毎日がHappy気分♪

映画大好き!山が大好き!ビーズもバラも好き!!
そんな私の日常を気ままに綴った日記です。

生きる ということ

2011年01月31日 | お兄ちゃん(長男)

お兄ちゃんのことを書いた21日の夜 

いろんな記憶が一度に押し寄せ

神経の高ぶりと 逆にものすごい脱力感が交互に来て 

そのうち動悸、頭痛、目眩が始まりました。

ああ、お兄ちゃんが私を連れに来たのかな、って思いました。

でも それは困る  絶対に困る。

私はこれからあなたの分まで生きて 皆に元気を配らなきゃいけない。

だから まだ迎えに来ないで。

って 何度も唱えて 気付いたら朝になってました。

 

我が家はお兄ちゃんがいなくなっても

形的には以前と変わらない生活が続いています。

だからつい私は 今でもお兄ちゃんが茨城に住んでいて

電話をすれば 「はい」 っていう あの声が聞けるような気がしてる。

未だに実感があまりないんです。

だけど お仏壇のある部屋に行くと そこにはお兄ちゃんの位牌があって

ああ そうか お兄ちゃん もういないんだ・・・

って 相変わらずそんな毎日を過ごしています。

 

ここ数日 Mちゃんから涙の電話が続いています。

やっぱり寂しくて寂しくてどうしようもないって・・・・

お兄ちゃんと彼女は部署は違うけど同じ会社で働いてた。

だから会社にもお兄ちゃんの思い出があり

家にはもっと思い出があり

どこで何をしていても 常にお兄ちゃんのことを思い出し

苦しい毎日を過ごしているんだと思います。

これは時間で癒されるものなんだろうか。

私は彼女に何をしてあげればいいのか・・・

ただ話を聞いて 一緒に泣くことしかできない。

それがもどかしくて辛いです。

 

 ごめんなさい。

本当は小さなHappyを見つけて記事にしたかったのですが

結局 またこんな内容になっちゃいました。

でも こうやって文字にして綴ることで

絡まった自分の感情や 今の自分の立ち位置が見えてくることがある。

そしてその中から次にやるべきことを 一つ一つ見つけて

結果的に 少しずつでも前に進めてるって実感できたりするんです。

 

私は一人さめざめと耐える女ではありません。

皆に助けを乞い いっぱい元気をもらって そのパワーで生きられる女です。

今までずっとそうしてきました。

だからこれからもここでたくさん弱音を吐きます。

そして充電できたエネルギーを Mちゃんにあげたい。

MちゃんとKちゃん、 私の大切な家族。

 

あの日までは 生きている事が幸せだと感じてたのに

一瞬で人の日常って変わってしまうものなのですね。

生きること、生きていくことって こんなに辛くて厳しいものだったんだ。

でも私は生きている。

生かされている。

明日はまたやってくる。 

 

皆さんのコメントは一つ一つが心に染みわたるものであり

本当に感謝しています。

これこそが今の私にとって支えであり、〝しあわせ″ なのだと思っています。

お返事はゆっくりですが必ず書かせていただきます。

 

 

 

 

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お兄ちゃん

2011年01月21日 | お兄ちゃん(長男)

何をどうやって書いたらいいのか・・・

夢ならいいのにって毎日思って

もうこんなに時間が経ってしまいました

 

2010年12月3日 

長男が亡くなりました

通勤途中の事故でした

26歳  昨年の2月に結婚したばかりです

なのに なのに

何でこんな風になっちゃったんだろう

 

私の何が悪かったんだろう

今まで与えられた試練を 

私は私なりに頑張って乗り越えてきたつもりだったけど

まだまだそれでは足りなかったのかな

神様はどれだけ私に罰を与えれば気が済むのかな

もう勘弁してほしいです

  

周りの人たちが 全て敵に見えた時がありました

私たちがこんなに悲しいのに

何故あなたは笑ってるの?

 

でも そうなんだ

私がすごく幸せだった時

世界のあちこちに こうやって泣いてる人がいることを

私は全然知ろうとしなかった

泣いても笑っても過ぎる時間が同じなら

やっぱり笑って過ごしたい

 

ただ 余りに突然で

そして夢にも思っていないことだったから

少しの間 私の思考回路は傷ついてしまっていました

 

お嫁さんのショックは大きく それをどう支えてあげればいいのか

私は途方に暮れました

 お嫁さんのMちゃんは 再婚でKちゃんという子供がいます

最初お兄ちゃんからその話を聞いた時、正直とまどいがありました

義母はこの結婚に反対でした

だから少し様子を見ることにしたのですが

二人が知り合ってからの5年間 3人は本当に仲良しでした

そしてやっぱりどうしても一緒になりたいって言ってきた時

家族の中に反対する人は誰もいませんでした

MちゃんとKちゃんとお兄ちゃん・・・

3人はこれからいっぱい幸せな思い出を作っていくはずでした

・・・ 無念です 本当に無念です

どんな言葉を並べても この無念さは消せません

 

このブログにも書きましたが 10月に皆で房総に旅行に行きました

それが私がお兄ちゃんに会った最後です

ただ電話やメールは頻繁にやっていたし

クリスマスも我が家で一緒に過ごすことになっていました

今も私の携帯には お兄ちゃんとのやりとりがそのまま残っています

写真にも笑顔のお兄ちゃんが写っています

メールや写真を見るたびに ああ どうしてなんだろう って

やっぱりそう思ってしまいます

 

悲しい毎日が続いていても 時間はいつもと同じように過ぎていく

時間て 癒しにもなるけれど 残酷でもありますね

今は平気な時とそうでないときの差が大きくて 気持ちを立て直すのが大変だけど

いずれ津波から小さい波へと少しずつ凪いでいくんだと思います

そういう意味では やはり時間ほど効く薬はないのかもしれません

 

私たち夫婦は 息子が結婚した ということで

親の責任の一つを終えたと思っています

これからは3人の幸せを 少し離れた場所から見守っていく立場でした

だけどMちゃんとKちゃんはこれからだった

これからいっぱい幸せにならなくちゃいけなかった

だからMちゃんの気持ちを考えると 本当に胸が苦しくなってしまうんです

私の周りだけ酸素が薄くなったみたいになってしまうんです

どんなに寂しい思いをしているだろう

二人だけでご飯を食べてるところを想像するだけで

胸の鼓動が速くなってくるんです

 

彼女から泣きながら電話がかかってきたことがありました

「寂しい 彼に会いたい」 って泣いてる彼女の声を聞いて

私は彼女がお兄ちゃんの後を追ってしまうんじゃないかと思って

「Mちゃん、変なこと考えないで! これから皆でKちゃんを育てていくんだよ! それが私たちの務めなんだよ!」

って 二人でオイオイ泣きました。

そして とにかく四十九日まで頑張ろうって励まし合ってきました

しっかりお兄ちゃんが天国に行けるように・・

 

そして なんとか無事に四十九日の法要を終えました

これで本当にお兄ちゃんはあちらに行ってしまったんだなぁ・・

これからは お兄ちゃんの分まで元気に生きていかなければいけない

それはよくわかっているんだけど

寂しいです  とってもとっても寂しいです

もう二度と会えないという事実を どうにもこうにも受け止められない自分がいます

 

今後の事を心配して私を気遣ってくれる人がいます

それはMちゃんとKちゃんの事

Kちゃんはお兄ちゃんと血のつながりがないから・・

だけど血のつながりって何でしょう

今は血がつながっている本当の親子でさえ希薄な関係が多いじゃないですか

親の面倒を放棄したり 我が子を虐待で死なせたり

血なんて全然関係ないんです

私たちの息子であるお兄ちゃんが幸せにするはずだったMちゃんとKちゃんを

代わって私たちが守っていくのは当然のことなんです

私はええかっこしいの人間だけど

これは本当に心の底から思ってることなんです

Mちゃんは私たちの娘であり Kちゃんは私たちの孫です

だからずっとずっと 私たちが彼女たちを守っていきます

誰が何と言っても守っていきます

だけど いっぱい時が経って もし私たちの代わりに彼女たちを守ってくれる人が現れたら

その時は迷わずその人に託します

彼女はそれを望んではいないかもしれないけれど 先のことはわからない

とにかく今は 全身全霊で彼女たちを守りたいと強く強く思っています

 

今は毎日MちゃんとKちゃんと電話で話をしています

その日の出来事をお互いに報告し合っています

それは短い時間ではあるけれど 

私が  「ああ、今日も無事に終わった」 と

安心できる時間でもあるんです

この短い時間を 積み重ねていくことが 今は私たちにとって一番大切なことであり

お兄ちゃんはきっとそんな私たちをドキドキしながら見ていると思います

 本当はこっちでみんな一緒に住めればいいんだけど

Mちゃんの仕事やKちゃんの学校の事を考えるとなかなか難しいし

これからいい方法を考えていこうと思っています 

 

 今回 本当にたくさんの方たちにご心配をおかけしました

こんなブログでも 更新がないからと連絡をくださったり

状況を知ってお手紙や御供物等を送ってくださったり

優しいお悔やみの言葉をかけていただいて どんなに助けられたことでしょう

PCはずっと閉じたままだったので メールのお返事が大変遅くなってしまったこと

また 携帯の方に送っていただいた方にもいろいろな連絡事項と重なって

全ての方にお返事ができなかったこと

ここにお詫びいたします ごめんなさい

 

高校時代の友人は 息子の死を知って3日間東京から通って一緒に泣いてくれました

療育関係のお母さんは 自分が乗り越えてきた人生を便箋何枚にも渡って書いてくれました

他にも 賀状を欠礼したお詫びの葉書を読んだ友人知人が 次々に電話や手紙をくれて 

 「子供を失う」 ってことの重大さを 改めて痛感した私です

友人の一人がくれた手紙に  「訃報を聞いて自分の日頃の不平不満が吹っ飛びました」 

と書いてあるのを読んで 私は思いました

不平不満が言えるって 毎日平凡に暮らすって

 ものすごく幸せなことなんじゃないかと

 

私にはもう一人息子がいます

 彼は御存知の通り 発達障害を持っています

お兄ちゃんはよく 「パパとママがいなくなった後 あいつの面倒はちゃんと俺が見るから」 って言ってくれていました

でも そのお兄ちゃんがいなくなった今 私たち夫婦は彼の将来をしっかりと考えていかなくてなりません

今までどんなにお兄ちゃんに頼っていたかを 今 身に染みて感じています  

二男の自立・・・ そして横浜に住んでいる私の母と 同居している義母・・・ 

この二人の母の面倒をしっかりと見ること

これが今後の私たちの生きる目的であり課題だと思っています

MちゃんとKちゃんのことと重ねて 頑張っていこうと思います

 

先日 妹と電話で話していました

昔のビデオを見つけて観ていたら そこにお兄ちゃんが出てきたそうです

皆でディズニーランドに行った時のや 横浜の実家で過ごした時の映像・・・

あの頃はよかったね・・・って

そんな話をしながら 妹と電話口でまた泣きました

こうやって日常のあちこちにお兄ちゃんの面影を見つけながら これからも生きていくんだと思います

お兄ちゃんと行った場所や お兄ちゃんが好きだった食べ物・・

MちゃんやKちゃんと お兄ちゃんの話をいっぱいしながら生きていこうと思います

 

今は一日一回以上泣いて 一回以上笑えるようになりました

二男の卒業に向けて 役員の仕事が慌ただしくなってきました

少しずつ 私の日常が戻ってきています

 

『毎日がHappy気分』 

どんなに小さくてもいいから 毎日幸せを見つけて元気に暮らしていくって意味で付けたこのブログのタイトルです

しばらくはスローペースでいきますが ちょっとずつまた 〝平凡な幸せ″ を綴っていこうと思います

色々とありがとうございました

そして

これからも どうぞよろしくお願いいたします

 

 

 

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