毎日がHappy気分♪

映画大好き!山が大好き!ビーズもバラも好き!!
そんな私の日常を気ままに綴った日記です。

近況報告② もう一つの卒業

2011年04月08日 | その他

 

昨夜、また地震がありました。

ここら辺は震度4でしたが それでもかなりの揺れを感じました。

震源に近かった方々は どんなに怖かったことでしょう。

一生懸命に前へ進もうとしているところへ またこんな大きな余震が・・・。

早く収まってくれることを祈ることしかできません。

 

 

近況報告のつづきです。

 

3月26日。 

この日は 二男にとって、もう一つの卒業の日でした。

小学校3年生から通った療育の最終日。

 

あの頃の私は、彼の発達障害について本当に悩んでいました。

いろんな本を読みあさり、講演会に参加し、いろんな病院を巡り

結局 この療育を取り入れている機関に落ち着いたんです。

「社会性を身につけて自立を促し、一人一人が持っている力を十分に伸ばせるように支援する」 

正に 私が求めているものでした。

 

息子はこの9年間、療育に行くのを嫌がっていました。

理由は 「厳しいから」。

確かに先生はいかなる時も妥協しません。

そのやり方に賛同できなくて 途中でやめていく子(親)も何人もいました。

が、私は ここのやり方が息子に合っている、と確信していたので

全く迷いはありませんでした。

 

学校での失敗や 家での対応に、いつも担当の先生が真正面から対応してくれました。

遅い時間まで電話で話をしたこともありました。

ここは子どもの療育の場であると共に、 親の駆け込み寺でもあったんだと思います。

また、タイプは違えど、生き辛さを持った子どもを持つ親同士が情報交換できる、という意味でも

私にとってとても大切な場所でした。

 

この日も例年通り、調理の学習で作った料理と 

お別れ会のために購入したケーキ(購入そのものも療育の一環) で

療育最後の時間を過ごしました。

我々のグループでは卒業生は2名。

一人ずつ皆の前に立って挨拶をしました。

息子も立派に話すことができました。

学校の卒業とはまたちょっと違った感慨深さで その姿をマジックミラー越しに眺めていました。

 

この9年間で何人もの先生に御世話になりましたが

一番思い入れがあるのがM先生。

療育で一番最初に見ていただいた先生で、 なんとこの先生も指導員としてのデビューの年だったんです。

一昨年から産休に入られていたのですが この日、現場に来てくれていました。

まさか会えると思っていなかったので 本当に嬉しかったです。

そして、M先生は 

「私の指導員生活の中で、〇〇ほどひどい偏食はいなかったよ~、 〇〇は思い出がいっぱいあって先生も感無量だよ~」 

と 涙ぐみながら言ってくれました。

 

幼稚園、小学校、中学校、高校、そして療育機関・・・

二男は 本当にたくさんの人たちに支えられて生きてきました。

大変な事もたくさんあったけれど あの頃は先のことを考えることよりも 毎日が綱渡り・・

その日一日を 大きなトラブルなく過ごすことだけで精一杯だったなぁ。

多分、これはこの先もずっと続いていくのかもしれないけれど

今、私の目の前にいる息子は 確実にあの頃とは違っています。

学校の卒業式でちゃんと言えなかった言葉を この日、しっかりと彼に送ってあげました。

「卒業 おめでとう」

 

 

                     つづく・・・

   

 

 

 

 

コメント (8)