今日も時折冷たい雨の降る、生憎の連休最終日となりました。気温も天気予報で言われたほどには上がらず、少し肌寒さも感じるくらいでした。
そんな中、今日は
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厚木市妻田にある真言宗の寺院遍照院(へんじょういん)にやってきました。今日はこちらで12年に一度、薬師如来御縁の寅年に挙行される秘仏本尊薬師如来坐像の御開帳に参詣しました。
縁起によれば、このお寺は天平宝字5(761)年に奈良・東大寺の初代別当である良弁(ろうべん)僧正が薬師堂に詣でて七日七晩経典を読誦したところ後光が差して、東の池に青色の蓮華の白い根が満ちてまるで白い布を敷き詰めたように見えたことから白根山遍照院(しらねさんへんじょういん)と名付けたといいます。東方浄瑠璃浄土の教主である薬師如来を祀ることから、寺号も東光寺とされました。
お寺に着くと
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ちょうど僧侶たちによる法要が執り行われている最中でした。法要が終わって僧侶が退堂すると御堂に上がることが許されたので、靴を脱いで堂内に入りました。
今回はフラッシュを焚かなければ堂内の撮影が許可されていたので、いろいろと撮影させていただきました。中に入ると
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つい先程まで法要に使用されていた柄香炉から香の煙が立ち昇り、香の甘い薫りが満ちる堂内の正面には
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極彩色に彩られた来迎柱と御厨子があり、秘仏本尊の薬師如来坐像が半開帳していました。
堂内には
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山号『白根山』の扁額が遺されています。普段このお堂には入ることができないので、何度も参詣している私も初めて見るものでした。
こちらの薬師如来坐像は12年に一度御厨子の扉を開く半開帳が挙行され、60年に一度は御厨子から薬師如来坐像が直々にお出ましになる全開帳が挙行されます。恐る恐るお寺の関係者に伺ったところ、なんと全開帳は前回2010年だったとのことでした。
2010年といえばまだ拙ブログを開設する前の年のことで、次回の全開帳は48年後の2070年ということになります。つまり私が生きていれば白寿を迎える年となりますから、諦めて来世に期待しようと思います…。
御厨子の前に進むと
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薬師如来坐像の右手に結ばれた五色の布が外まで延びていました。この五色の布は
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境内の参道に建てられた御結縁柱(ごけちえんばしら)に結ばれていて、参拝者はこの布を手にして御本尊と御縁を結ぶことができるようになっています。
御厨子の前まで進んで御真言を唱え御尊顔を拝しましたが、半開帳なので
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最大限カメラで寄ってもこれが限界でした。パンフレットの写真のよれば
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このような御姿をされているようで、体部には武田信玄が北条と雌雄を決した三増合戦(みませがっせん)によって寺が燃やされた後の永禄12(1569)年の銘文があり、頭部だけは燃やされる以前の破壊を免れた室町中期の作とされる旧像を転用していると考えられています。
薬師如来の御厨子の横には
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赤い小厨子に収められた小さな立像があります。
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これは江戸時代に造られた秘仏本尊の『御前立(おまえだち)』で、御本尊の御開帳以外の時には
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このようなかたちで御厨子の扉の前に立っておられます。
御厨子の両脇には
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日輪(にちりん)を持った日光菩薩と
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月輪(がちりん)を持った月光菩薩(かっこうぼさつ)が控えています。前立本尊と共に、江戸時代に作られた寄木造の尊像です。
今日は12年に一度の御縁日ということで、稚児行列も行われました。通常は一時間ほど時間をかけて地内を練り歩くのだそうですが、生憎雨が降ってきてしまったことでショートカットして早めに戻ってきました。
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『妻田薬師御開扉大法要』と書かれた幡を先頭に
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錫杖を持った先導役に続いて
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緋傘を差しかけられた僧侶が散華を撒きながら境内に進んでくると、その後ろから
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鮮やかな衣を身に纏い、烏帽子と宝冠を戴いた子どもたちが歩いてきました。そして
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御堂の前に整列した子どもたちは
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先程の僧侶から
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一人ずつ御祈祷を受けて
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稚児行列は無事に終了しました。
普段は固く扉の閉ざされているお寺の貴重な姿を拝見することができたことは、非常に有意義でした。次回の御開帳(半開帳)は、12年後の2034年です。