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「沖縄対策本部」 ~戦後レジームの脱却は沖縄から~
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■祖国との一体感を求めて開催された東京オリンピック沖縄聖火リレー
2020年のオリンピックの開催地が東京に決定しました。
テレビはそのニュース一色で、久しぶりに日本中が明るいニュースで沸き立ちました。
オリンピックの誘致とレスリングの中核協議枠の獲得は、実は目に見えない戦争の勝利だったのだと思います。
民主党政権下で日本の国力の低下のための中韓の様々な工作にやられっぱなしだったのが、安倍内閣で逆転勝ちしたというのが真相ではないかと思います。
この戦争の勝利は、韓国の従軍慰安婦工作が空振りになるぐらいの大きな威力を持つ勝利ではないかと思います。
日本の国際的信用度は、韓国・中国の比ではない事を証明されたのです。今こそ、戦後の呪縛や特亜の呪縛から日本を解き放つ大チャンスです。
◇米軍占領下の中で東京オリンピックを迎えた沖縄
49年前に開催された東京オリンピックは、まさしく日本の敗戦からの復興の象徴でもありました。
これをきっかけに日本の高度成長は加速し、1968年にはドイツを抜いてGDP世界第二位にまでなりました。
しかし、戦後復興のシンボルである東京オリンピックを語る上において、見逃されている重要な事があります。
それは、東京オリンピックが開催されたその瞬間、沖縄はいまだに米軍の占領下にあったということです。
では、当時の沖縄県民は東京オリンピックをどのように受け止めたのでしょうか?
それを象徴するものを見つけました。1964年の琉球切手です。
当時、沖縄はまだ米国の施政権下にあったため、この切手は5円でも10円でもなく「3セント」と書かれています。
<【画像】琉球切手:1964オリンピック東京大会沖縄聖火リレー記念>
下側には、 「1964オリンピック東京大会沖縄聖火リレー」と書かれています。
そうです、米国占領下の沖縄で東京オリンピックの聖火リレーが行われたのです。
下記のYOUTUBEの動画には一瞬ですが、2分50秒あたりに沖縄の聖火リレーの瞬間が写っています。
(※残念ながら国外のイベントような扱いで編集されています。)
<東京オリンピック>
http://www.youtube.com/watch?v=RYfjWgMjMkw
◇祖国との一体感を求めて聖火リレー開催を!
1959年、東京が第18回オリンピックの開催地に決定しました。その直後から沖縄側は聖火リレーを沖縄でも実施するよう、オリンピック東京大会組織委員会など関係機関等に強く働きかけていました。
1962年7月4日、「聖火リレー特別委員会は、国内聖火リレーは全都道府県をカバーすること。」「走者は青少年で、日本最初の着陸地は沖縄とすること」を決定しました。
「日本最初の着地点は沖縄とする!」この決定は、当時の沖縄県民にとっては、言葉に表すことのできないほどの喜びだったと思います。
当時は、戦後の歴代総理で沖縄訪問を実現した人は、まだ誰もいない状態でした。また、日本政府は、沖縄返還については「時期早々で国益に反する」という風潮で消極的であり、日本政府が沖縄の民生向上のための支援を申し出ても、米国は拒否するような関係でした。
つまり、沖縄県民にとっては祖国日本に復帰できるのかどうかもわからない。日本の高度成長にも取り残されてしまうのではないかという疎外感が強く感じられた時期でだったのです。
そのような中で、祖国日本の世紀の祭典、東京オリンピックの聖火リレーへの開催は、「祖国との一体感」を体験できる、最高のイベントです。その聖火リレーの国内最初の着地点として選ばれたのですから、「沖縄はまだ見捨てられていなかった!」という希望と「自分たちは日本人だ!」という誇りを取り戻す最高のイベントだったのです。
◇日の丸掲揚が禁じられていた沖縄
1945年4月、米軍は沖縄上陸直後から、沖縄での国旗掲揚、国歌斉唱・演奏を禁じていました。1952年には、政治的な意味を持たない私的な会合での掲揚は許可され、1961年には祝祭日に限り公共建物にも日の丸掲揚が許可されました。しかし、聖火リレーの開催日は法定休日でないため、法律的には認められていませんでした。
実は、1958年には第三回アジア競技大会の聖火リレーが沖縄で開催されていました。その時には米国民政府は日章旗の掲揚を許可しませんでした。
<第3回アジア競技会聖火リレー(1958年4月)>
(※日の丸の掲揚は許可されなかった)
◇米国民政府に日の丸掲揚を黙認させた沖縄県民の祖国愛
東京オリンピックの聖火は8月21日にギリシャのオリンピアで採火され、22日にアテネを出発し、世界11ヶ国を経由して、航空機「シティー・オブ・トウキョウ」号に搭載され9月7日正午、那覇空港に到着しました。予定より1日遅れでした、台風のために香港で1日足止めになったからです。
<聖火リレー国外ルート:1964年8月22日(アテネ)~9月7日(沖縄)>
(第18回オリンピック競技大会・公式報告書より転載)
<【写真】聖火を積んで那覇に到着したJALのシティーオブ東京号(1964年9月7日)>
那覇空港で聖火歓迎式典が行われた後、12時40分に那覇空港を出発しました。第1走者を務めた宮城勇さんは、50年前のユニフォームと聖火を今でも持っているそうです。あるテレビのインタビューでは、「当時の自分は、自分達も日本人であるという誇りを胸に走っていたと」語っています。聖火は、4万人もの観衆で人があふれる奥武山陸上競技場に午後1時に到着しました。
<【写真】聖火歓迎のゲート(1964年9月7日奥武山競技場の入口付近と思われます。)>
<【写真】聖火台への点火(1964年9月7日 奥武山競技場)>
<【写真】点火される聖火台(1964年9月8日 奥武山競技場)>
奥武山陸上競技場では、聖火台点火に引き続き、高らかに君が代が吹奏される中を大日章旗が悠々と掲揚台のポールの上を登って行きました。リレーの走者の若者たちにもTOKYO1964五輪のロゴと組み合わされた日の丸のゼッケンが輝き、聖火ランナーを迎える沖縄県民も同じ日の丸の小旗を降っています。米軍占領後の沖縄でここまで、堂々と日の丸を振ることも、国家を斉唱することも初めてだったでしょう。地元のある新聞は、「沖縄があたかも復帰したような喜びに沸き立った」と報道していました。
<TOKYO1964のロゴマークのゼッケンを着けて走る聖火ランナー(辺野古~嘉陽)>
午後9時まで聖火台で燃え続けた聖火は、琉球政府庁舎内の主席室に一泊しました。
<【写真】聖火ランプと大田政作行政主席>
翌日9月8日、聖火は那覇を出発して南部に向かいました。南部は多くの戦跡がある地域です。ひめゆりの塔の前では、生き残りの同窓生が日の丸の小旗を手にした児童500人とともに走者の中継を見守りました。摩文仁の丘で聖火ランナーを務めたのは、そこで戦死した者の遺児である金城安秀さんでした。沖縄戦の戦歿者24万人に思いを馳せながら走ったといいます。
思えば、沖繩で戦死した英霊は、日の丸を掲げて戦ったにもかかわらず、沖繩に掲げられているのは星条旗ばかりであり、長い間日の丸を見ることもなく悔しい思いをされたことだと思います。そこに、東京オリンピックの聖火リレーで日の丸を見せることはどれほど大きな意味があったかことなのかと思います。
<【写真】沿道からあふれる日の丸で迎えられる聖火(1964年9月8日 糸満)>
<【写真】日の丸を振って聖火を迎える沿道の子どもたち(1964年9月8日 糸満)>
上の二つの写真は9月8日の聖火を迎える糸満市の沿道です。
大きな日の丸から小さな日の丸まで様々な日の丸が見えます。
「米国の占領下にあり、日の丸の掲揚が禁止されている冲縄の沿道を日の丸で埋め尽くした。」
これが、オリンピックの力です。
日本国民の心を一つにし、民族の心を一つにする。
2020年の東京オリンピックをきっかけにして、再び日本民族のあるべき姿を取り戻すきっかけになることを信じます。
■名護市嘉陽の聖火宿泊碑
聖火は南部を回った後、北上し、現在の名護市嘉陽というに到着しました。嘉陽は、名護市の東側で太平洋に面したであり、那覇から約80KM、普天間基地の移設予定地である辺野古の北側にある小さなです。近くに嘉陽小学校がありましたが、近年の過疎化のため2009年4月に閉校してしまいました。
その小さなに、「聖火宿泊碑」というモニュメントが残されています。
この聖火が嘉陽に到着するとその記念碑の前では式典が行われた後、様々なエキジビションが行われました。
<【写真】聖火宿泊碑の前での式典(1964年9月8日 名護市嘉陽)>
<【写真】聖火宿泊碑除幕式(1964年9月8日 名護市嘉陽)>
上は聖火宿泊碑の除幕式の写真です。
<【写真】嘉陽の式典で演奏するキャンプ・シュワブの音楽隊>
上の写真は、 嘉陽の式典で演奏するキャンプ・シュワブの音楽隊です。
キャンプ・シュワブに駐屯している第3海兵師団は、聖火リレーへの協力体制を敷いていました。
嘉陽での宿泊者用テントやシャワーの設営、炊き出しなども担当しました。また、聖火宿泊碑の建設にも協力しました。現在もキャンプ・シュワブの海兵隊は地元の住民と仲良しですが、その関係は此の頃から築き上げられていたようです。
<【写真】現在の聖火宿泊碑>
<聖火宿泊記念碑>
※記念碑には、9月7日と刻まれていますが、台風で沖繩到着が遅れたため実際には9月8日です。
今でこそ、沖繩が日本に復帰できたことは当然のように思われていますが、当時は、沖縄が日本に復帰できるかどうか全くわからない時代でした。子どもたちは日本円を見たことも使ったこともなかったのです。米軍占領下の中で、沖縄本島北部の小さなで、祖国日本の世紀の祭典に参加し、このような式典を行った事はものすごい誇りだったんだろうなと思いがよぎります。
オリンピックそのものではなく、聖火リレーであったけれども、その感動は東京のオリンピック開催以上だったのではないかと思います。
◇東京オリンピックの翌年に実現した佐藤栄作総理大臣沖縄訪問
東京オリンピックの翌年の1965年、日本政府の沖繩返還交渉が本格化しました。
佐藤栄作総理大臣が、戦後歴代の総理大臣として初めて沖繩を訪問したのです。
<那覇空港で演説する(故)佐藤栄作総理大臣(1965年8月19日)>
<佐藤栄作内閣総理大臣の沖縄訪問に際してのステートメント>
沖縄同胞のみなさん。
私は、ただ今、那覇飛行場に到着いたしました。かねてより熱望しておりました沖縄訪問がここに実現し、漸くみなさんと親しくお目にかかることができました。感慨まことに胸せまる思いであります。沖縄が本土から分れて二十年、私たち国民は沖縄九十万のみなさんのことを片時たりとも忘れたことはありません。本土一億国民は、みなさんの長い間の御労苦に対し、深い尊敬と感謝の念をささげるものであります。私は沖縄の祖国復帰が実現しない限り、わが国にとつて「戦後」が終つていないことをよく承知しております。これはまた日本国民すべての気持でもあります。
私が、今回沖縄訪問を決意いたしましたのは、なによりもまず、本土の同胞を代表して、この気持をみなさんにお伝えしたかつたからであります。
私は、去る一月のジョンソン米国大統領との会談で沖縄の施政権をできるだけ早い機会に返還するよう強く要望しました。また、沖縄住民の民生安定と福祉向上のため日米相協力することについて意見の一致をみたのであります。私はこの基本的立場に立つて、沖縄の現実の姿を、直接この目で確かめ、耳で聞き、できるだけ広く深く当地の実情をつかんで、これを日本政府の沖縄施策のなかに具体的に生かしたいと存じます。そしてこのことは私の責任であるとともに、沖縄のみなさんの期待にこたえる所以であると考えます。
私は、ここに、沖縄九十万同胞の心からの歓迎に対し深く感謝するものであります。また、ワトソン高等弁務官、松岡行政主席はじめ関係者の温いお出迎えに対し、厚くお礼申し上げます。
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<【参考動画】沖縄返還外交文書:佐藤総理、政治主導で早期返還 >
http://youtu.be/F4c8fZFUQp0
<花束を受け取る(故)佐藤栄作総理大臣(1965年8月19日)>
<佐藤総理大臣の訪沖を沿道で歓迎する沖縄県民(1965年8月19日)>
<佐藤総理大臣の訪沖を沿道で歓迎する石垣市民(1965年8月21日)>
私は、佐藤総理大臣が東京オリンピックの翌年の1965年に沖繩訪問を行ったのは、単なる偶然ではないような気がします。
1964年に開催された東京オリンピックが戦後、別れ別れになっていた、沖繩と本土を再び引きつけたような気がしてなりません。
米国にとって沖繩県民に日の丸掲揚を認めるということは、占領を放棄するに等しい事です。
それを、東京オリンピックの聖火リレーで米国民政府に事実上認めさせる事に成功したのです。
そして、米国にとって総理大臣の沖縄訪問を認めるということは、事実上に沖繩占領を放棄する事を宣言したに等しい事件だと思います。
この二つの事件は、米国の沖繩占領政策が沖繩を占領し続ける方針から、返還した上で基地を置く方向に大きく方針転換した証だと言えます。1964年、65年の二年間で沖繩の祖国復帰は大きく実現に動いたのです。
その後、具体的な返還交渉が始まり、様々な問題が続きましたが、わずか7年後の1972年5月15日に沖繩県祖国復帰が実現しました。
それから約半世紀が経過し、再び、東京オリンピック開催が決まりました。
これは、経済発展の起爆剤というだけではなく、日本国民の心を一つにし、日本民族の誇りを取り戻す大きな起爆剤となる力を持っています。
今こそ、1964年のオリンピックの果たした役割を再確認し、日本再建のビジョンに組み込むべき時だと思います。
私は、東京オリンピック2020は、「琉球独立」や「沖繩差別」という声を封じる力を持っていると確信しております。
1964年と同じ様に、沖繩と本土の日本国民が心を一つにするようなオリンピック運営を是非実現したいと思います。
(仲村覚)
<【参考動画】国旗の重み 沖縄の東京オリンピック全編>
http://youtu.be/D5jHkZzoa5o
--------------------◇◇◇近日開催のイベント◇◇◇--------------------
<沖縄対策本部 情報交換会&作戦会議(平成25年9月12日)>
テーマ(案)
・ 沖縄をめぐる左翼の動き、中国共産党の動きの最新情報
・ 冲縄決戦(名護市長選)に向けての活動計画及びディスカッション
日時:9月12日(木) 19:00~21:00
場所:豊島区立勤労福祉会館(第7会議室)
会場分担金+資料代=1500円
※資料の準備がありますので、参加表明を下記FaceBookかEメールにてお願い致します。
※初参加の方には自己紹介をお願いいたします。
<FaceBookページ>
https://www.facebook.com/events/373484216111767/
E-mail:nakamura.satoru7@gmail.com
<9・22緊急講演&特別写真展「侵略国家中国の脅威と冲縄の危機!」>
<PDFチラシダウンロードはこちらから>
http://goo.gl/PS7o1W
場所:浦添てだこホール(小ホール)
〒901-2103 沖縄県浦添市仲間1丁目9-3
開催日:平成25年9月22日
<FBイベントページ> ※参加表明はこちらからお願いします。
https://www.facebook.com/events/592823680756817/
◇◇◇緊急講演会◇◇◇
・会場:小ホール
・時間:開演 午後1時~
・会費:500円
<緊急講演�>
「中国共産党によるウィグル虐殺の実態」(イリハム・マハムティー)
<緊急講演�>
「中国共産党による冲縄侵略の危機!」(坂東忠信・元警視庁通訳捜査官)
◇◇◇緊急写真展◇◇◇
・会場:小ホールロビー
・時間:午前11時~午後4時30分
・会費:無料 ※カンパ歓迎
主催:沖縄対策本部
後援:日本会議沖縄県本部 チーム冲縄 勁草会
連絡先:070-5410-1675(仲村)
第一回沖縄決戦準備セミナー
村田春樹先生 講演会
「沖縄県民斯ク戦ヘリ」
◎日時:10月15日(火)受付:午後6時30分 / 開会:午後7時
◎場所:豊島区勤労福祉会館(大会議室)
◎参加費:1,000円
◎主催:沖縄対策本部
◎お問い合せ:TEL 080-5021-8105(仲村覚)
※どなたでもご参加できます。直接会場にお越しください。
※準備の関係、下記のFBページもしくはメールにて参加のご表明をお願い致します。
<FaceBookページ>
https://www.facebook.com/events/400862313358968/
E-mail:nakamura.satoru7@gmail.com
チラシPDF版のダウンロードはこちらから、
カラーと白黒の2ページです。
http://goo.gl/9pGLwX
◇◇◇カンパのお願い◇◇◇
沖縄には全国の左翼勢力が集中し様々な反米・反日・親中の扇動工作を行なっています。また、政界もマスコミ界も全て乗っ取られており、特にマスコミは、反米、反日、親中の扇動工作機関紙となっています。日本防衛の砦である沖縄を左翼勢力から取り戻さない限り日本の未来はありません。一方沖縄の保守勢力は組織力が弱くマスコミの言論弾圧を受けた状態で声をあげるにも挙げられない状態です。それを打ち破るためには、沖縄の保守勢力を全国から応援し、沖縄県民を啓蒙しなければなりません。
そのような沖縄の啓蒙活動や支援活動を組織的、継続的、計画的に行えるようにするため、「沖縄対策本部」を設立する事にいたしました。中国の動きを見ると今が最後のチャンスだと感じています。やるべきことをやらずして、植民地になった時に「あの時にもっと頑張ればよかった」と後悔するようなことはしたくありません。国家存亡の危機を乗り越えるために、何としてでも、全国の力を結集して沖縄を中国に売る左翼勢力から沖縄を取り戻したいと思います。是非、皆様のご賛同とカンパのご支援をお願い致します。
◎ゆうちょ銀行
◎店名:019(ゼロイチキュウ)
◎預金種目:当座
◎口座番号:0789977
◎口座名称:沖縄対策本部(オキナワタイサクホンブ)
◎(記号番号:00180-0-789977)
※皆様の浄財は次の活動の運営費用に活用させていただきます。
◇左翼、中国の活動、工作に関する情報収集分析 ◇沖縄保守勢力への支援体制構築 ◇啓蒙活動(沖縄各地) ◇沖縄のマスコミ正常化運動 ◇沖縄の正しい歴史の編纂 ◇議会対策、ロビー活動(国会・沖縄地方議会)
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「沖縄対策本部」 ~戦後レジームの脱却は沖縄から~
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日本の国家を存続させるには、沖縄への工作を集中させる支那と左翼勢力への
対策が必要です。しかし、誰も本部を設立しないので、一念発起し「沖縄対策
本部」を立ち上げました。マスコミが報道しない沖縄左翼の扇動工作の実態と、
それに対抗する情報戦、啓蒙運動に関する情報を配信します。
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バックナンバー● http://blog.goo.ne.jp/jiritsukokka/arcv
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メルマガでも同様でしたのでコメント欄よりご報告させていただきました。