今日は教室が定休日だったので、上野の東京国立博物館で開催されている《運慶》展に出かけることにしました。この展覧会は奈良・興福寺中金堂再建を記念して開催されているもので、平重盛による『南都焼き討ち』のあと、興福寺や東大寺の諸尊を復興製作する中心人物だった大仏師運慶の作品を日本各地から集めたものです。
以前テレビで見た時にとんでもない人数が正門の外まで列を作っていたので、
『これは早くに行かないとエラいことになるゾ。』
と思って、開門前に現地に到着するようにしました。
で、実際に現地に着いてみたら…あれ?何だかあまり人がいない…。実は電車の都合で予定していた時間に間に合わず開門時間を少し過ぎてしまっていたのですが、私が想像していたような大行列は何処にもありませんでした。
しかし、会場である平成館の前に進むと、流石に行列が出来ていました。その『最後尾』と書かれたプラカードには『約50分の待ち』の文字が…それを見て
『フッ、楽勝だせ…( ̄ー ̄*)v』
とほくそ笑んでしまった私。
何しろ私はかつて《台湾故宮博物院展》で約240分、《日本国宝展》で約360分もの時間をひたすら並んだ猛者ですから、50分の待ち時間なんぞ屁でもありません(´ε` )/⌒・。
実際には50分も経たずに会場に入ることが出来ました。先ず、始めに展示されているのは

エントランスホールに掲げられている写真にある奈良・忍辱山円成寺の大日如来像です。この作品は台座に『大仏師康慶実弟子運慶』という運慶自身の墨書が残っている、運慶のデビュー作です。7〜8歳くらいの男の子程の大きさの像ですが、結跏趺坐した脚は衣の下の太腿の存在まで感じられ、足の裏には、本来扁平足であるはずの仏像には珍しい土踏まずが形成されています。他にも、大日如来独特の智拳印という印の結び方を通常より高い位置にしたり、上体を僅かに後方に反らせてより堂々とした印象にするなど、それまでの造像と違った独自の試みが随所に見られます。
その後は、運慶の父康慶の作品を交えて運慶の足跡を世代毎に展示するかたちとなっていました。その中で印象的だったのが、ボスターにもなっている高野山金剛峯寺不動堂に安置されている『八大童子像』のうち運慶作と判明している全6体です。ポスターに写っている赤身の制多加童子を始めとして、矜加良童子や恵光童子といった経典に登場する不動明王を取り巻く様々な童子を、目に水晶を嵌め込んだ玉眼という技法も相俟って真に迫る表現で表しています。
また、同じくポスターに採用されている興福寺北円堂の本尊弥勒如来の両脇に安置される名品『無著・世親菩薩像』も登場しています。法相宗の宗祖である印度の兄弟僧の姿を、運慶は玉眼を用いたリアルな表現の頭部と、それに対してかなりざっくりと作られた袈裟衣との対比で強烈に表しています。
また、無著・世親の周りには、同じく興福寺南円堂に安置されている四天王像も部屋の四隅に配されていました。現在は南円堂にありますが、鎌倉時代に興福寺が再建された際には北円堂にあったという記述があるので、今回はその記述に則ったかたちでの展示となっていたのが印象的でした。この配置は今の本山では望めないものですから、往時に思いを馳せて興味深く鑑賞しました。
その他にも、鎌倉時代に入って武家からの依頼が増えていった中で生まれた名品が数多く出品されていました。
特に静岡・願成就院にあるほぼ等身大の『毘沙門天立像』は、お寺では不可能な360度鑑賞出来る展示になっていました。また、横須賀・浄楽寺の本堂安置の阿弥陀三尊・不動明王・毘沙門天立像が全員揃って展示されていたのには驚きました。普段は3月と10月とに各一日しか御開帳せず、後は一週間以上前に事前予約しなければ拝観出来ない諸尊が一堂に会する様子は圧巻です。
その他には運慶の息子湍慶の作品である興福寺の天燈鬼・龍燈鬼や海住山寺の四天王像といった次世代の作品も並べられていました。その中で最後に圧巻だったのが、かつて京都・浄瑠璃寺にあった十二神将像がコンプリートしていたことです。このうち七体は現在静嘉堂文庫美術館の所蔵になっているため、全部が揃うということは御寺でもないのです。それが勢揃いしている姿はこの展覧会でしか見ることが出来ませんから、その意味でも貴重な機会ということが出来ます。
この展覧会は今月26日までとなっています。金曜日と土曜日は20時まで開館しているということです。興味のある方は是非足を運んでみて下さい。
以前テレビで見た時にとんでもない人数が正門の外まで列を作っていたので、
『これは早くに行かないとエラいことになるゾ。』
と思って、開門前に現地に到着するようにしました。
で、実際に現地に着いてみたら…あれ?何だかあまり人がいない…。実は電車の都合で予定していた時間に間に合わず開門時間を少し過ぎてしまっていたのですが、私が想像していたような大行列は何処にもありませんでした。
しかし、会場である平成館の前に進むと、流石に行列が出来ていました。その『最後尾』と書かれたプラカードには『約50分の待ち』の文字が…それを見て
『フッ、楽勝だせ…( ̄ー ̄*)v』
とほくそ笑んでしまった私。
何しろ私はかつて《台湾故宮博物院展》で約240分、《日本国宝展》で約360分もの時間をひたすら並んだ猛者ですから、50分の待ち時間なんぞ屁でもありません(´ε` )/⌒・。
実際には50分も経たずに会場に入ることが出来ました。先ず、始めに展示されているのは

エントランスホールに掲げられている写真にある奈良・忍辱山円成寺の大日如来像です。この作品は台座に『大仏師康慶実弟子運慶』という運慶自身の墨書が残っている、運慶のデビュー作です。7〜8歳くらいの男の子程の大きさの像ですが、結跏趺坐した脚は衣の下の太腿の存在まで感じられ、足の裏には、本来扁平足であるはずの仏像には珍しい土踏まずが形成されています。他にも、大日如来独特の智拳印という印の結び方を通常より高い位置にしたり、上体を僅かに後方に反らせてより堂々とした印象にするなど、それまでの造像と違った独自の試みが随所に見られます。
その後は、運慶の父康慶の作品を交えて運慶の足跡を世代毎に展示するかたちとなっていました。その中で印象的だったのが、ボスターにもなっている高野山金剛峯寺不動堂に安置されている『八大童子像』のうち運慶作と判明している全6体です。ポスターに写っている赤身の制多加童子を始めとして、矜加良童子や恵光童子といった経典に登場する不動明王を取り巻く様々な童子を、目に水晶を嵌め込んだ玉眼という技法も相俟って真に迫る表現で表しています。
また、同じくポスターに採用されている興福寺北円堂の本尊弥勒如来の両脇に安置される名品『無著・世親菩薩像』も登場しています。法相宗の宗祖である印度の兄弟僧の姿を、運慶は玉眼を用いたリアルな表現の頭部と、それに対してかなりざっくりと作られた袈裟衣との対比で強烈に表しています。
また、無著・世親の周りには、同じく興福寺南円堂に安置されている四天王像も部屋の四隅に配されていました。現在は南円堂にありますが、鎌倉時代に興福寺が再建された際には北円堂にあったという記述があるので、今回はその記述に則ったかたちでの展示となっていたのが印象的でした。この配置は今の本山では望めないものですから、往時に思いを馳せて興味深く鑑賞しました。
その他にも、鎌倉時代に入って武家からの依頼が増えていった中で生まれた名品が数多く出品されていました。
特に静岡・願成就院にあるほぼ等身大の『毘沙門天立像』は、お寺では不可能な360度鑑賞出来る展示になっていました。また、横須賀・浄楽寺の本堂安置の阿弥陀三尊・不動明王・毘沙門天立像が全員揃って展示されていたのには驚きました。普段は3月と10月とに各一日しか御開帳せず、後は一週間以上前に事前予約しなければ拝観出来ない諸尊が一堂に会する様子は圧巻です。
その他には運慶の息子湍慶の作品である興福寺の天燈鬼・龍燈鬼や海住山寺の四天王像といった次世代の作品も並べられていました。その中で最後に圧巻だったのが、かつて京都・浄瑠璃寺にあった十二神将像がコンプリートしていたことです。このうち七体は現在静嘉堂文庫美術館の所蔵になっているため、全部が揃うということは御寺でもないのです。それが勢揃いしている姿はこの展覧会でしか見ることが出来ませんから、その意味でも貴重な機会ということが出来ます。
この展覧会は今月26日までとなっています。金曜日と土曜日は20時まで開館しているということです。興味のある方は是非足を運んでみて下さい。