死んだ と言われていた母が
生きている事を知ったのは
7-8歳の時だった。
知ってはいけない事を知ってしまった と
思った私は
誰にもその話をしなかった。
母が家を出たのは
私が18か月だったので
顔も覚えてはいない が
どこにいるのか分からない母を想って
泣きながら眠った夜の記憶も
ぼんやりとある、、、、、が
小学も高学年になると
母を恋しく思う事もなくなり
精神を患っていた父と離婚した母が
私をおいて出て行った事を
自分なりに理解していた。
アメリカでの生活も12-3年になったある年
突然 母から手紙を受け取った私は
母に会いに行く為
帰国することにした。
アメリカに来て 初めての帰国、、、だった。
アメリカで知り合った日本人の友人に
その話をすると
”それで お母さんには
なんでアンタをおいて
家を出たのか聞くの? ” と
彼女に言われた私は
”そんな事 聞く必要はないわ
女一人で子供を育てるのが
大変な世の中だったから
裕福な暮らしをしていた私の祖父母に
私を預けたのよ。” と
応えたら
”ふーん でも
ほんとにそう思ってたら
聞けるんじゃない?” と
彼女に言われ
心が硬直した。
私は母に捨てられた、、
ほんとは そう感じていたんだ、、でも
愛されていない自分
必要とされていない自分
そう思う自分を
認める事が出来なかった
それは些細な出来事で
心がチクりとし
思い悩む時
若いころは 泣くことが多かったが
今では その事柄や人物を
心の中で
せめることが多くなった、、、^^;
何にしろ いい気持ちではない。
心をかき乱す正体を
探り出してみると
”自分が必要とされていない” と
思われる内容である事は多い。
子供の頃に出来た傷に触れ
異常に反応するのだろう、、。