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ジャン・アレチボルトの冒険

ジャンルを問わず、思いついたことを、書いてみます。

内閣不信任案は無責任政治の再臨界

2011-06-01 09:47:27 | 原発事故
海水注入の中断問題では「可能性はゼロではない」=「事実上ゼロ」という班目委員長のウルトラCが物議をかもした。

しかし、多くの専門家の話を聞いていると、福島第一原発では、どうやら今でも再臨界の「可能性はゼロではない」ようだ。

燃料棒の間に制御棒が入ると、多量の中性子を介した連鎖的な核分裂反応は停止して、後は核崩壊による崩壊熱だけが問題となる。反応停止は燃料棒の形や相互の距離といった空間的な要因に負うところが大きい。

しかし、福島の事故のように、核燃料が溶け落ちて圧力容器や格納容器の底に不定形の塊となって存在している場合は、核分裂の連鎖を抑制する原子の空間配置が失われるので、話は違ってくる。とくに核燃料が高温で液化していると、原子の動きはさらに自由度を増すので、局所的で小規模な連鎖核分裂が今現在起こっている可能性も否定できない。

さらに、もし何かのはずみで溶融した核燃料の形が急激に変わると、大規模な連鎖核分裂、つまり再臨界が起こる可能性もゼロではないらしい。

例えば、3号機原子炉は、プルトニウムを混ぜた核燃料で発熱量が大きく、未だに相当な高温状態が続いている。つい最近も炉内温度が300度近くまで上昇したというニュースが流れた。その後、100度台まで下がったそうだが、安心できる状況からはほど遠い。

原発事故発生から二ヶ月半。事故処理は順調に進み、危機的状況は脱したという雰囲気が日本を覆いつつある。危機感の欠如は、とくに中央の政治家たちに著しい。その好例が、菅政権への内閣不信任案提出である。

しかし、大きな問題がないように見えるのは、東京電力が大きな問題を見せないからに過ぎない。溢れかえる高濃度汚染水や「可能性はゼロではない」再臨界など、事故の状況は予断を許さない。

もし解散総選挙や内閣総辞職となって、連立だ、新党だと騒いでいるときに、福島第一原発で再臨界が起り、水蒸気爆発によって原子炉が吹き飛んで、広範囲に放射性物質が降り注ぐことになったら、一体誰が事態収拾に当たるのだろうか?

また、東電や保安院が汚染水の一部海洋投棄を画策し始めたら、誰がそれを抑えて、周辺国や国際機関の懸念を払拭するのだろうか?

尖閣諸島の中国船による領海侵犯事件は、鳩山首相退陣表明後の民主党代表選挙という政治空白期間に起こり、政府は素早い対応が取れず、その後日本は外交上厳しい立場に立たされた。

イラ菅だ、指導力不足だ、市民運動家だと、与野党で政治ごっこをしているだけならまだ害は少ないが、不信任案可決という不要不急の政治空白を作って、再び日本を危機に晒すことは許されない。

福島第一原発の再臨界と同様、不信任案可決も「可能性はゼロではない」らしいが、後者は容易に防ぐことができる。国会議員は、それがもたらす破壊力を十分に考えて行動すべきである。

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事故処理が破綻しつつある ~ 溢れかえる放射性汚染水 (2011/05/31)

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事故処理が破綻しつつある ~ 溢れかえる放射性汚染水

2011-05-31 09:54:45 | 原発事故
毎日500トンを優に超える水が、全炉心溶融を起こした原子炉に注入され、壊れた圧力容器と格納容器から漏れて高濃度汚染水となり、原子炉建屋、タービン建屋の地下やトレンチに溜まっていき、現在では10万トンに迫るまでに増大している。

汚染水の一部は、集中廃棄物処理施設などに移送しているが、容量が足りないため、すぐに満杯となり焼け石に水の状態である。

東京電力は、5月17日に改訂版「工程表」を発表し、「循環注水冷却」なる方式を打ち出した。タービン建屋地下の汚染水を「浄化」して再び「注水」するという。

穴の開いた格納容器を「水棺」処理する案と比べると、まだ現実的だと言う声もあるが、大きな問題を無視しているという点では、「水棺」と五十歩百歩である。

タービン建屋の地下やトレンチは、水を溜める構造にはなっていない。そのため、そこにある汚染水の一部は、土壌や地下水脈そして海へ、恒常的に漏れ出している可能性が高い。

従って、タービン建屋地下やトレンチに汚染水があることを前提とした「循環注水冷却」は、非常に無責任な発想である。深刻な土壌汚染や海洋汚染が、今現在起りつつあるかもしれないという危機感が圧倒的に欠けている。

さらに、汚染水の「浄化」に関して、政府・東電の統合本部は、アレバ社などが提供する処理設備が来れば、問題が解決するかのような話を繰り返しているが、これも現実離れした認識だ。

この処理過程は、油の除去、放射性物質のゼオライトによる除去、沈殿による除去、脱塩の四つに分かれているそうだ。つまり、それぞれの過程で、放射性廃油、放射性ゼオライト、放射性沈殿物、放射性塩という四種類の廃棄物が出ることになる。

四つの異なる廃棄物を取り外し・運搬・保管するためには、四種類の作業ラインが必要であり、それぞれが超高線量の放射性廃棄物であることを考えると、大量の人員による危険な作業が不可欠となる。

従って、この廃棄物の取り外し・運搬・保管が汚染水「浄化」の律速段階となり、全体の処理スピードは相当に遅いものとなる可能性が高い。また、作業員の累積被ばく線量は背筋の凍る速さで上昇するため、事故処理を引き受けてくれる日本の人的資源は、瞬く間に枯渇していくだろう。

「循環注水冷却」には、最低でも毎日500トン以上の汚染水処理が必要であるが、作業員の被ばくを抑えつつ、どうやってこのスピードを実現するのか、政府・東電からは何の説明もない。

結局、一番現実的で、一番やらなければならない仕事は、建屋やトレンチに溜まった汚染水を、出来る限りの量、保管能力のよりしっかりとした場所に大急ぎで移すことである。とにかく1センチでも水位を下げて、1トンでも汚染水を管理できる場所に移すことだ。水位に余裕ができれば、大雨にも対処し易くなる。

当然、大容量のタンクやプール、あるいは大型タンカーなどが次々と必要になるが、躊躇している暇はない。

しかし、事故発生以来二ヶ月以上が経過したにも関わらず、汚染水を収容するタンクの準備は遅々として進んでいない。それどころか、現実離れした「水棺」や「循環冷却」にこだわって、徒に人的資源を浪費している。

その間に、原子炉建屋地下、タービン建屋地下、トレンチ、さらには移送先施設地下にまで放射性汚染水が溢れかえり、いよいよ抜き差しならない状態に陥りつつある。

甘い見通しを繰り返しながら、どんどん事態が悪化していく。すでに福島第一原発事故は、間違った事故処理を続けた挙句の人災となっている。

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吉田所長の処分という茶番劇

2011-05-30 05:19:49 | 原発事故
1) 吉田所長が現場判断で注水継続と発表
2) 正しい判断だったが、報告に問題があったと指摘
3) 所長の処分検討を示唆
4) 所長の処分に反対する世論が形成
5) 処分はうやむやになり、真相解明の機運が後退
6) 誰も責任を問われず、騒動は終了

おそらく東京電力の誰かがシナリオを書いた出来の悪い三文芝居だが、菅首相が吉田所長の処分に反対するなど、筋書き通りに事が進んでいる。

しかし、この茶番劇は見苦しいだけでなく、極めて悪質である。一週間に渡って誤った情報を流し続けた東電の責任と真意を曖昧にしようとする意図が背後に見え隠れしている。

東電本店は、3月12日の午後に何があったかについて、その都度の政治状況を睨みながら情報を小出しにし、最後には「注水中断」そのものを否定して、事実関係すら変更してしまった。

自民党の安倍元首相が、官邸による1号機への注水中断を、5月20日に指摘したのが今回の騒動の発端と言われているが、東電幹部が真剣に調べれば、中断がなかったことをすぐに発表出来たはずである。

しかし、菅首相の責任問題にまで発展したにも関わらず、東電は情報を二転三転させて、本当のことを語ろうとしなかった。

まるで、自民党の動き、民主党の動き、政府の動き、そして内閣不信任案の動向を見極めながら、東電を守るための政治カードとして持っていたかのようだ。

そして、今語っていることが本当かどうかさえも怪しい。

安倍元首相に注水中断という情報を流したのは誰なのか?それは何のためなのか?そして、吉田所長はなぜ事実を隠していたのか。そもそも本店は所長に中断命令を出したのか。

明らかにすべきことは山ほどあるが、吉田所長の処分問題にすり替わってしまい、どうやら闇に葬り去られそうだ。

原発事故を起こし、巨額の賠償責任を背負う東電が、事故の詳細や処理の経緯についての情報をすべて握っている。しかも、政界、産業界、学界そしてマスメディアに、今でも太いパイプと大きな影響力を保持している。

今回の注水中断をめぐる茶番劇は、東電に対する事故責任追及が、いかに困難な道のりであるかを、あらためて浮き彫りにする結果となった。

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本当に吉田所長の独断だったのか? (2011/05/28)
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本当に吉田所長の独断だったのか?

2011-05-28 11:13:12 | 原発事故
3月12日午後の出来事、
午後2時53分、1号機原子炉への真水の注水が停止
午後3時36分、水素爆発
午後6時から、官邸が海水の注水について会議を開始
午後7時4分、海水の注水開始 (官邸は知らなかったと主張)
午後7時25分、東京電力本店と第一原発を結ぶテレビ会議で注水の中断を決定
午後7時55分、菅首相が海水の注水を指示
午後8時20分、東電に吉田所長名で注水再開の連絡
(Ref.:日本経済新聞Web刊2011/5/21 、YOMIURI ONLINE 2011年5月26日)。

5月26日の記者会見で、東電の武藤副社長は、吉田第一原発所長が午後7時25分の中断指示に従わず注水を続けたので、結果として中断はなかったと発表した。

しかし、東電が発表した3月12日の経緯には、不思議な点がいくつかある。

まず気になるのは、午後7時55分の首相指示を受けて、東電幹部の誰かが吉田所長に注水を再開するよう伝えたはずだが、誰がいつどういう形で連絡したのか、それについての情報がない。

東電本店は、テレビ会議の後、注水は中断されていると思っていたのだから、再開の指示は大きな出来事で、伝達した人物はそれを記憶しているはずだし、何らかの記録があってもおかしくない。

注水再開の指示は、東電にとって何ら不利な事実ではないので、情報が出てこないということは、誰も指示を出さなかったということだろうか。

だとすれば、当時、東電本店は、注水は中断せずに続けられているという認識を持っていたことになる。

また午後8時20分に、吉田所長から注水再開の連絡が文書で来たそうだが、これもおかしな話だ。

第一原発が修羅場と化している状態の中、わざわざ吉田所長名で「注水を再開した」という文書を作って、本店に送ってくるだろか。一本電話をすれば済むことだ。

ましてや、吉田所長は本店を欺いて注水を続けていたのだから、中断や再開に関して、本店宛に何かの記録を残すようなことを自発的にするとは思えない。

さらに、吉田所長が今になって本当の事を話した理由が「IAEAの視察が来るから」というのもピンとこない。現場監督の声というより、まるで幹部エリートの作文のようである。

これらの疑問を上手く説明できる仮説が一つある。

午後7時4分、すでに海水の注水を始めていた東電は、その頃、官邸が再臨界を懸念して会議を開いていることを知って慌てた。官邸の意見を聞かず注水したことを、後で、叱責されるかもしれない。

そこで、午後7時25分にテレビ会議が開かれ、すでに始まっていた注水の中断が話し合われた。しかし、はっきりとした結論は出ず、しばらく様子を見ることになり、吉田所長はそのまま注水を続けた。

午後7時55分に菅首相が注水を指示して、ようやく後追いの形だが、官邸のゴーサインが出た。ただ、困ったことが一つ。首相指示の一時間近く前から注水を始めていたことが発覚すると、菅首相の面目は丸つぶれになる。

そこで、菅首相の指示はちゃんと守りましたよ、という証拠を残すために、東電の誰かが吉田所長に一筆書かせた。海水の注水を開始したという旨の文書で、午後7時55分以降の時刻が入っている。

これが3月12日午後の出来事に対する仮説である。さらに、現在起っていることに対して仮説を続けると、

最近になって、午後7時4分の注水開始は、官邸の知るところとなった。そこで今度は、午後7時25分に行ったテレビ会議で、本店が指示を出して、現場に注水を中断させたことにした。官邸の意向は尊重しているというアピールである。

このとき、吉田所長の文書は中断していた注水を再開した証拠という新たな意味を与えられた。

ところが、中断という言葉が一人歩きを始める。菅首相が注水を中断させたという噂が流布して、国会で大きな問題となり、官邸が本腰を入れて調査に乗り出すに至った。ここにきて、ようやく東電幹部は、中断はなかったという事実を認めざるを得なくなった。

ただ中断なしを認めると、テレビ会議で中断を指示したという主張の信憑性が疑われてしまう。そこで、吉田所長が本店の指示に背いて注水を続けたというストーリーが登場した。

もちろん、これは単なる仮説に過ぎない。また、他の仮説を排除するものでもない。

しかし、この仮説を検証する方法はある。仮説が正しければ、午後8時20分の文書は官邸を意識したものであるので、「中断」や「再開」という文字はなく、「注水開始」とだけ書かれているはずである。そもそも官邸は、中断どころか、開始すら知らなかったのだから。

一方、もし「中断」や「再開」という言葉が出てくれば、注水は中断していたという認識が東電にあったことが示されるので、仮説は手直しを迫られる。その場合、なぜ吉田所長が本店にわざわざ文書を送ったのかが新たな疑問となる。

従って、この文書を調べれば、そのとき何が起っていたのか、推測する有力な手掛かりとなるだろう。

真実がどうだったかは別にしても、東電が中断していなかったものを、中断していたと発表し、国会での貴重な時間を浪費させたことは間違いない。この会社を存続させる意義が、ますます小さくなったことだけは確かである。

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問題は3月12日ではなく3月11日以前だ

2011-05-27 06:02:09 | 原発事故
海水を注入する行為は正しく、中断させようとしたことは誤り。

3月12日の海水注入に関して、「犯人さがし」をしている人たちが持っている共通認識である。

この認識が出てくるのは、福島第一原発1号機への海水注入は、原子炉が吹き飛ぶような再臨界を引き起こさなかったという事実を、5月27日現在の我々が知っているからである。

しかし、3月12日の時点で、燃料棒が露出して異常高温になっている原子炉に、天然海水を注入しても、絶対に再臨界は起らないと断言できる人はほとんどいなかったはずである。

従って、官邸や東電本社が海水注入を躊躇して、再臨界の可能性を検討したり、一時中断を指示するのは、責任者としてはむしろ自然なことである。

吉田原発所長が指示に背いて、結局、海水注入は中断しなかったと、東京電力が発表したため、「犯人さがし」も腰砕けに終わりそうだ。

誤った命令を指示した本部と、それに従わず正しい決定をした現場。

次は、そういう捉え方が流行するのかもしれないが、やはり未来にいて結果を知っている人々が、過去の人々の行動を神様よろしく裁いていることに変わりはない。

不思議なことに、ベントだ海水注入だと、3月12日という一日の責任を問う声は大きいが、この日を迎えざるを得なくした3月11日以前のことは、今のところあまり問題になっていない。

そこには、破滅的な事故を警告する声を踏みにじって、何十年にも渡って、ひたすら原発を推進し続けた人々が存在している。

全電源喪失などの過酷事故が起る可能性はゼロと決めつけて、コスト削減のため、原発の安全対策を意図的に怠ってきた行為こそ、もっとも強く批判されるべきだろう。

可能性は低くとも、破滅的な結果をもたらす再臨界を警戒して右往左往したことを、ここまで問題にするのは、批判の矛先をそらす方便としか思えない。

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仕事をしない斑目委員長

2011-05-26 08:14:56 | 原発事故
3月12日に福島第一原発1号機への海水注入が検討された際、再臨界の可能性を聞かれて、原子力安全委員会の委員長である斑目氏は「可能性はゼロではない」と答えたそうだ。

安全委員会は原子力の専門家集団であり、斑目氏はそのトップであるが、その人物が素人でも言えるような、抽象的で曖昧な助言しか出来なかったとは、驚くべきことである。

地震と津波によって循環冷却機能が全喪失し、注水冷却しか方法がなくなった時点で、いずれ冷却用真水が底をつき、海水による冷却を余儀なくされる事態は容易に想像できたはずである。

その時点で、斑目氏は、軽水炉の冷却材に詳しい専門家を複数ピックアップして、海水注入の問題点について、緊急に議論を始めるのが当然である。

勿論、水位が下がって炉心がむき出しになっているような原子炉に、数十トン数百トンの海水を注入した場合、何が起るかなど、誰にも分からない。そのような状況にまで追い込まれた過酷事故は、今回が初めてである。

従って、これまでの知識から推測するしかないが、まず懸念されるのは、高温の圧力容器の中で海水が蒸発すると、塩化ナトリウムを初めとして、様々な成分が析出してくるかもしれないことである。

この析出物が炉心部分で成長を始めたとき、崩壊熱の除去や核分裂そのものに、どのような影響を与えるのかは気になる点である。

また、溶融しつつある燃料棒は数千度の温度に達するそうだが、析出する結晶あるいは濃縮された海水は、超高温に熱せられた上に、高線量のアルファ線、ベータ線、ガンマ線、中性子線などの照射を受けることになる。

こういった状態の中で、再臨界は勿論のこと、圧力容器や配管系に重大な損傷を与える事象が発生する危険があるのかどうか、その見通しを検討して、政府に具体的な助言を与えるのが斑目氏の仕事である。

「海水注入で再臨界の危険性はどの程度上がるのか」「再臨界以外の危険事象は何が考えられるか」「注入前に海水のろ過をどの程度すべきか」「海水中の成分でとくに取り除くべきものはあるか」「その場合どのようなフィルターを使えばよいか」「あるいは加えるべき成分はあるか」「海水注入はどの程度の期間継続してよいのか」「数時間か、数日か、それとも数ヶ月か」など、検討すべき論点は多岐にわたる。

しかし、斑目氏が他の専門家と議論を行い、こういった具体的な助言をした形跡は見られない。それどころか、先日の国会で「可能性がゼロではない」は「事実上ゼロ」であると述べている。

人類が経験したことのない事故の状況下で、海水注入による再臨界の可能性を「事実上ゼロ」だと主張するのは、神様でもない限り不可能である。過去のどんなデータから、そんなきっぱりした結論が導き出せたのか?

もし、これが斑目氏の真意だったとすれば、学者としての資質を問われるだろう。

そして、「事実上ゼロ」だから、海水注入に際してその影響を検討せず、具体的助言もしなかったのだとすれば、それは自らの無為無策を正当化する開き直り以外の何者でもない。

福島原発事故によって日本が国家的危機に直面しているときに、税金から多額の報酬を貰って、原子力エネルギーの安全管理を託されている人物が、専門家として必要な仕事を何もしない上に、詭弁を弄して自己正当化に邁進しているというのは、信じがたい光景である。

どうやら斑目氏が真剣に取り組むのは、自分自身の面子を守ることのようで、専門家として国民を守ることではないようだ。

斑目氏が委員長として適任である可能性は「間違いなくゼロ」である。

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「全炉心溶融」の発覚 ~ 変容する「冷温停止」の意義

2011-05-19 01:10:32 | 原発事故
東京電力が掲げる「工程表」の目標は、原子炉を9ヶ月以内に「冷温停止」状態に持ち込んで、放射能が大幅に抑制される状況を作り出すというものである。

しかし、1号機から3号機まですべての原子炉が「全炉心溶融」を起こし、かつ「格納容器破損」がほぼ確実になった今、「冷温停止」の持つ意味が変わりつつある。

もし、炉心溶融が一部に止まり、燃料集合体がその原型を保持しているのであれば、「冷温停止」の後に原子炉から取り出して、プールなど別の施設に移すことが可能である。当然、移送先でも冷却は必要だが、管理された状況で行えるので、汚染排水が外部に漏れ出すような危険は回避される。

まさに「放射能が大幅に抑制される」わけである。

しかし、「全炉心溶融」によって、燃料集合体が完全に溶け落ちている現在、それを取り出す作業は困難を極めるだろう。燃料の45%が溶融したスリーマイル島事故ですら、取り出しに14年掛かっている。100%溶融では、それ以上の年月が必要なのは容易に想像がつく。

つまり、9ヶ月で「冷温停止」に至ったとしても、全燃料を壊れた原子炉内に留めたまま、さらに何年何十年と冷却しなければならない。もちろん、原子炉の温度は下がっていくので、放射性物質の大気中への放散は減少するだろう。注水量を減らしていくことも可能である。だが、回収困難な大量の放射性物質が炉内に残っていることに変わりはない。

従って、量は減っても、汚染水が出続けるという状況を根本的に変えることは難しい。格納容器の破損を修理して排水を全回収するという、絶望的に困難な仕事を成功させない限り、何年何十年もの間、高レベルの放射性汚染水が外部に漏れ続け、新たな土壌汚染や海洋汚染を引き起こすだろう。

東電の武藤副社長は、メルトダウンによって「工程表」は大きな影響を受けないと言ったそうだが、耳を疑う発言である。

「冷温停止」を最終目標とする「工程表」は、原子炉の炉心溶融が一部に止まり、通常の原発停止手順と同じように、やがては燃料集合体を取り出せることを前提にしている。しかし、「全炉心溶融」が明らかになった今、「冷温停止」は燃料の取り出しを意味せず、高濃度汚染水の流出停止にもつながらない。

東電幹部は、「冷温停止」というゴールが意義を失い、「工程表」自体がメルトダウンを始めたことを理解しているのだろうか。

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東電「工程表」はあまりに無意味

2011-05-18 01:29:04 | 原発事故
東京電力が発表した改訂版「工程表」によると、「水棺」計画を変更して、「循環注水冷却」を目指すそうだ。

1号機原子炉の水位計を修理したところ、燃料棒の最下部よりさらに低い位置までしか水が溜まっていないことが判明。さらに、原子炉建屋の地下に大量の水を発見。これらは全炉心溶融と格納容器破損を意味するもので、「水棺」の断念に追い込まれたというわけだ。

あまりにお粗末な顛末と言わざるを得ない。

どう考えても「調査」と「計画立案」の順序が逆だ。そもそも最初から、1号機原子炉についても、格納容器の一部が破損して、そこから冷却水が漏出している可能性が濃厚だった。

窒素ガスを入れても圧力が思ったほど上昇しない、格納容器の容量以上の水を注入しているのに水位が上がらない、タービン建屋に大量の放射能汚染水が存在する。多くの事実がその可能性を支持していた。

従って、まず第一に、水位計の確認、格納容器周りの亀裂点検、原子炉建屋内の漏水確認を行うべきで、その結果を踏まえて「水棺」の実現性を検討するのが当然の手順である。

しかし、東電は、そういった調査もしない段階から、なぜか「格納容器は壊れていない」という根拠のない推測を前提にして、国民に向かって「水棺」計画を発表し、さらには実際に注水量を増やす措置まで行ってきた。

調査を実施する時間がなく、すぐに計画を立てろと言われた場合でも、もっとも可能性の高い推測に基づいて立案するのが常識である。「格納容器は無傷」という可能性の低い、自分たちに都合の良い前提で仕事を進めると、工程表の変更を迫られるのはほぼ確実というものである。

改訂版では、タービン建屋地下の汚染水を「浄化」して、再び冷却水として利用する「循環注水冷却」なるものを謳っているが、これにも実現可能性を検証した痕跡すら見出せない。建屋地下に溜まったような不純物だらけの高濃度汚染水を、原子炉に再注入可能なほど「浄化」出来るのかどうか、過去に例がないのだから、誰にも分からない。

従って、相当な調査と検証が必要だが、どのような根拠で実現可能と判断したのか、何のデータも出てこない。「水棺」断念の後、結局、今の「注水冷却」以外は何も出来ないと認めたくないために、苦し紛れで出した計画にしか思えない。毎月17日ごとに、こういった科学的背景のない言葉遊びが繰り返されるのならば、「工程表」を出す意味がない。

1号機について今やるべきことは、格納容器の「どこから」「どのくらい」水が漏れていて「どこに」流れているのかを特定することだ。

原子炉建屋の地下には3000トン程度の水が溜まっているらしいが、この水がすべて格納容器から二ヶ月の間に漏れたものであれば、毎日50トンの流出となる。一日150トンを注水しているとすれば、30%くらいの漏れである。

また、一般家庭の風呂に水を張るには0.35トンから0.5トン程度が必要だが、50トン/日であれば、10分から15分で風呂が一杯になる水流である。従って、格納容器からの漏水は、ちょろちょろ染み出ている感じではなく、それなりの流速である可能性も覚悟しなければならない。

今後の調査で破損箇所が見つかり、その亀裂が小さく、漏出速度がずっと遅ければ、そのとき初めて破損箇所の修理という案が検討対象にはなるだろうが、原子炉が完全メルトダウンしていることを考えると、実行可能な線量環境であるのは期待薄だ。

つまり、1号機ですら放射性物質の「閉じ込め」は絶望的、それが現時点での偽らざる見通しだろう。

政府・東電は、事故の状況をバラ色に粉飾するだけの「工程表」作りはもう止めて、国民に向かって、今の厳しい現実を説明するべきである。

<関連ブログ>
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浜岡原発全停止の衝撃 ~ 再稼動の可能性は低い

2011-05-11 04:38:02 | 原発事故
菅首相の要請を受ける形で、浜岡原発のすべての原子炉の停止が決まった。この決定の持つ意味は大きい。

なぜなら、一度停止した浜岡原発を再稼動する可能性は低いからである。

原発の停止期間は、津波対策の柱である防潮堤工事が完了するまでの数年程度という声も聞かれるが、これは単なる憶測に過ぎない。様々な事情を考えると、原発再稼動のチャンスはまず訪れないだろう。

その事情とは、

1) 節電対策が進んで、電力の需給バランスが早期に安定化する

福島第一原発の事故を受けて、関東圏では「節電ブーム」が起っている。LED電球、省エネ家電、蓄電池、太陽光発電。一般家庭から工場まで、社会全体が節電・蓄電・自家発電に邁進している。おそらく中部電力管内でも、同様の動きが始まるだろう。

節電による需要の抑制、蓄電による消費時間帯の分散、自家発電による供給増。こういった消費側の取り組みによって、需給バランスの切迫感は、短期間で相当程度に緩和されることが期待できる。

しかも、需給バランスが問題になるのは、酷暑になった場合の真夏の日中だけである。中部電力が行うであろう火力・水力による供給の積み増しなどを考えると、浜岡原発の再開が不可欠という事態が来るとは思えない。

勿論、関西電力管内のように原発依存度の非常に大きい地域であれば、原発全停止には代替エネルギーの大規模開発を検討する必要があり、実現にはかなりの時間が掛かる。

しかし、中部電力の場合、原発依存度は東京電力よりもずっと低く、より対応しやすい筈である。だからこそ菅政権も浜岡原発の即時全停止を要請したのだろう。

2) 反対を押し切って再稼動を許可する政権は現れない

浜岡原発の再稼動が問題になるのは、次の衆議院議員選挙のあたりである。当然のことながら、地震対策や津波対策が万全かどうかが、一つの争点になる。

しかし、この時点で福島第一原発の事故が完全収束している可能性は低い。一方、事故の検証を進めれば、安全対策の欠陥に加えて、政治家・官僚・学者・企業の深刻な癒着構造など、これまでの原発推進政策の問題点がいくつも浮かび上がってくる。

こういった状況下で、公然と原発推進を掲げて選挙に臨む政党はほとんどないだろう。ましてや、世界で最も危険な場所に立っている浜岡原発を再稼動させるという主張は、他候補から見れば、格好の攻撃材料になる。

従って、「浜岡原発再稼動」は勿論、「原発推進」ですら、それを唱えて当選する候補や政党は少なく、国会で主流を占めるとは思えない。

また、どの政治勢力が衆議院で過半数を得たとしても、参議院の状況から考えて、現在の菅政権と同様、政治基盤の脆弱な政権となるのは避けられない。もし「隠れ推進派」が政権を握ったとしても、不安定な政府にとって、浜岡原発再稼動は、あまり手を付けたくないデリケートな問題で、おそらくは先延ばしという結論になるのではないか。

つまり、原発推進派が政権の座に就いたとしても、浜岡原発の再稼動を決断する政治エネルギーはないと見るのが妥当だろう。

3) 浜岡原発への国際的逆風

今回の福島第一原発事故は、原発推進国の政府や原発関連企業にとって、迷惑以外の何ものでもない。事実、国際的に原発反対の声が高まり、多くの国で建設計画や稼動計画が一時中止を余儀なくされている。

もし、さらなる大事故が発生した場合、国際世論が決定的に反原発へと向かうのは間違いない。世界の原発推進派が一番恐れる事態である。

そして、生々しい現実感を持って、大事故の可能性を危惧されているのが、日本の浜岡原発である。

浜岡原発で福島と同じ程度の事故が起った場合、偏西風によって、放射性物質が首都圏を直撃する危険がある。数百万人単位の強制避難も絵空事ではなく、世界最大の原発事故になってもおかしくない。

その場合、世界中の多くの原発関連企業が深刻な打撃を受けるだろう。原発で儲けようとする日本以外の人々にとって、浜岡原発の存在は、出来れば消し去りたいリスク因子に他ならない。

世界屈指の大地震が起こる地域を選んで、わざわざ、そのど真ん中に原発を建てる日本という国は、一体何を考えているのか?

原発反対派だけでなく、推進派も含めて、世界中の多くの人がそう考えるのは、当たり前のことである。全世界に放射能をばら撒いた日本が、国際社会のこの至極もっともな批判を無視し続けるのは容易なことではない。

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「収束」できない原発事故 ~ 「水素発生」への無為無策

2011-05-04 12:35:53 | 原発事故
4月23日付のウォールストリートジャーナル(電子版)は

「ベントの遅れが水素爆発を招いた」

という日米専門家による分析記事を載せた。格納容器の圧力が通常の2倍になるまでベントをためらったので、排気パイプの継ぎ目から水素や放射性物質のガスが漏れ易くなり、水素爆発に至ったという分析である。

これは実に不可思議な意見だ。

ベントを実行するのは、格納容器内部の圧力が高まっている時である。従って、排気専用パイプを高圧のガスが通るのは当たり前で、その継ぎ目からガスが漏れるというのは、手抜き工事か設計ミス以外の何ものでもない。

しかも原発の専門家が、格納容器の耐圧上限内のガスを排気して、継ぎ目から漏れたと言うのなら、専門家自らが排気配管系の設計ミスを認めたことになる。

こういった設計上の無為無策は、ベントに関わる部分だけではない。そもそも、原子炉で水素が発生したときの対処方法はいっさい検討されていない。

格納容器にたまった水素ガスを、何かに吸着させる、もしくは穏やかに化学反応させて別のより安全な物質に変える、といった水素回収システムはどこにも見当たらない。

「水素発生」への設計上の対策が皆無であるため、現在でも、福島第一原発は水素爆発の危険にさらされ続けている。

1979年のスリーマイル島原発事故でも、メルトダウンによって原子炉内で水素が発生し、その対策に四苦八苦している。そして驚くべきことに、それから30年以上経った今でも、発生した水素に対して出来ることは、窒素を注入することぐらいで、事実上何もない。当時と同じ状況である。

スリーマイルの貴重な教訓である「水素」への対策を、30年以上も時間があったにもかかわらず、設計に一切盛り込まなかった上、ベントの配管系すら高圧ガスに耐えられない。

こういったシステムを「絶対安全」と言い続けてきた専門家というのは、一体どういう精神構造をしているのだろうか。

「収束」できない原発事故。

過去の重大事故を他人事だと無視し続けた、傲慢でずさんな設計思想がその背後に見え隠れする。

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