共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

水戸の銘菓!『吉原殿中』

2022年12月11日 17時15分45秒 | スイーツ
今朝は冷え込みましたが、日中になるとそこそこ暖かな気持ちのいい日和となりました。なので洗濯をしよう…と思ったら、洗濯洗剤が切れていたので買いに行くことにしました(汗)。

どうせなら他の買い物も一緒に済ませてしまおうと、本厚木駅前まで出かけることにしました。必要なものを全て買い終えてから、



先日もご紹介した《千石屋》に足を運んでみることにしました。

こちらの魅力のひとつは今では珍しくなったお菓子の量り売りですが、もうひとつは珍しい各地のお菓子を取り揃えてあることです。先日ご紹介した愛知の『松永のしるこサンド』もそうですが、私がここに通っていた一番の理由は



私の郷里茨城県の銘菓のひとつ『吉原殿中』が常設されていたことです。

『吉原殿中』は茨城県水戸市の銘菓のひとつで、簡単に言うと筒状にした「おこし」にきな粉をまぶしたものです。包装を解くと



手を汚さないためのオブラートに包まれた吉原殿中が出てきますが、私は子どもの頃からこの『食べられる紙=オブラート』の食感も含めて、このお菓子が大好きでした。

この『吉原殿中』の起源は、江戸時代にまで遡ります。そしてそこには、徳川御三家のひとつだった水戸徳川家が大きく関わっています。

江戸時代末期の水戸藩九代藩主・徳川斉昭公は、民百姓が日夜汗と泥にまみれ働く尊い姿に心うたれていました。そこで自ら青銅で作った「農人形」(農夫の像)に最初の一箸のご飯を食事の度に供え、五穀の有り難さと農民の労に感謝していたそうです。

その農人形にお供えしたご飯をもったいないと、吉原という名の奥女中がそのご飯粒を乾燥させて焼いてきな粉をまぶしたお菓子を作りました。それを斉昭公に召し上がっていただいたところ、日頃から質素倹約を旨としていた斉昭公は大変喜ばれ、そのお菓子に『吉原殿中』と名付けた…と言われています。

地味なお菓子ですが、滋味深く懐かしい味です。千石屋さんが閉店・廃業してしまったら今までのように気軽に買い求めることはできなくなりますから、

『次からは何処で殿中を買おうか…』

と、今から哀しくなってきてしまいます…(泣)。

コメント
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