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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

そういうことだって、あると思う

2014年06月04日 17時20分25秒 | 日記
昨日からニュースになっていますが、2005年12月に栃木県今市市(現日光市)で、当時7歳の女の子が下校途上で行方不明になり、茨城県常陸大宮市の山林で惨殺体となって発見された事件の容疑者が8年越しに逮捕されました。この事件に当たっていた栃木・茨城両県警察の合同捜査本部の粘り強い捜査に、頭の下がる思いです。

ニュースの詳細についてはTVや新聞を御覧頂ければと思いますが、私が感心を持ったのが、今ではあまりニュースの主眼にはなっていませんが、「夢に殺した女の子が出てきた」ことが自供のきっかけになっていたということです。実は今日、乗っていた電車の中で若い女性達が「そんなことが自供した理由?有り得ないんだけど」と声高に喋っていたのです。それじゃあ、まるでオカルト映画か何かみたいだと…。

確かに、夢に影響されて殺人を自供すると聞くと、実に非科学的なことという印象を受けます。しかし、それではいけないのでしょうか。

個人的に考えるに、被害者が夢に出てきたことのきっかけは2つあると思います。

1つは、容疑者自身の記憶のフラッシュバック。衝動的にナイフでメッタ刺しにしたのですから、手を下した当人であればいやでもその光景は脳裏に焼きついているでしょう。これは別にここ最近に始まったことではなく、以前からずっと見続けていたのかも知れません。

もう1つは、被害者の『念』の強さ。人生の道半ばで見ず知らずの他人に未来を奪われた無念さは、経験するべくもない我々には想像することすら出来ませんが、この子だって、もっとお友達と遊びたかったでしょう。もっと家族と一緒にいたかったでしょう。生きていれば今頃高校生ですからお洒落もしたかったでしょう。なりたい職業や夢もあったでしょう。素敵な恋だってしたかったでしょう。好きな人と巡り会って結ばれたかったでしょう。でも…その全ての可能性を、この子は無惨にもぎ取られてしまったのですから、そのくらい強い『念』を発して容疑者の意識の中の現れていても、決しておかしなことではないと思うのです。

ともすると昨今は、様々な情報やテクノロジーに囲まれて暮らしている生活の中で、本来人間が動物的に感じていた『気』や『念』のようなものを感じずに生きているように思います。しかし、日本人は古来『八百萬の神』を感じて生きてきた鋭敏な感性の持ち主のはずです。今回の事件のことについても「夢に出てきたって、そんな…」と否定してしまう前に、生きとし生けるもの全てに『思い』や『念』があり、時にその『念』が論理的理解を超えるような計り知れないエネルギーを発することだってある…ということを、私たちはもう一度考えてみてもいいのではないかと思います。

先ずは何より、この容疑者逮捕の報を受けて被害者の御霊が安からんことを御祈念申し上げます。合掌。
コメント (2)
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