村上春樹の最初の作品ですね。
小説としては、それほど好きな方ではないですが、タイトルが、気に入ってます。
ひとは、周りにいるひとの中に、それぞれ、そのひと特有の「歌」を、聴いてる気がします。
好きな歌を奏でるひとのことは、好きになる。
嫌いな歌なら、そのひとを、嫌いになる。
でも、そういう「歌」は、大抵の場合、自分で、勝手に作り上げた「歌」で、そのひとが、本当に奏でている「歌」とは、かけ離れてる、かもしれない。
ひとは、「好きになりたい」ひとからは、「好きな歌」を、「嫌いになりたい」ひとからは、「嫌いな歌」を、聴き取る仕組みが、あるのでしょう。
誰かと仲良くなったり、誰かと仲違いしたりは、多くの場合、相手に対する誤解、「歌」の聴き違いから、起こってる気がします。
だから、ひとは、ときどき「風の歌」を聴く必要がある。
風のような、好きも嫌いも、愛も憎しみもない、そういうものに向かい合って、その「歌」を聴いてみる。
そうすれば、逆に、自分の中にある、「自分の歌」が、聴こえてくる。
誰かの中に聴いていた、「好きな歌」は、「自分の歌」の、好きなパートかもしれない。
誰かの中に聴いていた、「嫌いな歌」は、「自分の歌」の、嫌いなパートかもしれない。
それに気づけば、ひとは、もう一度、相手の中にある、本当の「歌」を、聴こうとするかもしれません。
もし、「世の中、どいつもこいつも」と思っているひとがいたら、一度、風の歌を聴いてみる方がいいかもしれません。
自分の中で、「どいつもこいつも」なひとが、少しだけ、減るかもしれない。
そして、少しだけ、しあわせな気分に、なれるかもしれない。
ところで、この話は、「風の歌を聴け」という小説の内容とは、何の関係もないと思います、多分。
ちなみに、私が、村上春樹の小説で好きなのは、「羊をめぐる冒険」や「ダンス・ダンス・ダンス」といった、SFファンタジーっぽいやつですね。
逆に、好きでないのは、「ノルウェーの森」。
羊男が出てこないから(笑)。
小説としては、それほど好きな方ではないですが、タイトルが、気に入ってます。
ひとは、周りにいるひとの中に、それぞれ、そのひと特有の「歌」を、聴いてる気がします。
好きな歌を奏でるひとのことは、好きになる。
嫌いな歌なら、そのひとを、嫌いになる。
でも、そういう「歌」は、大抵の場合、自分で、勝手に作り上げた「歌」で、そのひとが、本当に奏でている「歌」とは、かけ離れてる、かもしれない。
ひとは、「好きになりたい」ひとからは、「好きな歌」を、「嫌いになりたい」ひとからは、「嫌いな歌」を、聴き取る仕組みが、あるのでしょう。
誰かと仲良くなったり、誰かと仲違いしたりは、多くの場合、相手に対する誤解、「歌」の聴き違いから、起こってる気がします。
だから、ひとは、ときどき「風の歌」を聴く必要がある。
風のような、好きも嫌いも、愛も憎しみもない、そういうものに向かい合って、その「歌」を聴いてみる。
そうすれば、逆に、自分の中にある、「自分の歌」が、聴こえてくる。
誰かの中に聴いていた、「好きな歌」は、「自分の歌」の、好きなパートかもしれない。
誰かの中に聴いていた、「嫌いな歌」は、「自分の歌」の、嫌いなパートかもしれない。
それに気づけば、ひとは、もう一度、相手の中にある、本当の「歌」を、聴こうとするかもしれません。
もし、「世の中、どいつもこいつも」と思っているひとがいたら、一度、風の歌を聴いてみる方がいいかもしれません。
自分の中で、「どいつもこいつも」なひとが、少しだけ、減るかもしれない。
そして、少しだけ、しあわせな気分に、なれるかもしれない。
ところで、この話は、「風の歌を聴け」という小説の内容とは、何の関係もないと思います、多分。
ちなみに、私が、村上春樹の小説で好きなのは、「羊をめぐる冒険」や「ダンス・ダンス・ダンス」といった、SFファンタジーっぽいやつですね。
逆に、好きでないのは、「ノルウェーの森」。
羊男が出てこないから(笑)。