■中門■
(16th May 2009)
★金鑽神社★ 埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮
・延喜式内社、武藏國兒玉郡、金佐奈神社、名神大。
・旧社格は官幣中社。
・祭神は『金鑽神社鎮座之由来記』、『金鑽神社明細帳』によると、天照大神、素戔嗚命、日本武尊の三柱であるが、『新編武蔵風土記稿』には、「神体金山彦尊、或ハ素戔嗚命トモ云」とあり、『大日本地名辞書』もこの説を引き、次のように記している。
「神祇志料云、金佐奈神社の後なる山を金華山といふ、銅を掘し岩穴今現存すと云へり、之に拠るに、金佐奈盖金砂の義、其銅を出す山なるを以て、之を神とし祭る事、陸奥八溝黄金神社のごときか。」
「甲子夜話云、児玉郡金鑽村、神社のほとり、大石あり、土中に埋りて其ほど知らず、顕はれたる所、一丈に九尺ほどなり、色は柿色にしてこれに向へば鏡にうつる如く、人影見ゆるとぞ。」
・標高約三百メートルの御室山を神体山とし、その麓に鎮座。
・本殿がなく、典型的な神体山信仰の形を残す。また、御室山の背後には浅い谷を隔てて御嶽山があり、その山頂には磐座状の巨岩がある。
・八幡山ほか二十二ヶ村の総鎮守。
・鎌倉時代には武蔵七党の一、児玉党の尊信厚かった。
・九郷用水の守護神。
・『金鑽神社鎮座之由来記』によると、景行天皇四十一年、日本武尊が東征の折、東国を治めるため、倭姫命より賜わって草薙剣とともに常に携えていた火打金を御霊代に天照大神と素戔嗚命を祭り、金鑽神社と名づけて関東総鎮守とし、さらに、欽明天皇二年、その日本武尊が合祀され、勅幣を奉られたという。
・『金鑽神社明細帳』によると、延暦二十年(801)、坂上田村麻呂が夷蝦地平定を奏請し、永承六年(1051)には源義家が奥州平定を奏請して大虎、小虎の琵琶二面を奉納したと伝えられる。
・金鑽は金砂の意味であり、御嶽山を金華山といい、山腹に銅を掘った跡があるという。
・現社地の北東四百メートルほどのところに、旧社地と伝えられるところがあり、飛び地境内社元森神社が鎮座するが、御室山がひときわ美しく仰がれる地点で、原初の遥拝地点ともいう。
・一般に武蔵国二之宮とされているが、これは一之宮を氷川神社とした近世のものに基づいており、本来の一之宮を小野神社とする格付けに対しては武蔵國五之宮とされており、それが本来の位置づけである。
■多宝塔■
(16th May 2009)
国重要文化財
・三間四面の杮葺、宝塔に腰屋根がつけられた二重の塔婆。
・天文三年(1534)に阿保郷丹荘豪族の阿保弾正全隆(武蔵七党丹党支流阿保氏)が寄進したもの。
・塔の真柱に「天文三年庚午八月晦日、大旦那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。
■参道■
(16th May 2009)
■旗懸銀杏■
(16th May 2009)
八幡太郎源義家、康平五年(1062)、奥州平定の帰路に奉賽のため植えつけたものの二代目。
■手水舎■
(16th May 2009)
■拝殿■
(16th May 2009)
■末社群■
(16th May 2009)
■鏡岩への道■
(16th May 2009)
■鏡岩■
(16th May 2009)
国特別天然記念物
・約一億年前にできた岩断層活動のすべり面という。
・断層の両側面が強い摩擦力によって鏡のように光ってなめらかになり、物の姿を映すということから鏡岩と呼ばれるようになったという。
((コメント))
2009年5月16日
一年前の東日本征伐のときにも偶然立ち寄っているが、時間的な問題と詳しい情報を持っていなかったことから鏡岩に行っていなかったので、今回、是非にと思い、行った。実はこの日の予定ではなかったが、天気予報がイマイチだったので急遽変えたのであった。ちなみに、去年の段階で行っていても十分いける距離であったことがわかった・・・
個人的には、祭神のこともあり、さほど好きな神社ではないのだが、立派なところではあると思う。真の武蔵國一之宮小野神社が小さいので余計にそう思ってしまうのかもしれない。鏡岩は、光っていなかった・・・
(16th May 2009)
★金鑽神社★ 埼玉県児玉郡神川町字二ノ宮
・延喜式内社、武藏國兒玉郡、金佐奈神社、名神大。
・旧社格は官幣中社。
・祭神は『金鑽神社鎮座之由来記』、『金鑽神社明細帳』によると、天照大神、素戔嗚命、日本武尊の三柱であるが、『新編武蔵風土記稿』には、「神体金山彦尊、或ハ素戔嗚命トモ云」とあり、『大日本地名辞書』もこの説を引き、次のように記している。
「神祇志料云、金佐奈神社の後なる山を金華山といふ、銅を掘し岩穴今現存すと云へり、之に拠るに、金佐奈盖金砂の義、其銅を出す山なるを以て、之を神とし祭る事、陸奥八溝黄金神社のごときか。」
「甲子夜話云、児玉郡金鑽村、神社のほとり、大石あり、土中に埋りて其ほど知らず、顕はれたる所、一丈に九尺ほどなり、色は柿色にしてこれに向へば鏡にうつる如く、人影見ゆるとぞ。」
・標高約三百メートルの御室山を神体山とし、その麓に鎮座。
・本殿がなく、典型的な神体山信仰の形を残す。また、御室山の背後には浅い谷を隔てて御嶽山があり、その山頂には磐座状の巨岩がある。
・八幡山ほか二十二ヶ村の総鎮守。
・鎌倉時代には武蔵七党の一、児玉党の尊信厚かった。
・九郷用水の守護神。
・『金鑽神社鎮座之由来記』によると、景行天皇四十一年、日本武尊が東征の折、東国を治めるため、倭姫命より賜わって草薙剣とともに常に携えていた火打金を御霊代に天照大神と素戔嗚命を祭り、金鑽神社と名づけて関東総鎮守とし、さらに、欽明天皇二年、その日本武尊が合祀され、勅幣を奉られたという。
・『金鑽神社明細帳』によると、延暦二十年(801)、坂上田村麻呂が夷蝦地平定を奏請し、永承六年(1051)には源義家が奥州平定を奏請して大虎、小虎の琵琶二面を奉納したと伝えられる。
・金鑽は金砂の意味であり、御嶽山を金華山といい、山腹に銅を掘った跡があるという。
・現社地の北東四百メートルほどのところに、旧社地と伝えられるところがあり、飛び地境内社元森神社が鎮座するが、御室山がひときわ美しく仰がれる地点で、原初の遥拝地点ともいう。
・一般に武蔵国二之宮とされているが、これは一之宮を氷川神社とした近世のものに基づいており、本来の一之宮を小野神社とする格付けに対しては武蔵國五之宮とされており、それが本来の位置づけである。
■多宝塔■
(16th May 2009)
国重要文化財
・三間四面の杮葺、宝塔に腰屋根がつけられた二重の塔婆。
・天文三年(1534)に阿保郷丹荘豪族の阿保弾正全隆(武蔵七党丹党支流阿保氏)が寄進したもの。
・塔の真柱に「天文三年庚午八月晦日、大旦那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。
■参道■
(16th May 2009)
■旗懸銀杏■
(16th May 2009)
八幡太郎源義家、康平五年(1062)、奥州平定の帰路に奉賽のため植えつけたものの二代目。
■手水舎■
(16th May 2009)
■拝殿■
(16th May 2009)
■末社群■
(16th May 2009)
■鏡岩への道■
(16th May 2009)
■鏡岩■
(16th May 2009)
国特別天然記念物
・約一億年前にできた岩断層活動のすべり面という。
・断層の両側面が強い摩擦力によって鏡のように光ってなめらかになり、物の姿を映すということから鏡岩と呼ばれるようになったという。
((コメント))
2009年5月16日
一年前の東日本征伐のときにも偶然立ち寄っているが、時間的な問題と詳しい情報を持っていなかったことから鏡岩に行っていなかったので、今回、是非にと思い、行った。実はこの日の予定ではなかったが、天気予報がイマイチだったので急遽変えたのであった。ちなみに、去年の段階で行っていても十分いける距離であったことがわかった・・・
個人的には、祭神のこともあり、さほど好きな神社ではないのだが、立派なところではあると思う。真の武蔵國一之宮小野神社が小さいので余計にそう思ってしまうのかもしれない。鏡岩は、光っていなかった・・・