共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

靖國神社で77回目の終戦記念日

2022年08月15日 14時35分10秒 | 神社仏閣
今日は8月15日、日本が敗戦してから77回目の『戦没者を追悼し平和を祈念する日』です。ということで、今年も東京・九段の靖國神社に参詣することにしました。

薄曇りながらも雲間から太陽がジリジリと照りつける中を巨大な一之鳥居をくぐって参道を進むと


青銅製の二之鳥居と神門が見えてきます。かつてはこの辺りから既に参拝の列ができていたのですが、今年の新型コロナウィルスの急激な拡大を懸念してか、それとも連日の酷暑を懸念してか、参拝者の数はだいぶ少なく見受けられました。

それでも、一礼して神門をくぐると



この盛況ぶり。やはり、この特別な日を靖國で…と考えている人は多いようです。

今年も正午の黙祷に合わせて昇殿参拝することにしました。神職の案内で拝殿に入ると、



すぐ隣の日本武道館で挙行されている全国戦没者追悼式の様子を伝えるラジオの音声が流れてきました。

天皇皇后両陛下が御臨席になられた後、国歌の黙唱に続いて岸田総理大臣によって式辞が述べられました。それを聞きながら、ほんの数年前までこの式辞を先月凶弾に倒れた故安倍晋三元首相が述べていたことを思うと、心中は非常に複雑でした。

そして、正午の時報と共に1分間の黙祷が捧げられました。すると、つい先程まで柏手の音や賽銭の音、警備員の案内の声で賑わっていた境内が一気に静まり返り、蝉時雨と拝殿内を吹き抜ける風の音以外の全ての雑音が途絶えました。

毎年いつも不思議に思うのですが、どんなに外が酷暑でも、この拝殿に入ると何とも言えない涼やかな風が吹き抜けていきます。まるで戦没者たちが酷暑の中足を運んだ参拝者へ一陣の労いの風を送ってくれているようで、いつ体感しても思わず胸が熱くなります。

黙祷の後に、



天皇陛下が『全国戦没者之霊』と書かれた標柱に向かい、

「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、先の大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たに致します。」

「終戦以来77年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。」

「私たちは今、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による様々な困難に直面していますが、私たち皆が心を一つにし、力を合わせてこの難しい状況を乗り越え、今後とも、人々の幸せと平和を希求し続けていくことを心から願います。」

「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」

とのお言葉を述べられました。

靖國神社境内ではここでラジオの音声が切られ、そのまま本殿へと参列者が誘導されます。例年だと



拝殿左側を出て廻廊を周りこみ、本殿の左側の入口から本殿内へと進むのですが、今年は拝殿の正面から出て畳の敷かれた参道を真っ直ぐに本殿の正面へ向かい、正面入口から本殿内へと進んでの参拝となっていました。

本殿に入ると、正面には大きな鑑(かがみ)が祀られています。順番がまわってきて鑑に向かい、現代日本の礎のなられた全ての戦没者の御霊安かれと祈りました。

本殿を出ると



今年も報道各社の記者やカメラマンが興味無さそうに参拝者を無遠慮に撮影していました。中には大あくびをしている失敬な輩もいて、

『失礼な奴だな。そんなに興味が無いなら、このクソ暑い時にわざわざ靖國になんざ来なけりゃいいのに…。』

と思わされます。

そんなことを思いながら、資料館でもある遊就館(ゆうしゅうかん)へも足を運びました。エントランスには





かつてタイとビルマ(現ミャンマー)とを結んていた泰緬鉄道(たいめんてつどう)で走っていたC56型蒸気機関車や





零式艦上戦闘機52型(ゼロ戦)の実物が展示されています。

以前から思っているのですが、私は敗戦した日本が戦勝国が使うような『終戦記念日』という呼称を使っていることに、モヤモヤとした違和感を感じています。どうせならば天皇陛下が仰せになった通り『戦没者を追悼し平和を祈念する日』とした方が意義もはっきりするし、戦没者を追善するのに相応しい感じがするのです。

こういうことを言うと必ず

「そんな呼び方なんて長ったらしい!」

とイチャモンつけてくる輩もいるでしょうが、戦後77年も経った今だからこそ『8月15日』という日を改めて考えてみてもいいのではないかと思っています。

コメント
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