船の旅四日目は終日クルージングでした。
この日のハイライトは船から見た択捉島です。国後島と択捉島の間を通過したようです。いわゆる北方領土ですが、複雑な心境で択捉島を眺めました。
ということはオホーツク海を航海中ということでしょうか。当たり前ですが、眺める海に変化はありませんでした。
そして、五日目を迎えました。いよいよサハリンに上陸です。
船は、朝の5時過ぎにコルサコフに入港しました。日本統治時代は大泊と呼ばれていました。
船が大き過ぎるのか、岸壁には着岸せずに、テンダーボートで上陸します。船にロシアの役人が乗り込んで来て入国審査がありました。時間がかかるのかと思っていたのですが、意外とスムーズに行きました。
コルサコフ港です。日本統治時代は大泊と呼ばれ南樺太の商業の中心地だったそうです。
サハリンでもツアーに参加しました。(自由行動はできません。)ちょっと高くつきましたが、ツアーでないと動くのは難しいかもしれません。バスの車窓からの風景は異国でした。
コルサコフの町がよく見える丘にやって来ました。
ロシア人のおじさんがベンチでたたずんでいました。
コルサコフ港とダイヤモン・プリンセス号です。この先は宗谷海峡で天気が良ければ稚内が見えるそうです。
ダイヤモンド・プリンセス号をアップです。テンダーボートも見えます。
コルサコフ港です。天気も良く無かったのですが、低く垂れ込める雲が北国感を増します。
コルサコフの街並みです。建物の色が異国ということを感じさせます。
バスで40分ほど走って、州都のあるユジノサハリンスクにやって来ました。日本統治時代は豊原市とよばれたそうです。ロシア正教会がキラキラ輝いていました。
戦車の説明も聞きましたが忘れました(笑)
サハリン州立郷土史博物館です。日本統治時代に樺太庁博物館として建設されたそうです。ここでしっかり時間を取りました。
当時の国境に置かれていた国境標石です。これはぜひ見たかった物です。
ロシア側です。
街には、日本車が多く走っていました。
この花はなんでしょう。
なぜかD51もありました。
この日の最高気温は20度も無かったと思います。やはり北の国に来たのを実感です。木の葉も紅葉しているようです。
<つづきます>
※撮影日 2018.8.31
この日のハイライトは船から見た択捉島です。国後島と択捉島の間を通過したようです。いわゆる北方領土ですが、複雑な心境で択捉島を眺めました。
ということはオホーツク海を航海中ということでしょうか。当たり前ですが、眺める海に変化はありませんでした。
そして、五日目を迎えました。いよいよサハリンに上陸です。
船は、朝の5時過ぎにコルサコフに入港しました。日本統治時代は大泊と呼ばれていました。
船が大き過ぎるのか、岸壁には着岸せずに、テンダーボートで上陸します。船にロシアの役人が乗り込んで来て入国審査がありました。時間がかかるのかと思っていたのですが、意外とスムーズに行きました。
コルサコフ港です。日本統治時代は大泊と呼ばれ南樺太の商業の中心地だったそうです。
サハリンでもツアーに参加しました。(自由行動はできません。)ちょっと高くつきましたが、ツアーでないと動くのは難しいかもしれません。バスの車窓からの風景は異国でした。
コルサコフの町がよく見える丘にやって来ました。
ロシア人のおじさんがベンチでたたずんでいました。
コルサコフ港とダイヤモン・プリンセス号です。この先は宗谷海峡で天気が良ければ稚内が見えるそうです。
ダイヤモンド・プリンセス号をアップです。テンダーボートも見えます。
コルサコフ港です。天気も良く無かったのですが、低く垂れ込める雲が北国感を増します。
コルサコフの街並みです。建物の色が異国ということを感じさせます。
バスで40分ほど走って、州都のあるユジノサハリンスクにやって来ました。日本統治時代は豊原市とよばれたそうです。ロシア正教会がキラキラ輝いていました。
戦車の説明も聞きましたが忘れました(笑)
サハリン州立郷土史博物館です。日本統治時代に樺太庁博物館として建設されたそうです。ここでしっかり時間を取りました。
当時の国境に置かれていた国境標石です。これはぜひ見たかった物です。
ロシア側です。
街には、日本車が多く走っていました。
この花はなんでしょう。
なぜかD51もありました。
この日の最高気温は20度も無かったと思います。やはり北の国に来たのを実感です。木の葉も紅葉しているようです。
<つづきます>
※撮影日 2018.8.31