共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

おまけ

2012年08月14日 22時00分38秒 | 日記
国道1号線の『川匂神社入口』という信号のところに、東海道の一里塚の遺構があります。

ここはお江戸日本橋から18里(約72km)の地点です。ちょうど平塚宿と小田原宿の間で、かつては《梅沢の立て場》と呼ばれ、茶屋などが軒を連ねる大変賑わったところだそうです。お正月の箱根駅伝のコースでもありますから、よく見るとかなり一瞬ですが映ります(^_^;)。
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『夫婦』だったのに…

2012年08月14日 21時21分16秒 | 日記
神楽殿のところに『夫婦杉』という、2本並んだ杉の御神木が「ありました」。その2本の杉の間を妊婦さんが通ると安産になると言われて「いました」。ところが…今は写真の通り1本しかありません。

実は昨年9月21日に関東地方を直撃した台風によって、片方の木が神楽殿に倒れ掛かるようにして根本から折れてしまったのだそうです。今はかつて御神木が立っていたところを、石で場所が示してあるのみになってしまいました。

そういえば、以前の社殿は全体が鬱蒼とした森に囲まれていたイメージが強いのです。しかし今回久しぶりに訪れてみて、最初は漠然と「えらく境内全体が明るいなぁ…」くらいに思ったのですが、社務所に掲示してあった直後の写真を見て合点がいきました。

あの台風では、厚木神社もかなり被害を被りましたが、こちらの被害は更に甚大だtったようです。そう思ってよく見渡すと、一年近く経つのに未だに囲い垣の一部が壊れたままだったり、摂社が土台だけになって仮の御幣が立ててあるだけだったりと、あちこちに浅からぬ爪痕が残っていました。

これから少しずつ修復していくのだと思いますが、御祭神のためにも一日も早い復興を御祈念せずにはおられませんでした。
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社殿

2012年08月14日 20時46分10秒 | 日記
拝殿です。ここの御祭神は大名貴命(おおなむじのみこと)、大物忌命(おおものいみのみこと)、級津彦命(しなつひこのみこと)、級津姫命(しなつひめのみこと)、衣通姫命(そとほりひめのみこと)です。

衣通姫命は允恭天皇(いんぎょうてんのう)の皇妃で、出産時にここの御社で安産を祈念したところ無事に皇子をしたということで、今でも安産祈願が絶えません。
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鳥居じゃなくて…

2012年08月14日 20時25分49秒 | 日記
この神社の特徴の一つとして、階段を上った先に鳥居ではなく随神門(ずいしんもん)という門が建っています。

茅葺の素朴な門の両脇に、袍(ほう)を来て巻纓(まきえい)の冠を戴いた2体の随神像が安置されています。
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相模國二之宮

2012年08月14日 20時16分47秒 | 日記
昨日に引き続き、相模國延喜式内社巡りに出かけました。

今日は二宮町にある《川匂神社》です。この神社は垂仁天皇の御代、現在の神奈川県が相模國と磯長國(しながのくに)とに分かれていた時、磯長國の国造・阿屋葉造(あやはのみやつこ)が勅命を奉じて磯長國鎮護のために創祀したと伝わります。また日本武尊(やまとたけるのみこと)も、東征途中に立ち寄って奉幣祈願されたそうです。

二宮駅から歩いて30分くらいしたところに、倹しい石鳥居が建っています。この一代前の石鳥居の『川匂神社』の扁額書は、何と初代内閣総理大臣・伊藤博文なのだそうです(今は階段を上がった境内にあります)。
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