世界はキラキラおもちゃ箱・第3館

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小さな小さな神さま・8

2017-05-27 04:16:53 | 月夜の考古学・第3館


  5

 久香遅の神の町は、そこからまた山を一つ越えたところに、ありました。いや、それはもはや町ではありませんでした。緑はえぐられ、家々は焼かれ、黒々とした大地の傷痕が、無残にむき出されていました。生きているにんげんは、もはやだれもいないようでした。焼かれたにんげんの痕跡が、そこここに見え、割れた核の破片はもはや悲しむことも思案することもならず、光を失って地に散らばっていました。ただ断末魔の恨みの声を乗せた風だけが、よろよろと焦土を這っていました。
 小さな神さまは峰に立ち、その様子をしばし無言でごらんになっていました。言葉は何も生まれませんでした。思いすらも描かれることを忘れられるくらいでした。悲しみは、微かな吐息となって、小さな神さまのお口元を濡らし、冷たい霜を作りました。
「久香遅の神を探しましょう」
 美羽嵐志彦が言いました。小さな神さまは、黙ってうなずかれました。
「久香遅の神さま、どこにおられますか?」
 小さな神さまは峰を降りて、焦土の上を旋回して飛びながら、久香遅の神を探されました。しかし、応える声はありませんでした。
「どこかにいってしまわれたのだろうか?」
「そうかもしれません。この有り様では、去っていきたくなる気持ちも分かるというもの」
 美羽嵐志彦が怒りの混じった声で言いました。小さな神さまは、町の真ん中の、焼け残った石の塔の上に、降り立ちました。すると恨みをはらしてくれという、にんげんの悲しげな声が、小さな神さまの足元をそっと触れました。小さな神さまは、思わず、その声に激しくお答えになりました。
「何を言う。神の声を聞かなかったのはおまえたちではないか。何もかも、おまえたちがしたことの結果ではないか。今さら、何を神に求めるのだ」
 瞬間、沈黙が走りました。小蟹の群れがわらわらと逃げるように、気配が隅の方へと縮こまりました。小さな神さまのお胸に、水のように重たく、悲しみがふさがりました。とうとう、涙があふれ出ました。
「何ということだ……何ということだ……」
 すると、背後から、音のような、わんと響くものがありました。小さな神さまが振り向かれますと、そこには、おひと方の年老いた神が、哀れなほどに消沈されたご様子で、立っておられました。
「悲しまんでくだされ、この子らのために」
 その神さまは、衣の裾も破れ、お髪も乱れ、ずいぶんとうらぶれたご様子をなさっておいででした。お目の中には悲しみと絶望が青く沈み、お口元は冷たい霜で凍っておりました。すりきれた腰帯には小さな袋がぶら下げてあり、神様がよろよろとお腰を揺らすたびに、その中からしゃりしゃりという音が聞こえてきました。それは砕けたにんげんの核の音だと、小さな神さまには分かりました。
「久香遅の神でいらっしゃいますか?」
 その神さまは黙ってうなずかれました。小さな神さまは、どうにもお悔やみの言葉が見つからず、しばし申しわけないかのように頭を垂れられて、ようやく、おっしゃいました。
「稲佐の神から、ことづかってまいりました……」
 そして、お指にとめられた核を、久香遅の神に差し出されました。とたん、核から、ひらめくような光が走り、それと同時に久香遅の神のお顔も稲妻のように光りました。
「おお、チコネよ! 我が子よ……」
 核は、のみのように弾けて、まるで赤子が母の胸に吸い付くように、久香遅の神の胸元へと飛び込みました。
「おとうさん! おとうさん……」
 堰を切ったような子供の泣き声が聞こえたかと思うと、核は久香遅の神の手の中で、何度も大きくなったり小さくなったり、ぐるぐるまわったりしていました。何をどのようにしたらいいのか、まるで分らないといった様子でした。久香遅の神は、愛しくてならぬというようにそれにほおずりをし、涙で潤しました。
「ああ、よい。ただ一人でも、わたしの許にもどって来てくれた。おおチコネ、辛かったか、苦しかったか……」
「寂しゅうございました。寂しゅうございました」
「そうか、そうか……。だがようがんばった。ようがんばって、帰ってきた……」
 久香遅の神は、チコネの核をたなごころに抱きながら、よろよろとひざを折られました。そうして、ひとしきり、神とこのむせび泣きが、続きました。
 やがて、十分にほおを潤されたのか、久香遅の神は、顔をあげられました。そしてゆっくりと立ち上がり、小さな神さまに向かって、改めて頭を深く垂れられ、おっしゃいました。
「ありがとうございました。また、お見苦しいところをお見せしてしまいました」
「ああ、いや……」
 小さな神さまはかぶりを振られました。久香遅の神は、いくぶんお元気を取りもどされたようで、ほおの辺りに微かに紅がさしていました。小さな神さまは、照れ隠しのように、おっしゃいました。
「そのにんげんの名は、チコネというのですね」
「はい。良い子でした。互いに思いが届かず、不和の時期もありましたが、最後には戦をとめるため、命をかけて働いてくれました。……しかし、あまりにも若すぎ、そして遅すぎました」
 久香遅の神は、焼けただれた町を見回しながら、おっしゃいました。
「これらのことは、何もかも、わたしの荷です。わたしがいけなかった。この子らを愛するあまり、厳しくしつけることを忘れていた。気がついた時は、もう手がつけられないほど、うぬぼれておりました。未だ赤子に毛が生えたような知恵しかもたぬに、自分たちの力だけで勝てると信じていた。まるで自分たちが選ばれた世界の王だとでも言わんばかりに……」
 久香遅の神は、深いため息をつかれました。すると手の中で、チコネが消え入りそうなほどに、きりきりと縮まりました。小さな神さまは、お目を深く伏せられながら、おっしゃいました。
「おいたみ申し上げます。……これから、どうなさるのですか?」
 すると久香遅の神は、まるでたそがれの光のように、お口元にほんのりとほほ笑みを浮かべ、答えられました。
「真を申し上げれば、どうすればいいか、途方にくれておりました。しかし、この子が帰って来てくれたので、ようやく踏ん切りもつきました。まずは、この子らの核のかけらを、全て拾い集めてやりましょう。我がままな子らでしたが、放っておくことはできません。それが終わったら、傷ついた地霊を慰め、癒してやりましょう」
「それから?」
「さあ、まだ分かりませぬ」
 久香遅の神は、青ざめたお顔に、精一杯の希望をたたえられて、ほほ笑まれました。まだまだ力弱い希望ではありましたが、出会ったときと比べると、各段に明るいお表情と申し上げられましょう。小さな神さまは、ほんの少し、安どの気持ちを抱かれました。
「あなたは、にんかなの峰にゆかれるのですね」
 突然、久香遅の神がおっしゃるので、小さな神さまは驚き、思わずうなずいてしまわれました。
「ならば、頼みがあるのです。どうかこの子を、にんかなの峰へ連れていってはくださらぬか」
 久香遅の神は、たなごころのチコネの核を差し出しながら、おっしゃいました。チコネが驚いて、ぴょんぴょんと跳ねて抗議しました。
「わたしは、このたびのことで、様々な力を使い果たし、今やこのような有り様となってしまいました。またこれからしばらくは後片付けに忙しく、この子のためにしてやれることは、少ない。ならばにんかなの峰へとゆき、新しい命を授かり、新しい神の許で生を営んでゆく方が、この子の幸せと申せましょう。お願いいたします」
 久香遅の神は深々と頭を垂れられました。小さな神さまは、しばし、久香遅の神と、チコネの核とを見比べて、思案なさっておりました。チコネは久香遅の神と離れるのを悲しんで、さめざめと泣いておりました。しかし久香遅の神は、ほほ笑んで、何度も何度も言い聞かせました。チコネはしゅんとしましたが、ようやく納得して、うなずきました。小さな神さまはおっしゃいました。
「分かりました。それならば、ともに連れてゆきましょう」
「おお、ありがとう。さあ、チコネ」
 久香遅の神は、そっとたなごころを差し出しました。チコネは元気なく、そのたなごころを飛んで、再び小さな神さまのお指に帰って来ました。
「では、お気をつけて……」
 久香遅の神がおっしゃるので、小さな神さまは、額を下げられました。しかしこのままここを去ってゆくことが、ひどく辛いことのように思え、小さな神さまはしばし動くことができませんでした。すると久香遅の神がまたほほ笑んで、おっしゃいました。
「そんなお顔をなさらんでください。いつかまた会えましょう。この世に永遠の別れはありませぬ」
「確かに」
 小さな神さまは受け取られ、そしてほほ笑みをお返しになりました。
 久香遅の神は、峰に立たれ、小さな神さまたちをお見送りになりました。小さな神さまの指の上で、チコネが種火のようにじんじんと熱くなり、震えていました。小さなにんげんの核が、懸命に悲しみに耐えようとしているのが、小さな神さまのお心に、痛くしみました。そして久香遅の神は、小さな神さまたちのお姿が見えなくなるまで、じっと峰に立っておられました。

  (つづく)





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