先に申し上げておきます。今日の記事は長いです(汗)。
今日は木曜日の放課後子ども教室が休みの日でした。なので、今日は東京・上野の国立西洋美術館に出かけることにしました。
上野駅公園口から改札を出ると、
世界遺産の国立西洋美術館(ル・コルビュジエ作)が見えてきます。今日は、ここで開催中の
《モネ〜睡蓮のとき》という展覧会に来ました。
クロード・モネ(1840〜1926)は印象派を代表するフランスの画家で、代表作のひとつである
『印象・日の出』(1872年)は、『印象派』の名前の由来にもなりました。今回はモネを代表する睡蓮のシリーズを中心として、パリのマルモッタン・モネ美術館のコレクションや、国立西洋美術館をはじめとした日本国内の美術館が所蔵するモネの様々な『睡蓮』などの連作が一堂に会する展覧会となっています。
会場に入ると
国立西洋美術館が所蔵する『ポプラ並木』の絵が出迎えてくれます。
光の戯れと反映を何よりも深く追求したモネは、同一のモティーフを光や色彩あるいは構図を変えて何回か描くという意味での「連作」をいくつも残していいます。1890年に着手された『積みわら』、1892〜94年の『ルーアン大聖堂』、晩年の『睡蓮』などがその例で、そこではほぼ同一のモティーフを朝・白昼・夕方などの異なった時刻に捉えて、さまざまな光の効果の下に描き出しています。
この作品は、こうした連作の一つ『ポプラ並木』のうちの一点で、ジヴェルニーにほど近いエプト川左岸のポプラ並木に魅了されたモネは、1891年の春から夏にかけて幾度もその姿をキャンバスに描きました。それら一連の作品は、S字型の曲線を空に描き出すポプラ並木を扱っている点ではほぼ共通しているものの、構図と画面効果は微妙に異なっています。
そこから進むと、
『ジヴェルニー近くのセーヌ川支流・日の出』が姿を現します。このモチーフもモネが何枚も描いたもので、徐々に明けていく川辺の様子を描いた絵からは、川面を渡る空気まで描きとったかのようです。
そこからはいよいよ『睡蓮』の連作の世界が始まります。先ず登場するのは
『睡蓮、夕暮れの効果』という作品です。1897年に描かれたこの『睡蓮』は睡蓮の連作の最初期のものと推定されているもので、白い睡蓮が夕日に染まってほんのり薄紅色に映える一瞬を捉えています。
そこから更に進むと
1907年に描かれた『睡蓮』が登場します。先程の睡蓮の絵は睡蓮が中心に描かれていましたが、こちらでは水面に映るポプラや柳の影と夕日に染まる空が強調して描かれ、睡蓮はその水の反映の中にリズムをつけるように浮かんでいます。
1907年に描かれた『睡蓮』が登場します。先程の睡蓮の絵は睡蓮が中心に描かれていましたが、こちらでは水面に映るポプラや柳の影と夕日に染まる空が強調して描かれ、睡蓮はその水の反映の中にリズムをつけるように浮かんでいます。
始めは睡蓮そのものを描いていたモネでしたが、その後
「水の反映にとらわれてしまいました。』
と語っているように、睡蓮という花を通して水面に映る光や影、水の中の流れをも描きとろうとしました。しかしモネは妻のアリスや息子のジャンを病で亡くし、自身も白内障と診断されたことで、一時期活動が途絶えてしまいました。
そこに第一次世界大戦が勃発したことによって、モネの制作活動は更に追い込まれていきました。戦後、モネは自身の作品を国家に寄贈することにし、それを飾る円形の美術館に『睡蓮』の壁画を描く構想を練ることになりました。
その絵の上部にモネの庭に咲いていた藤の花を描いたフリーズ(帯状装飾)を描くことになりましたが、その時制作されたのが
この『藤』の習作でした。この美術館構想は残念ながら予算の都合等で実現はしませんでしたが、テュイルリー公園内にあった建物を使って『睡蓮』の壁画を展示することになったのが、
現在のオランジュリー美術館『睡蓮の間』です。
『睡蓮』の他にも様々な連作が展示されていますが、その中に
ジヴェルニーのモネの自宅にある「水の庭」に架けられた『太鼓橋』の連作もあります。モネの『太鼓橋』というと
この1899年に描かれたシュトゥットガルト美術館の作品が有名ですが、今回の展覧会に出品された『太鼓橋』はモネの白内障がだいぶ進んでしまっている中で制作されたものが中心となっています。
こちらの緑の作品は辛うじて太鼓橋の姿を確認することができますが、更に白内障が進行してしまった頃の作品は
色彩の中に太鼓橋が溶け込んでしまったかのようで、言われなければ橋の絵だとは分からないくらいです。
こうしたモネの作品は具象を超越したものですが、それが後のアメリカ画壇をはじめとした近現代の画家たちから熱烈な支持を受けることとなりました。そういった意味で、モネは印象派の創始者であるとともに抽象画の先達ということもできるのです。
地下三階の展示スペースに移動すると
楕円形の壁面に飾られた『睡蓮』が登場します。このスペースは写真撮影OKということで、
お言葉に甘えていろいろと撮影しました。
この部屋で一際異彩を放っているのが
この傷みの激しい巨大な『睡蓮』です。これは
日本の実業家で衆議院議員も務めた美術収集家の松方幸次郎(1866〜1950)がモネから直接譲り受けたものです。
国立西洋美術館の洋画コレクションの基礎を築いた松方幸次郎は1921年にジヴェルニーのモネの家を訪れ、モネから直接18点の作品を購入しました。この作品もそのひとつで、オランジュリー美術館の大装飾画の関連作品を外に出すことを嫌ったモネが、唯一売却を認めたものです。
その後、1923年に関東大震災被災者救済のためにパリで開かれた展覧会にこの作品が出品されました。ところが、それを知ったモネが猛抗議したため、この作品は撤去されてしまいました。
その後、第二次世界大戦を経て行方不明になっていたのですが、2016年に画面の半分以上が破損した状態で発見され、約1年かけて修復された上で展示されることになりました。破損の原因としては、キャンバスを木枠から取り外したこの作品が上下逆さまに保管されていた上に浸水被害にあったらしく、画面上半分が殆ど朽ち落ちてしまったようです。
画面には
かつて木枠に留められていた時の釘跡が生々しく残っています。幸いなことに完成品の白黒写真が残されていて、そこから復元すると
このような作品になるようですが、修復作業時には欠損部分を補うことはせず、残ったモネの手になる部分の修復のみに留めたのだそうです。
画面右側に描かれた睡蓮を息がかかるほど間近で観ることができましたが、横から観ると
絵筆で描いたというよりもパレットナイフに直接油絵の具を盛り付けて、キャンバスに直接擦ったような痕跡がありありと観て取れました。大切にガラスの掛けられた作品では感じることの難しいモネの息遣いまでもが伝わってくるようで、興奮気味に写真を何枚も撮ってしまいました(汗)。
他にも
パリのマルモッタン・モネ美術館や国立西洋美術館が所蔵するモネの『睡蓮』コレクションを堪能することができました。こうした作品がオランジュリー美術館の大装飾画につながっていくことを考えると、非常に貴重な絵画たちです。
後半にも様々な連作が展示されていましたが、個人的に惹かれたのが
『バラの庭から見た画家の家』という連作です。ジヴェルニーの「花の庭」から見た自宅の構図を何度も描いているのですが、特に一番右にある
紫色に彩られた月夜の絵に強く心惹かれました。
展示スペースの最後には、モネが最晩年に描いた
『枝垂れ柳と睡蓮の池』と
『睡蓮』が展示されていました。どちらも縦200cm✕横180cmという大作ですが、白内障の手術を受けたものの完全には視力の戻らなかった老境のモネの哀しさが伝わってくるようでした。
『枝垂れ柳と睡蓮の池』と
『睡蓮』が展示されていました。どちらも縦200cm✕横180cmという大作ですが、白内障の手術を受けたものの完全には視力の戻らなかった老境のモネの哀しさが伝わってくるようでした。
恐らく混むだろうな…と予想して平日を選んだのですが、それでもなかなかの観覧者数で、館内のコインロッカーが全滅するほどでした。モネの人気たるや、恐るべしです(汗)。
この展覧会は来年2月11日まで、東京上野の国立西洋美術館で開催されています。日本初公開の作品や撮影可なスペースもあり、期間中の金曜日と土曜日は21:00まで開館するとのことですので、モネの絵画がお好きな方は是非いらしてみてください。
この展覧会は来年2月11日まで、東京上野の国立西洋美術館で開催されています。日本初公開の作品や撮影可なスペースもあり、期間中の金曜日と土曜日は21:00まで開館するとのことですので、モネの絵画がお好きな方は是非いらしてみてください。