朝のうちは晴れていた空も、午後になってからは雲が一面に広がりだしました。夕方頃になって日差しが戻りましたが、お世辞にもすっきり晴れた空とは言い難いままでした。
ところで、今日3月31日はハイドンの誕生日です。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732〜1809)は現在のオーストリア出身の音楽家であり、西洋音楽史中の古典派という時代を代表する作曲家です。古典派様式による数多くの交響曲や弦楽四重奏曲を作曲したことから『交響曲の父』『弦楽四重奏曲の父』『古典派音楽の父』とも呼ばれています。
中でも《弦楽四重奏曲第77番 ハ長調》の第2楽章にも用いられた皇帝讃歌『神よ、皇帝フランツを守り給え』の旋律は、現在ドイツ国歌(ドイツの歌)に用いられています。また、弟のヨハン・ミヒャエル・ハイドン(1737〜1806)も作曲家として名を残しています。
ハイドンは『古典派』の音楽を確立した人物として、古典派音楽の全ての分野に貢献しています。番号のないものを含めて108曲もの交響曲、82曲(プラス未完成曲1曲)を数える弦楽四重奏曲、約52曲のクラヴィア・ソナタを始めとした様々なソナタなど器楽分野の完成者ともいわれていて、これが『交響曲の父』『弦楽四重奏曲の父』『古典派音楽の父』と呼ばれている由縁となっています。
また後輩に当たるヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756〜1791)やルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770〜1827)に重要な影響を与え、この二人から絶大な尊敬を受けていました。そんな『交響曲の父』の誕生日にご紹介するのは、《交響曲第1番 ニ長調》です。
《交響曲第1番 ニ長調 Hob. I:1 》は、伝承によればハイドンが最初に作曲した交響曲であり、1757年頃の作品ではないかと推定されています。ただ、《第1番》とはいいながら、実はこれがハイドンの書いた最初の交響曲であるという確証はありません(これ以前にも交響曲、或いはシンフォニアと題した作品が存在したと考えられています)。
後の時代のハイドンの交響曲は殆どが4楽章形式ですが、初期の交響曲では急ー緩ー急の3楽章形式のものが多く遺されています(初期以外の3楽章形式の交響曲は第26番と第30番のみで、この形式以外の3楽章の交響曲には第18番と第25番があります)。これらの交響曲の多くは緩徐楽章の第2楽章が弦楽器のみで演奏され、第3楽章は快速な8分の3拍子になっています。
《交響曲第1番 ニ長調》も急-緩-急の3楽章構成で、イタリアのオペラ・シンフォニアに由来した形式となっています。
第1楽章はプレスト、ニ長調、未発達なソナタ形式の4分の4拍子。急速なテンポで徐々に音が大きくなるような第1主題で始まり、ホルンがワクワクするような信号音で応えながら生き生きと進みます。
第2楽章はアンダンテ、ト長調、4分の2拍子で、この楽章は弦楽合奏のみで典雅に演奏されます。第1主題は穏やかな気品をたたえたもので、展開部ではハイドンらしい短調が薫ります。
第3楽章はプレスト、ニ長調、8分の3拍子のソナタ形式で、6小節ずつの第1主題、第2主題は共に3拍子のリズムに乗った楽しげなものです。展開部は属調に変型された第1主題で始まり、再現部も型どおり行われ、イタリア由来のオペラ・シンフォニア形式ならではの明快さで華やかに結ばれます。
そんなわけで、ハイドンの誕生日である今日は、最初の交響曲…といわれている《交響曲第1番 ニ長調》をお聴きいただきたいと思います。『驚愕』『軍隊』『時計』『ロンドン』といった名作交響曲の先駆けとなった作品を、イギリス古楽の雄の一人であるクリストファー・ホグウッドの指揮、ジ・アカデミー・オブ・エンシェント・ミュージックによる演奏でお楽しみください。