はぁ………
…すみません、こんな秋晴れの爽やかな日に、しかし個人的にあまりにもショッキングな出来事で、未だに何が起こったのか分からないもので…。
以前、拙ブログでバッハの《パッサカリアハ短調》の吹奏楽アレンジの仕事を受けたことを書きました。依頼主は大学に入学した時に知り合った同期の人間で、ほぼ卒業以来くらいにFacebookのメッセンジャーで連絡を寄越してきて
「今指導している吹奏楽団の演奏会でバッハをやりたいんだけど、何処にも小編成用の楽譜が売っていないから、作ってくれないか。ちゃんと『御礼』はするから。」
と言ってきたわけです。
私としても随分久しぶりにわざわざ連絡をくれたということもあって嬉しかったし、仕事としてちゃんと『御礼』はするということでもありましたから、二つ返事で依頼を受けて作業を開始しました。
そして先日無事にアレンジを終えて、依頼主にそのことをメールで報告しました。すると、向こうの都合で今日直接手渡してほしいという希望があり、そこで『御礼をする』からという返信がありました。
指定された場所は、厚木市内に三つあるVELOCEのひとつでした。
指定された時間よりも10分ほど早く着いた私は、店頭で完成品を入れた封筒を抱えて待っていました。すると指定時間に遅れること15分ほどで、かなりヲジサン化した依頼主が満面の笑みで現れました。
旧交を暖める挨拶もそこそこに店に入ると、彼がお茶代を出してくれると言ってきました。なので、お言葉に甘えてコーヒーとケーキを選び、席に着きました。そして、彼が席に着いたところで早速出来上がった作品を見てもらおう…と思ったのですが、座るなり彼が
「いやぁ、しかし久しぶりだねぇ。元気にしてた?」
と明るく語りかけてきました。それからどのくらいの時間経ったか…と言うくらいに昔語りに花を咲かせ、互いの近況も含めて大いに話が盛り上がっていました。
そして、いよいよ目的のバッハの楽譜を彼に見てもらいました。
楽譜を広げた彼はページをめくりながら
「おぉ!スゲースゲー!いいじゃんいいじゃん!」
と興奮気味にはしゃいでいました。そして最後のページまで見終えると
「いやぁ悪いね、うちみたいな貧乏吹奏楽団のためにわざわざ書いてもらって。」
と、御満悦な表情を浮かべていました。私としても、その時は依頼主に喜んでもらえてホッとしていました。
それで、いざ報酬を…という段になった時に、またしてもバッハと関係ない雑談が始まりました。そしてそこから、彼が現在指導している吹奏楽団との出会いの話から、如何に今団員が少なくて苦労しているか、運営が大変かということを切々と訴えかけるように話し出したのです。
そんな中で、団員からバッハを演りたいという希望があったものの、調べてみるとそこの楽団の規模で演奏できるバージョンの楽譜が何処にも存在しないことが判明したのだそうです。そんな中で、偶然私のFacebookを見て、私がたまにアレンジを引き受けていることを知ったということでした。
その話の結びで
「始めはこんな大規模な曲のアレンジを格安ででも引き受けてくれる人なんていなくてさ。だから結果的に君に甘えちゃった感じになっちゃったんだけど、やっぱり持つべきものは友達だよな、助かったよ。だから今回も『友達価格』でお願いさせてもらったんだ。」
と一方的に畳み掛けるように話してきました。
そして…
こちらが気圧されたように呆気にとられたままの状態でしばらく彼の一方的な自分語りが続いていたのですが、ふと腕時計を見た彼は
「あ、いけね、こんな時間だ。今日はわざわざ悪かったね。ありがと(^^)。」
と言って、楽譜の入った封筒を手に持って席を立って出口へ向かおうとしたのです。
いやいやいや…私も、まだアレンジの『御礼』を頂戴していませんでしたから、
「ちょっと待って。アレンジの『御礼』を頂ける話は?」
と言ったら、彼が
「は?(・o・)」(←リアルにこんな顔をした)
とフリーズしたのです。
そして分かったのが、何と今私の目の前にあるVELOCEのコーヒーとケーキが、その『御礼』だったのです。
要するに、その前の話で
「如何に今大変なことになっているか」
ということを熱く説明したことで、
「友達だろ?だったら俺と楽団の窮状を察して、今回は『友達価格』としてこれで引き受けてくれ。」
ということだったようなのです。
ちょっと待ってくれ、いくら『友達』だからってこちらとしてもある程度時間を割いて筆をとってアレンジしたわけだし、第一貴方から五線紙や製本作業の実費すら頂いていない、その全てにかかった『御礼』がVELOCEの¥150のコーヒーと¥400足らずのケーキで終いかい?…と突っ込んでみたところ、始めは何を言われているのか分からないような顔をしていた彼は私の前に千円札を二枚置いて
「オマエって友達甲斐ないのな。折角オマエの作品が世に出るっていうのに、その名誉だけじゃ飽き足らずに、他のアレンジャー同様に金を請求してくるんだ。もういいよ。」
と立ち去ろうとしたのです。
公共の場所だし、落ち着かなくてはいけない…と自分を抑えていたのですが、事ここに及んでさすがに黙っていられなくなって、
「『友達甲斐』って何?他のアレンジャーが引き受けてくれないからって、たまたま大学で同期だったからってタダ同然でアレンジ引き受けさせるって何なの?しかもちゃんとした説明もしないで。」
「ボランティアなら最初からボランティアだって言ってくれればこちらだって考えるところがあったのに、敢えてそれを伏せてアレンジをさせたわけだよね?それってある意味詐欺って言われても仕方無くない?」
「こちらも事前に報酬の話をきちんと詰めなかったのも悪いと思うけど、貴方が大変なように私だって生活が大変なんだよ。それなのに、貴方は自分語りだけして人の経済状況の話なんか聞きもしないじゃないの。」
「五線紙だって装丁の材料だってタダじゃないんだよ。その実費も全て私が負担して、尚且つあれだけの時間と労力を割いて頭を三角にしながら何とか納期に間に合うように苦労したんだ。その報酬がVELOCEの¥500ばかりのコーヒーとケーキかよ!」
「その後にテーブルに置いたこの二千円は何?そのアレンジ30ページちょっとあるんだけど、これだと1ページ¥100にもならないよね?貴方にとって、それだけのフルスコア書き上げた私のアレンジャーとしての価値ってそんなもんなの?」
「さっき『オマエの作品が世に出る』って言ったよね?でも、世に出るのは私の作品じゃなくてバッハの作品じゃね?だから、そのアレンジが日の目を見たからって別に『私の名誉』になんかならないんだよ、そこ分かってる?」
「ヴェルディのオペラ《ファルスタッフ》の第一幕のファルスタッフの台詞に『名誉で腹が膨れるか?いや!名誉に折れた脛が治せるか?いや!名誉は外科医じゃねぇんだ。じゃあそもそも名誉とは何か?ただの〈言葉〉だ。虚構の中に消えていく、大した代物だ!』というのがあるんだよ。そう、下世話な話、貴方も私も〈名誉〉だけで喰っていける程の御仁じゃないんだから、生きていくためには先立つものが必要なんだよ。」
「それに昔、ある先輩から聞いたことがある。『友達価格』っていうのは
『友達だから、このくらい安く引き受けてね。』
ってことじゃなくて、
『友達だからこそ、自分で出来る精一杯の御礼はさせてもらうよ。』
ってことなんだって。」
「その二千円が今の貴方にとっての精一杯だって言うんなら考えなくもないけど、少なくとも貴方はここにROLEXをつけて来るくらいの経済力あるんでしょ?だったら『友達』として貴方だけじゃなくこちらの窮状も考慮してもらえないかしら?私だって霞喰って生きているわけじゃないんだし。」
と、ほぼ一気に畳み掛け返してしまいました。
彼がROLEXの段になって、小さく
『しまった…!』
という顔をしたのを見逃しませんでしたが、それでも
「悪りぃな、何を言われようと無い袖は振れないんだよ。オマエがそんなに金に汚いヤツだとは思わなかった。じゃあな!(`へ´)。」
と大きな声で捨て台詞を吐いて立ち去ろうとしたので、大人気無いと思いつつ
「じゃあ、今ここにいる第三者の皆さんに、今までの話を聞いてどっちが金に汚いのかアンケートでも取ってみようか?そしたら、どっちがよりマトモなこと言ってるのか判ると思うぞ!(#^ω^)。」
と、あらん限りに目をひん剥いた満面の笑みと彼を上回る声楽レッスン仕込みの大きな声で言い返してやりました。すると彼は真っ赤な顔をしたまま、それでも楽譜の入った封筒はしっかりと持って、無言で踵を返して出ていってしまったのでした。
一人残された私は、店全体に
「お騒がせしました。」
と頭を下げて、彼が残して行った食器と私の食器とを下げて店を後にしたのでした。
何でしょう…いや別にボランティアなら始めからボランティアだと言ってくれれば、こちらとしてもそれなりの心づもりはしていたと思います。それなのに
「きちんと『御礼』するから」
と報酬をチラつかせておいて、蓋を開けてみたらそれがVELOCEのコーヒーだったというのが何だか自分が騙されたような気もしてしまったし、引いては彼にとって私が
『それだけの価値のヤツ』
っていうレッテルを貼られたみたいで、異様に腹が立ってしまったのですよ。
よく、楽器を持ち歩いている状態の時にその場で
「チャチャッとでいいから、ヴァイオリンで何か弾いてよ。」
と気軽に言われることがあります。その時に私は、気のおけない人たちの中であれば座興として本当にチャチャッと弾いてみせることもありますが、大抵の場合には
「伴奏がある状況でならお引き受けしないでもありません。」
と、やんわりお断りするようにしています。
極たまに
「へぇ、やっぱりクラシックの人ってお高いんだ。」
と厭味ったらしく言ってよこす人もいるのですが、そういう時にはその人の職業を聞いて、例えば飲食業であれば、
「では今度、お宅の店にお邪魔した時にタダ飯たらふく食わせて下さい。」
と言い返します。すると、何故か大抵の場合
「冗談じゃねぇ!」
と激昂してくるので、
「貴方が修行を重ねて、今ではお客から金をとって料理を振る舞う飲食を業として生活されているように、私は数百万円ものお金をかけて音楽大学を卒業し卒業後も修養を重ねて、今では演奏を業として生活しているのです。そう考えた時に、貴方の店で許されないことがどうして私には許されるのか、ここでタダ演奏することによって私に何のメリットがあるのか、明朗かつ明確な理由を御説明下さいませ。」
と言うと、一気に座がシラケます。でも、私はそれでいいと思っているので、一切気になりません。以前テレビで見た話ですが、和田アキ子も嘗て酒の席で歌を半ば強要された時に、
「私はプロの歌手ですから、カラオケでは歌いません。きちんとしたオケがあるところでなら歌います。」
と断ったそうですが、私はこの対処は正しいと思います。
日本はまだまだ音楽家に対して、歌舞音曲を業とする…という位置付けがされています。だからこそ、こうした
「ちょっとやってよ〜♪」
という軽薄な依頼のされ方をするし、一部の人間は悪気も無くホイホイと応じてしまったりするので、気軽に頼む側が
「あの人はやってくれたのにぃ〜…。」
とますますつけあがる…という悪循環が絶ちません。
私も嘗て、二十代の頃ある友人に
「アンタもさぁ、ちゃんと自分の技術をお金にしなきゃダメだよ。アレンジだって演奏だって、気軽に引き受けてばっかりいると、その人たちにとって『使えない』って判断された途端に一気に仕事が無くなるからね。人間って、そんなにいい人ばかりじゃないんだから。むしろ、足を引っ張るヤツの方が圧倒的に多いんだからね。」
と注意されたことがありました。そして今、その言葉は現実のものとなり、あれだけ共演したりアレンジを頼んで来たりした人たちは、私が不惑を迎えた頃からまるで潮が引いていくかの如く私の周りから消えていったのです。
その時の友人に今回の顛末を話したら、恐らく
「ほら言わんこっちゃない。」
と一蹴されて終わるかも知れませんが、それでも今回は自分なりの意地は通したつもりです。
今はただ、自分の音楽家としての価値の低さに呆然としていますが、今後は彼が置いていった千円札二枚を反省材料に、もっと仕事としての音楽活動を充実させていこうと心に思ったのでありました。
…すみません、こんな秋晴れの爽やかな日に、しかし個人的にあまりにもショッキングな出来事で、未だに何が起こったのか分からないもので…。
以前、拙ブログでバッハの《パッサカリアハ短調》の吹奏楽アレンジの仕事を受けたことを書きました。依頼主は大学に入学した時に知り合った同期の人間で、ほぼ卒業以来くらいにFacebookのメッセンジャーで連絡を寄越してきて
「今指導している吹奏楽団の演奏会でバッハをやりたいんだけど、何処にも小編成用の楽譜が売っていないから、作ってくれないか。ちゃんと『御礼』はするから。」
と言ってきたわけです。
私としても随分久しぶりにわざわざ連絡をくれたということもあって嬉しかったし、仕事としてちゃんと『御礼』はするということでもありましたから、二つ返事で依頼を受けて作業を開始しました。
そして先日無事にアレンジを終えて、依頼主にそのことをメールで報告しました。すると、向こうの都合で今日直接手渡してほしいという希望があり、そこで『御礼をする』からという返信がありました。
指定された場所は、厚木市内に三つあるVELOCEのひとつでした。
指定された時間よりも10分ほど早く着いた私は、店頭で完成品を入れた封筒を抱えて待っていました。すると指定時間に遅れること15分ほどで、かなりヲジサン化した依頼主が満面の笑みで現れました。
旧交を暖める挨拶もそこそこに店に入ると、彼がお茶代を出してくれると言ってきました。なので、お言葉に甘えてコーヒーとケーキを選び、席に着きました。そして、彼が席に着いたところで早速出来上がった作品を見てもらおう…と思ったのですが、座るなり彼が
「いやぁ、しかし久しぶりだねぇ。元気にしてた?」
と明るく語りかけてきました。それからどのくらいの時間経ったか…と言うくらいに昔語りに花を咲かせ、互いの近況も含めて大いに話が盛り上がっていました。
そして、いよいよ目的のバッハの楽譜を彼に見てもらいました。
楽譜を広げた彼はページをめくりながら
「おぉ!スゲースゲー!いいじゃんいいじゃん!」
と興奮気味にはしゃいでいました。そして最後のページまで見終えると
「いやぁ悪いね、うちみたいな貧乏吹奏楽団のためにわざわざ書いてもらって。」
と、御満悦な表情を浮かべていました。私としても、その時は依頼主に喜んでもらえてホッとしていました。
それで、いざ報酬を…という段になった時に、またしてもバッハと関係ない雑談が始まりました。そしてそこから、彼が現在指導している吹奏楽団との出会いの話から、如何に今団員が少なくて苦労しているか、運営が大変かということを切々と訴えかけるように話し出したのです。
そんな中で、団員からバッハを演りたいという希望があったものの、調べてみるとそこの楽団の規模で演奏できるバージョンの楽譜が何処にも存在しないことが判明したのだそうです。そんな中で、偶然私のFacebookを見て、私がたまにアレンジを引き受けていることを知ったということでした。
その話の結びで
「始めはこんな大規模な曲のアレンジを格安ででも引き受けてくれる人なんていなくてさ。だから結果的に君に甘えちゃった感じになっちゃったんだけど、やっぱり持つべきものは友達だよな、助かったよ。だから今回も『友達価格』でお願いさせてもらったんだ。」
と一方的に畳み掛けるように話してきました。
そして…
こちらが気圧されたように呆気にとられたままの状態でしばらく彼の一方的な自分語りが続いていたのですが、ふと腕時計を見た彼は
「あ、いけね、こんな時間だ。今日はわざわざ悪かったね。ありがと(^^)。」
と言って、楽譜の入った封筒を手に持って席を立って出口へ向かおうとしたのです。
いやいやいや…私も、まだアレンジの『御礼』を頂戴していませんでしたから、
「ちょっと待って。アレンジの『御礼』を頂ける話は?」
と言ったら、彼が
「は?(・o・)」(←リアルにこんな顔をした)
とフリーズしたのです。
そして分かったのが、何と今私の目の前にあるVELOCEのコーヒーとケーキが、その『御礼』だったのです。
要するに、その前の話で
「如何に今大変なことになっているか」
ということを熱く説明したことで、
「友達だろ?だったら俺と楽団の窮状を察して、今回は『友達価格』としてこれで引き受けてくれ。」
ということだったようなのです。
ちょっと待ってくれ、いくら『友達』だからってこちらとしてもある程度時間を割いて筆をとってアレンジしたわけだし、第一貴方から五線紙や製本作業の実費すら頂いていない、その全てにかかった『御礼』がVELOCEの¥150のコーヒーと¥400足らずのケーキで終いかい?…と突っ込んでみたところ、始めは何を言われているのか分からないような顔をしていた彼は私の前に千円札を二枚置いて
「オマエって友達甲斐ないのな。折角オマエの作品が世に出るっていうのに、その名誉だけじゃ飽き足らずに、他のアレンジャー同様に金を請求してくるんだ。もういいよ。」
と立ち去ろうとしたのです。
公共の場所だし、落ち着かなくてはいけない…と自分を抑えていたのですが、事ここに及んでさすがに黙っていられなくなって、
「『友達甲斐』って何?他のアレンジャーが引き受けてくれないからって、たまたま大学で同期だったからってタダ同然でアレンジ引き受けさせるって何なの?しかもちゃんとした説明もしないで。」
「ボランティアなら最初からボランティアだって言ってくれればこちらだって考えるところがあったのに、敢えてそれを伏せてアレンジをさせたわけだよね?それってある意味詐欺って言われても仕方無くない?」
「こちらも事前に報酬の話をきちんと詰めなかったのも悪いと思うけど、貴方が大変なように私だって生活が大変なんだよ。それなのに、貴方は自分語りだけして人の経済状況の話なんか聞きもしないじゃないの。」
「五線紙だって装丁の材料だってタダじゃないんだよ。その実費も全て私が負担して、尚且つあれだけの時間と労力を割いて頭を三角にしながら何とか納期に間に合うように苦労したんだ。その報酬がVELOCEの¥500ばかりのコーヒーとケーキかよ!」
「その後にテーブルに置いたこの二千円は何?そのアレンジ30ページちょっとあるんだけど、これだと1ページ¥100にもならないよね?貴方にとって、それだけのフルスコア書き上げた私のアレンジャーとしての価値ってそんなもんなの?」
「さっき『オマエの作品が世に出る』って言ったよね?でも、世に出るのは私の作品じゃなくてバッハの作品じゃね?だから、そのアレンジが日の目を見たからって別に『私の名誉』になんかならないんだよ、そこ分かってる?」
「ヴェルディのオペラ《ファルスタッフ》の第一幕のファルスタッフの台詞に『名誉で腹が膨れるか?いや!名誉に折れた脛が治せるか?いや!名誉は外科医じゃねぇんだ。じゃあそもそも名誉とは何か?ただの〈言葉〉だ。虚構の中に消えていく、大した代物だ!』というのがあるんだよ。そう、下世話な話、貴方も私も〈名誉〉だけで喰っていける程の御仁じゃないんだから、生きていくためには先立つものが必要なんだよ。」
「それに昔、ある先輩から聞いたことがある。『友達価格』っていうのは
『友達だから、このくらい安く引き受けてね。』
ってことじゃなくて、
『友達だからこそ、自分で出来る精一杯の御礼はさせてもらうよ。』
ってことなんだって。」
「その二千円が今の貴方にとっての精一杯だって言うんなら考えなくもないけど、少なくとも貴方はここにROLEXをつけて来るくらいの経済力あるんでしょ?だったら『友達』として貴方だけじゃなくこちらの窮状も考慮してもらえないかしら?私だって霞喰って生きているわけじゃないんだし。」
と、ほぼ一気に畳み掛け返してしまいました。
彼がROLEXの段になって、小さく
『しまった…!』
という顔をしたのを見逃しませんでしたが、それでも
「悪りぃな、何を言われようと無い袖は振れないんだよ。オマエがそんなに金に汚いヤツだとは思わなかった。じゃあな!(`へ´)。」
と大きな声で捨て台詞を吐いて立ち去ろうとしたので、大人気無いと思いつつ
「じゃあ、今ここにいる第三者の皆さんに、今までの話を聞いてどっちが金に汚いのかアンケートでも取ってみようか?そしたら、どっちがよりマトモなこと言ってるのか判ると思うぞ!(#^ω^)。」
と、あらん限りに目をひん剥いた満面の笑みと彼を上回る声楽レッスン仕込みの大きな声で言い返してやりました。すると彼は真っ赤な顔をしたまま、それでも楽譜の入った封筒はしっかりと持って、無言で踵を返して出ていってしまったのでした。
一人残された私は、店全体に
「お騒がせしました。」
と頭を下げて、彼が残して行った食器と私の食器とを下げて店を後にしたのでした。
何でしょう…いや別にボランティアなら始めからボランティアだと言ってくれれば、こちらとしてもそれなりの心づもりはしていたと思います。それなのに
「きちんと『御礼』するから」
と報酬をチラつかせておいて、蓋を開けてみたらそれがVELOCEのコーヒーだったというのが何だか自分が騙されたような気もしてしまったし、引いては彼にとって私が
『それだけの価値のヤツ』
っていうレッテルを貼られたみたいで、異様に腹が立ってしまったのですよ。
よく、楽器を持ち歩いている状態の時にその場で
「チャチャッとでいいから、ヴァイオリンで何か弾いてよ。」
と気軽に言われることがあります。その時に私は、気のおけない人たちの中であれば座興として本当にチャチャッと弾いてみせることもありますが、大抵の場合には
「伴奏がある状況でならお引き受けしないでもありません。」
と、やんわりお断りするようにしています。
極たまに
「へぇ、やっぱりクラシックの人ってお高いんだ。」
と厭味ったらしく言ってよこす人もいるのですが、そういう時にはその人の職業を聞いて、例えば飲食業であれば、
「では今度、お宅の店にお邪魔した時にタダ飯たらふく食わせて下さい。」
と言い返します。すると、何故か大抵の場合
「冗談じゃねぇ!」
と激昂してくるので、
「貴方が修行を重ねて、今ではお客から金をとって料理を振る舞う飲食を業として生活されているように、私は数百万円ものお金をかけて音楽大学を卒業し卒業後も修養を重ねて、今では演奏を業として生活しているのです。そう考えた時に、貴方の店で許されないことがどうして私には許されるのか、ここでタダ演奏することによって私に何のメリットがあるのか、明朗かつ明確な理由を御説明下さいませ。」
と言うと、一気に座がシラケます。でも、私はそれでいいと思っているので、一切気になりません。以前テレビで見た話ですが、和田アキ子も嘗て酒の席で歌を半ば強要された時に、
「私はプロの歌手ですから、カラオケでは歌いません。きちんとしたオケがあるところでなら歌います。」
と断ったそうですが、私はこの対処は正しいと思います。
日本はまだまだ音楽家に対して、歌舞音曲を業とする…という位置付けがされています。だからこそ、こうした
「ちょっとやってよ〜♪」
という軽薄な依頼のされ方をするし、一部の人間は悪気も無くホイホイと応じてしまったりするので、気軽に頼む側が
「あの人はやってくれたのにぃ〜…。」
とますますつけあがる…という悪循環が絶ちません。
私も嘗て、二十代の頃ある友人に
「アンタもさぁ、ちゃんと自分の技術をお金にしなきゃダメだよ。アレンジだって演奏だって、気軽に引き受けてばっかりいると、その人たちにとって『使えない』って判断された途端に一気に仕事が無くなるからね。人間って、そんなにいい人ばかりじゃないんだから。むしろ、足を引っ張るヤツの方が圧倒的に多いんだからね。」
と注意されたことがありました。そして今、その言葉は現実のものとなり、あれだけ共演したりアレンジを頼んで来たりした人たちは、私が不惑を迎えた頃からまるで潮が引いていくかの如く私の周りから消えていったのです。
その時の友人に今回の顛末を話したら、恐らく
「ほら言わんこっちゃない。」
と一蹴されて終わるかも知れませんが、それでも今回は自分なりの意地は通したつもりです。
今はただ、自分の音楽家としての価値の低さに呆然としていますが、今後は彼が置いていった千円札二枚を反省材料に、もっと仕事としての音楽活動を充実させていこうと心に思ったのでありました。