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以前 勤めていた知的障害者施設には、バスで通勤していた。 昨年の秋から新たに就職した老人ホームには、
地下鉄通勤だ。 駅のごみ箱から、週刊誌を拾う楽しみが増えた。 そんな中、週遅れの 「週刊新潮」 を拾って読んでいた。
そこに見いだした記事、<命を捨てて命を救った 「殉職者たち」 の物語> には、
周りの眼も憚ることなく、思わず落涙してしまった。
長い記事なので、僭越ながら、おじさんがリライトする。
その女性の勇気は、海外でも複数のメディアで広く称えられた。
女性の名は、遠藤未希さん (24)。 宮城県南三陸町役場で、昨年4月から危機管理課に勤務していた。
今は跡形もない木造の本庁舎と違い、彼女が詰めていた隣接の防災対策庁舎は鉄筋コンクリート3階建て。
が、ここも今は赤茶けた鉄骨だけが剥き出しである。
災害時の砦となるはずだったその庁舎で、未希さんは最期まで防災放送のアナウンスを続けていた。
「6メートル強の津波警報が出ています。 早く避難してください!」
家族ぐるみの知人である芳賀タエさん (61) も、そんな彼女の声に救われた。
「普段はゆっくり静かに喋るのに、上ずった声で繰り返し言ってた。 地震のあとに津波が来るって分かっててても、
家や家族が気になって海の方に戻ってしまう人も沢山いたの。
それが、未希ちゃんの放送で、本当に危ないってわかって逃げた人が大勢いたのよ。
あんなに若い子が、数千人の命を救ったの。 町ではみんなそう言ってる」
芳賀さんによれば、放送が途切れる直前、未希さんの 「あっ」 という声を多くの人が聞いている。
町長以下約10名は屋外階段の手摺に掴まって何とか助かった。 が、未希さんは、今も行方不明のままだ。
岩手県大槌町では、加藤広暉町長 (69) も殉職した。 町長の遺体は19日に発見された。
職員の避難を優先させて、逃げ遅れたのか。
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おなじ大槌町では、町民の避難を優先させて命を落とした消防団員が少なくない。
越田富士夫さん (57) も、そんな一人だ。
「他の団員と手分けして水門を閉めて分団の屯所に戻ると、越田さんがいました」
と、同僚が悔しそうに続ける。
「私らの消防車に乗れ、と越田さんに叫んだんです。 でも、手を顔の前で振って、”乗らない”
とジェスチャーし、続けて掌を前に出して ”行け” と指示した。 それで私らは避難誘導に行ったんですが、
越田さんはその後、屋上に登って半鐘を鳴らしつづけ・・・」
すでに停電で、屯所のサイレンが鳴らなかったのだ。
「私らの後に屯所に来た団員にも、越田さんは ”早くおまえも逃げろ” と指示を出し、
自分は半鐘を鳴らし続けたんです。 恐らく、覚悟を決めていたんでしょう。
町の人は、”今でも耳に残っている” と言います」
この他、消防車でギリギリまで避難広報し、いざ自らも避難しようとしたとき、
動けなくなっていた60代の女性を助けようとして命を落とした消防団員もいた。
翌日、横転して大破した消防車が発見された。
助手席の遺体の手には、拡声器のマイクがしっかりと握られたままだったという。
最期の最期まで、身を賭して声を振り絞っていたのだ。
この他にも、多くの警察官が津波を背に仁王立ちするように壮烈な殉死を遂げた。
(文責 おじさん)
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その場に踏みとどまり、自らの責任を全うし、殉職した多くの人々。 その尊い犠牲を、いま語り継がねばならない。
今年の桜を観ぬまま逝ってしまった人々に、心からの感謝と、尊敬と、哀悼を。。。
黙祷。
転載元: おじさんの依存症日記。 http://blogs.yahoo.co.jp/taediumvitaetantpis/60943050.html