『与えられた任意の角を、三等分する線分を、コンパスと定規を使って作図する』
これは、「角の三等分問題」と言われるもので、数学的に、不可能であることが証明されています。もちろん、特定の角度であれば、可能です。例えば、直角ならば、30度を作図すればよいので、簡単に出来ます。
しかし、ぽんと与えられた、任意の角に対しては、どんなに頑張っても、三等分線を引くことは出来ない。
ところが、世の中には、「出来ない」「不可能」という言葉が、大嫌いなひとがいる。「弱気過ぎる」「努力もしないで言うな」「頑張れば、不可能なことなんてない」と猛反発する。そして、「じゃあ、オレが作図してやる」と、本当に、三等分線を引こうとする。
これが、「角の三等分家」で、アメリカでは、結構な数、いるそうです。彼らは、「作図例」を、大学などに送ってくる。もちろん、送られてくる「作図例」は、全部、間違いです。一見どんなに上手くいってるように見えても、100%、誤りがある。それは、見る前から分かっている。
では、『宇宙人は、地球に来ている』という主張は、どうでしょう。「証拠」を見る前に、100%否定出来るでしょうか?
色んなブログを読んでいると、「宇宙人は存在するけど、地球には来ていない」という考え方のひとが、多い気がします。
近年、太陽系以外にも、数多くの惑星系があることが、分かってきて、その中には、地球に近いタイプの惑星も、ちらほら見つかり始めている。我々の太陽系は、特別な存在というより、あまたの惑星系の一つに過ぎない可能性が、高くなっている。こういう話を聞くと、宇宙人がいても、不思議じゃない気持ちになります。
さらに、NASAが、「火星には生命の痕跡があるかもしれない」、「木星の衛星には、水があって、生命が存在するかもしれない」など、地球外生命体の存在に、期待を持たせる発言をする。なぜか、予算の時期に合わせて情報が出てくる(笑)。このことも、「宇宙人の存在」を信じる気持ちを、後押ししているかもしれません。
一方、「UFOに乗って、地球に来ている」可能性は、確かに、低いように見えます。まず、宇宙は、ものすごく広い。例えば、地球から100光年という、ごく近くに宇宙人がいて、光速の百分の一という、べらぼうなスピードでUFOを飛ばしても、我々と会うのに、1万年掛かる。1000光年なら、10万年。遠い、遠すぎる。
こういう距離の壁に加えて、時間の壁もあります。例えば、宇宙の年齢を100億年、地球の有史文明の歴史を5千年とします。すると、宇宙の歴史を1年間に置き換えると、我々の文明は、たった16秒しか、存在していない計算になる。
ある人に会うため、家を訪ねる。でも、その人は、1年に16秒しか家にいない。これは、相当に会うのが難しい。
ただ、ある日道を歩いていて、空から円盤が降りてきて、中から、ETみたいなのが出てきて、「ヤア、コンニチハ、トオクノギンガカラヤッテキタモノデスガ、ソレガナニカ?」と言われた瞬間、こういう議論は吹っ飛んじゃいます。はい、宇宙人は間違いなく存在します、しかも地球に来てます(笑)、という感じに。
距離の壁、時間の壁は、ものすごく大きいけど、宇宙人に出会える可能性はゼロじゃない。出会えたら奇跡に近いけど、絶対あり得ない、とは言えない。可能性がゼロであるのと、低いけど、ゼロではないのと、この違いは、非常に大きい。
つまり、UFOの写真、ビデオ、目撃談などは、「角の三等分線の作図例」と違って、見る前から、嘘だと決めつけられない。丹念に、一個ずつ吟味して、偽物か、本物か、見分けなきゃいけない。何万という「UFOの証拠」が、間違いであっても、もし、一つでも、確かなものがあったら、それだけで宇宙人とUFOの存在が証明される。
そういう意味では、「UFO研究家」は、角の三等分家ではない。矢追純一氏のレポートの中に、本物のUFOが混ざっている可能性を、完全否定はできない。いつも、大槻教授に怒られてる、UFO雑誌編集長の韮崎さんも、一つの本物を持ってくれば、人類史上に名を残す人物になってしまう(笑)。
このギャンブル感、大穴ねらい感が、UFO情報を吟味するときの醍醐味ですね。次こそは本物があるんじゃないか、次こそは何か来るんじゃないか。その期待感で、多くの人が、UFOに、夢中になるのかもしれません。
これは、「角の三等分問題」と言われるもので、数学的に、不可能であることが証明されています。もちろん、特定の角度であれば、可能です。例えば、直角ならば、30度を作図すればよいので、簡単に出来ます。
しかし、ぽんと与えられた、任意の角に対しては、どんなに頑張っても、三等分線を引くことは出来ない。
ところが、世の中には、「出来ない」「不可能」という言葉が、大嫌いなひとがいる。「弱気過ぎる」「努力もしないで言うな」「頑張れば、不可能なことなんてない」と猛反発する。そして、「じゃあ、オレが作図してやる」と、本当に、三等分線を引こうとする。
これが、「角の三等分家」で、アメリカでは、結構な数、いるそうです。彼らは、「作図例」を、大学などに送ってくる。もちろん、送られてくる「作図例」は、全部、間違いです。一見どんなに上手くいってるように見えても、100%、誤りがある。それは、見る前から分かっている。
では、『宇宙人は、地球に来ている』という主張は、どうでしょう。「証拠」を見る前に、100%否定出来るでしょうか?
色んなブログを読んでいると、「宇宙人は存在するけど、地球には来ていない」という考え方のひとが、多い気がします。
近年、太陽系以外にも、数多くの惑星系があることが、分かってきて、その中には、地球に近いタイプの惑星も、ちらほら見つかり始めている。我々の太陽系は、特別な存在というより、あまたの惑星系の一つに過ぎない可能性が、高くなっている。こういう話を聞くと、宇宙人がいても、不思議じゃない気持ちになります。
さらに、NASAが、「火星には生命の痕跡があるかもしれない」、「木星の衛星には、水があって、生命が存在するかもしれない」など、地球外生命体の存在に、期待を持たせる発言をする。なぜか、予算の時期に合わせて情報が出てくる(笑)。このことも、「宇宙人の存在」を信じる気持ちを、後押ししているかもしれません。
一方、「UFOに乗って、地球に来ている」可能性は、確かに、低いように見えます。まず、宇宙は、ものすごく広い。例えば、地球から100光年という、ごく近くに宇宙人がいて、光速の百分の一という、べらぼうなスピードでUFOを飛ばしても、我々と会うのに、1万年掛かる。1000光年なら、10万年。遠い、遠すぎる。
こういう距離の壁に加えて、時間の壁もあります。例えば、宇宙の年齢を100億年、地球の有史文明の歴史を5千年とします。すると、宇宙の歴史を1年間に置き換えると、我々の文明は、たった16秒しか、存在していない計算になる。
ある人に会うため、家を訪ねる。でも、その人は、1年に16秒しか家にいない。これは、相当に会うのが難しい。
ただ、ある日道を歩いていて、空から円盤が降りてきて、中から、ETみたいなのが出てきて、「ヤア、コンニチハ、トオクノギンガカラヤッテキタモノデスガ、ソレガナニカ?」と言われた瞬間、こういう議論は吹っ飛んじゃいます。はい、宇宙人は間違いなく存在します、しかも地球に来てます(笑)、という感じに。
距離の壁、時間の壁は、ものすごく大きいけど、宇宙人に出会える可能性はゼロじゃない。出会えたら奇跡に近いけど、絶対あり得ない、とは言えない。可能性がゼロであるのと、低いけど、ゼロではないのと、この違いは、非常に大きい。
つまり、UFOの写真、ビデオ、目撃談などは、「角の三等分線の作図例」と違って、見る前から、嘘だと決めつけられない。丹念に、一個ずつ吟味して、偽物か、本物か、見分けなきゃいけない。何万という「UFOの証拠」が、間違いであっても、もし、一つでも、確かなものがあったら、それだけで宇宙人とUFOの存在が証明される。
そういう意味では、「UFO研究家」は、角の三等分家ではない。矢追純一氏のレポートの中に、本物のUFOが混ざっている可能性を、完全否定はできない。いつも、大槻教授に怒られてる、UFO雑誌編集長の韮崎さんも、一つの本物を持ってくれば、人類史上に名を残す人物になってしまう(笑)。
このギャンブル感、大穴ねらい感が、UFO情報を吟味するときの醍醐味ですね。次こそは本物があるんじゃないか、次こそは何か来るんじゃないか。その期待感で、多くの人が、UFOに、夢中になるのかもしれません。