いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

苗場のスキーW杯と懐かしい名前・・・文化はこうやって豊かに蓄積されていきます。

2016年02月16日 17時13分04秒 | 日記


 2月13日、14日の週末、新潟県の苗場スキー場で、スキー
のワールドカップ(W杯)が開かれました。日本は、かつて、スキー
のW杯が毎年開かれており、会場は、新潟の苗場か、北海道の富
良野でした。
 しかし、バブルの崩壊後、スキーの人気が低迷し、スキー人口
も減ったため、W杯も、日本では開かれなくなってしまいました。
 スキーファンとしては寂しい限りです。
 苗場のW杯は、10年ぶりの日本開催だったということです。
 今回の苗場大会は、にわかに気温が上がり、雨も降って、
必ずしも良いコンディションではありませんでした。でも、コー
スは日本特有の丁寧さできれいに仕上がり、観客も予想以上に集
まったため、各国から参加した選手には、非常に好評だったよう
です。そのため、来季以降も、開催が検討されているということ
で、スキーファンにとっては、うれしい話です。

 さて、その中で、各国から来た選手に、非常に懐かしい名前が
いくつかありました。

 まず、14日の男子回転で優勝したフェリックス・ノイロイタ
ー選手(ドイツ)です。
 ノイロイターという名前は、スキーの世界では、有名な名前で
す。お父さんのクリスチャン・ノイロイターさんは、かつて、回
転の名手で、1973年、75年の苗場W杯で、2位、3位に入
っています。
 それになにより、ノイロイター選手のお母さんです。
 お母さんは、ロジ・ミッターマイヤーさんといいます。
 あっ、覚えている、という人もいらっしゃるでしょう。
 1972年の札幌五輪に出場し、当時の記録を探してもちょっ
と見当たらないのですが、回転で5位に入賞していたはずです。
苗場では、73年のW杯で4位でした。
 ロジ・ミッターマイヤー選手が花開いたのは、札幌の次のイン
スブルック五輪で、回転と滑降の2冠に輝きました。
 その二人が結婚して、息子さんが、今回優勝したフェリックス・
ノイロイターだったというわけです。
 フェリックス君は、苗場から、インターネットを通じて、苗場
のゲレンデやホテルを両親に見せ、両親は、「40年前とまったく
同じだ」と喜んでいたということです。

 ドイツだけではありません。
 アメリカチームには、ティム・ケリー、ロビー・ケリーという
兄弟の選手が来ていました。
 この二人のお母さんとおばさんが、なんと、あのコクラン姉妹
なのです。
 といっても、スキーファンであっても、ちょっと分からないなあ
という方がいらっしゃるでしょう。
 説明しましょう。
 
 72年の札幌五輪で、女子回転で優勝したのは、バーバラ・コ
クラン選手でした。優勝後、表彰台で笑顔が、いかにもアメリカ
人らしい、あけっぴろげで、はじけるような笑顔でした。
 コクラン選手は、コクラン3姉妹として、有名でした。
 長女が、マリリン・コクランさん
 次女が、バーバラ・コクランさん
 3女が、リンディー・コクランさん
 です。

 次女バーバラ・コクランさんが、札幌五輪の回転金です。
 長女マリリン・コクランさんは、73年の苗場W杯で、女子大
回転を制しています。
 そして、3女のリンディー・コクランさんが、ティム・ケリー
とロビー・ケリーのお母さんなのです。

 今回、ティムとロビーは、73年の苗場で優勝した伯母のマリ
リン・コクランさんから、優勝したときの苗場のゼッケンを託さ
れ、それを、苗場に持ってきました。
 東京の新聞ではそのことは報道されませんでしたが、地元・新
潟の新潟日報(2月14日朝刊)には、マリリン・コクランのゼッ
ケンを持つティムとロビーの兄弟の写真と記事が掲載されてい
ます。




 新潟日報によると、2人はにっこり笑いながらゼッケンを持ち、
ティム選手は、「伯母は、苗場では、人は優しく、すごくいい思い
出だったと話していました。ゼッケンを見せることで、苗場の人
に恩返しになると、今回、ゼッケンを持たせてくれました」と話
しています。
 
 ロジ・ミッターマイヤーと、バーバラ・コクランの名前を、こ
んなところで、聞くとは思いませんでした。
 ロジ・ミッターマイヤーは、ドイツ人らしい名前で、いかにも
力強い滑りでした。
 バーバラ・コクランは、さっきも書いたように、アメリカ人ら
しいはじけるような笑顔が素敵でした。 

でも、本当に、これは、いい話です。
 札幌五輪や、苗場のW杯に出場し、名前を残した選手の子供
たちが、また、日本に来て、試合をする。
彼らも、また、日本のことを、親や伯母の名前とともに、心
に刻むことでしょう。
日本のスキー文化は、スキーを文化というのも変ですが、こ
の場合、文化といいたいような気分です。日本のスキー文化
は、こうやって、日本から海外に、海外からまた日本に、そ
して、親から子へ、人から人に受けつがれ、文化として、底
辺を広げ、蓄積されていくのです。
文化は、こうやって豊かになっていくんだと、そういう思い
がして、どこか、うれしくなります。

72年の札幌五輪も、70年代の苗場W杯も、開いた甲斐が
ありましたね。
本当に、よかったと思います。