野となれ山となれ...アホとなれ じょんのじょんなラン日記

1年近くお休みしましたが、100万PVを越えて自由気ままに書こうと思い、気の向くままに更新していきます

強さを探して

2013-03-06 21:24:59 | トライアスロン


強さとは時に変わるものである・・・

普遍的なものではない、その人その人の考えでも違うだろう

そんな強さを最近冒険家から読み解いている


いま読んでいるのは冒険家 植村直巳氏の著書であるが・・・・

実は野口健氏、植村直巳氏の本を連続して読んで思ったことがある(というものの、登山家の本は初めて読んだんですよ)

想像を絶する冒険の数々がつづられているが、本質はそこではない(山をやるものとして想像してしまうしその登山のシーンというのはどうしても脳裏に焼きつくようにイメージされてしまうものだが・・・)


生き方、考え方、その生き様から感じ取れるもの

狂おしいほどの強さ

この言葉に尽きる

私は本気でこの二人に嫉妬している

いや、うらやましくて、カッコよくてしかたないのだ!!!


分かるだろうか?

己の意思を貫く強さ、その行動力と、思いの強さ、そして、それを可能にする体の強さ

私は思っている

あくまでも体は魂の志を実行に移すための器である

その魂が恐ろしいと思えるほどひとつのことに向かっているのだ


これを強さと言わずなんという?


男としては多くの人が「強くなりたい!」と思うはずだ

私はトライアスロンにおいて「強くなりたい!」それが人間を強くすると思っているからだ


でも彼らの強さの前では小さなものに感じてしまう

でも、私は私の器でしか生きていけない

その器を少しでも広げようとするだけなのだ

彼らの真似をしようとは思わない

ただ、彼らに刺激を受けようとは思う

ひとつ大きな世界を見聞し、ひとつ前に進めるように思います


人が強くなるとき、力だけをつけたのではいけない、それは「空っぽの強さ」になってしまう

仮に植村直巳さんがただ山を登るだけの人だったなら国民栄誉賞はもらえなかっただろう

その中身、生き方、つまりは魂が強くあり、それを実行したことで多くの人の勇気を与えた

でもそんな彼も、多くの人の好意の上に立って

数々の頂の上に立てた


いつも自分としては「俺は俺でやっている!」そんな風に突っ張って

意地を張ってきたけど

そうじゃないと感じてしまう


声をかけてくれる仲間がいて、励ましあう仲間がいる

助けあう仲間がいて、刺激をくれるライバルがいる

いろんな人とかかわりながら感謝しながら生きていかないといけないとしきりに思う

綺麗ごとではなく、本心としてだ


本で見た、嫉妬してしまうほどかっこいい人たちも、多くの人の感謝しつつ支えられて生きていることを考えれば

自分なんて小さな存在がそうでなくてどうする?と思ってしまうからだ

今一度、自分の周りを見渡してみようと思う




さて、今日は久しぶりにスピードを入れることにした

水曜日恒例のブリック練習だ

トライアスロン用の脚に改造する前のロング用の脚で月曜に最大まで追い込んでの中一日(別にバイクで追い込んだ)での今日

バイクは向かい風につき95%近いパワーで踏んでいるが心拍140bpm程度しか上がらず・・・


3分17秒、3分19秒、3分15秒・・・最高心拍175bpmとな~追い込めてヘン。
歩いてないだけで走れてもないですね。

いくら追いこもうという気持ちがあれど、脚が疲れていては追い込めません。このペースでこの心拍なら心肺機能は調子がいいはず、メンタルにも問題はない

今まで気持ちの問題で済ませてきたこういったタイムが出ない日も、読み解いていくとはっきり分かるものですね。

分析+練習あるのみですが、まずは脚の疲労を取ろう!


強さを探して進撃しますよ!!


今日の練習

スイム  2km

バイク  67km

ラン   10km