏がその後裔であると言っているが、当社に合祀された時期や事情は不明である。

・中世以来、五十猛命の父神素盞嗚命を合わせ祀り、祇園牛頭天王と稱していたという。

・織田信長の紀伊國侵入により社殿が破壊され、寶、文書の類がすべて紛失したため、社記は殘っていない。

・寛保年間(1741-1744)、和歌山城下小野町の吹上社が「当社こそが式内伊達社である」と主張し、和歌山藩がその主張を認めたために「伊達社」の社名は吹上社に移り、当社は鎭座地名から「薗部社」に改稱させられた。後にその主張は誤りであることが判明し、明治時代に「伊達社」に復した。

・伊達は船のとしての性質が強いが、これは、五十猛が紀州の山の、樹木のであり、その靈はそのまま、杣山の樹から伐り出した材木で作った船の守りになる、という思想によると考えられている。


■拜殿■
(28th April 2009)



■本殿■
(28th April 2009)



■木■
(28th April 2009)



((コメント))

2009年4月28日

 園部にある延喜式内名大社イタチ社。園部というと、社どころか、どうしても、「毒物カレー事件」「林眞須美死刑囚」が頭に浮かび上がってしまうのだが、そういう事件の起こった集落に伊達社は鎭座している。車を停めるところもない狭い路地の中にぽつんと社は鎭座していた。正直、名大社とはいうものの、個人的にはあまり感じるところはないような社であった。がいなくなったというか、殘り香を感じるか感じないか、というような感覚であった。


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