はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

モレルハンティングに行った

2024-04-14 | 食べ物の思い出

快晴の土曜日は気温も27度ほどと快適。

 

 

 

昼前に我が家にやって来たジェイクくんと3人で

裏の林にモレルハンティングに行った。

 

 

モレルというのは

日本ではアミガサタケと呼ばれるマッシュルームらしい。

 

アメリカに来て初めて口にした物は多いけど

このモレルマッシュルームもその一つだった。

 

 

栽培できないキノコのようで 珍しい事もあってか

義母はやたらそのマッシュルームを好んでいた。

 

フライパンでモレルを炒めている時の義母の笑顔は

いつもに増して輝いていたし。😁

 

彼女が大好きなステーキの上に、

炒めたモレルをのせてご馳走すると

それは喜んでくれた。

 

そうやってバッキーは義母を喜ばすことが好きだった。

 

と言っても

40代を過ぎてからで 

若い頃は干渉する母親を嫌がっていたけどね。

 

 

 

緑色の傘が大地から飛び出したようなメイアップルは

あちこちで見かけたけれど 

 

 

それと同じ時期に出てくると言われるモレルマッシュルームは

一つも見つからなかった。

 

 

夕飯はジェイク君の誘いでキャンパーでチキン

 


デートとよんで

2023-07-16 | 食べ物の思い出

土曜の朝、9時過ぎに

娘2がスナップチャットでけいちゃんのバスケ試合の動画を送ってきた。

 

 

”今週末に試合があるなど聞いてないぞぉー” と

バッキーが言い

娘2にテキストメッセージを送ったら

1時半と4時半にも試合がある事が分かり

急遽 アイオワの街まで試合観戦に行くことになった。

 

 

 

4時半の試合が始まる前に軽食をとることになり

二人で近くの店へ

 

 

バッキーが高校時代から営業しているこの店にはよく来る。

 

 

 

内装はその頃と全く違っているとは言うけど

ティーンの頃の思い出がいろいろ詰まってそう。笑

 

 

軽食の後 

40本入の水を安く売っているアジアンマーケットに寄った。

 

この店に来ると水だけでは帰れない。 笑

 

急いで私はお菓子、

バッキーはインスタントラーメンをカートに入れた。

 

 

 

そして給油するためガソリンスタンドへ

 

 

試合からの帰り道

バッキーがしみじみと言う。

 

”外出すると金を使ってしまうなぁ。

 

軽食に食材にガソリンに

それに試合場の入場料金10ドル。

 

今日は160ドルも使ったぞ。” と

気が重そうに話していたバッキーが

 

”まあ いいかバケーションと思えば” 

急に明るい顔になって満足したように言う。

 

 

 

バ バ バケーション?

 

 

 

”あなた これをバケーションなんて呼ばないで

ウイークエンドデート って言って頂戴。” と 私  笑

 

 

 

チームのプレイはなんか皆がバラバラで

ちょっと残念だったかなぁ。

 

 

 

アイオワから帰宅すると7時過ぎ

 

アジアンマーケットで買ったもやしで 

 

         

 

夕飯は”もやしインスタントラーメン” 笑

 

 

インスタントラーメンを作っていると

小学時代の事を思い出した。

 

昭和40年代、

父が外泊を貰って

数日 家で過ごした時の夜のスナックは

インスタントラーメンが多かった。 

 

祖母は早くから寝ていたので

ラーメンは私が作った。

 

鍋を覗き込み麺をほぐし硬さをチェックした時の事や

父と二人でお椀に分けてラーメンを食べたら

身体に暖かくて

それは美味しかった事や

 

そんな時が思い出され ほわん

 


低糖低カロライスは

2021-09-05 | 食べ物の思い出

金曜日は

2時で仕事をあがるので

軽いランチ

 

 

果物にヨーグルトを混ぜて頂いた。

 

硬いグラノラバーを噛みながら

小学時代 

大阪から毎年届いた

お中元とお歳暮に入っていた”岩おこし”を

思い出した。

 

 

高知の小さな漁村で

診療所を開いていた祖父は

貧しい家庭の患者さんを無料で診察し

薬も与えていた

と聞く。

 

昔はそんな風に

人が人の事を気にかけ

自分に出来ることをして

助け合っていたのだろう

 

 

その患者さんの娘さんが

昔祖父がしたことのお礼に

祖母が亡くなるまで

お歳暮とお中元を贈ってくれたのだ。

 

食い意地のはった私は

その小包から出てくる珍しい食べ物に

大喜び

 

今でもその瞬間が思い出せる程、、。  笑

 

 

夕飯は

 

 

サーロインステーキ

 

 

日本だとこれに

炊きたての御飯が加わるだろうけど

我が家はお醤油味の料理を私が作らない限り

ご飯は炊かない

 

ご飯なしの食事にもすっかり慣れた。

 

 

 

 

そう言えば

ご飯代わりにカリフラワーを使う

カリフラワーライスというのが

人気になっている。

 

白米に比べ低糖質でカロリーが低いのが

人気のもとだろう。

 

袋入で販売され

それを使って

チャーハンを作ったりする人もいるみたい。

 

 

その袋入の様に

細かくカットはしていないけど

蒸し器で調理したカリフラワーを

ライス代わりに食べた私は

この夜、マッシュドポテトをパス。

 

だって

ジェイク君が用意したマッシュドポテトは

レンチンで作る奴で苦手だし

 

 

この夜も

3人そろって満足の夕飯でした。

 

 

 

 

お仏壇の花は

あげた翌日引っ越す

 

枯れるまで新しい場所で

咲いてもらう。

だから

何処も彼処も

 

花だらけ

 

ぽちっとね

にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ

 


新しい寿司は、、

2021-05-20 | 食べ物の思い出

4日ぶりに仕事に行くと

新しい寿司が出ていた。

 

 

何とそれは

砕いたスナック菓子チートスを

カリフォルニアロールにまぶした寿司で

その名も

”チートス激辛寿司ロール”

 

 

チートスって

日本で言うならカルビーのかっぱえびせんのように

辞められない 止まらない

スナック菓子なんですよ。

 

 

この国で初めて口にしたチートスに

これと言った思い出もない私が

バッキーに訊くと

チートスにまつわる

小学生時代の思い出を話してくれた。

 

あっ

大した内容じゃないですがね。

 

         

 

毎週木曜日の夜

友人とチームを組み

ボーリングをしていたバッキー少年の父親は

 

”あなた ボーリングに行くなら

子供も連れて行って頂戴。

私一人で皆の子守は大変だわ。”

妻に言われ

仕方なく子供を一人だけ

ボーリングに連れて行ったらしい。

 

厳格な父親を

怖がりもしていたバッキー少年だけど

夜も9時過ぎまで外に出ていられるのは

バッキー少年にとって

特別の事。

 

ボーリングに行けるこの夜を

楽しみにしていたらしい。

 

父親は子供のためにお菓子を買ったりすることはなかったけど

父親のチームメイトが

ボーリングを観ているだけのバッキー少年に

お菓子を買ってくれたらしい。

 

”ラッキーな日はな

お菓子とソーダを買ってもらえたんだ。”

 

その頃に返ったかのように

バッキーが嬉しそうに話す。 

 

 

ボーリング場で

バッキー少年が毎回選んだお菓子が

このチートスだったのでした。

 

 

         

 

 

大人たちの集まりで子供を見ると

バッキーは必ずのように

その子達にお菓子やドリンクを買い与える。

 

それもこれも

自分の子供時代の嬉しかった思い出が

そうさせるんでしょうね。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ


懐かしいなぁ

2021-03-07 | 食べ物の思い出

土曜の夕飯は私の担当

 

 

肉を安く売ってもらったので

その中の一つ 豚肉を使うことにし

その昔

中華レストランで働いていた時

店のメニューにあった木肉ポークを真似て

作ることにした。

 

 

オイスターソースで味付けした

豚肉や野菜に卵の炒めものを

トルティーヤの皮で包んだ。

 

皮に塗ったのはホイシンソース  ↓

 

 

 

 

 

今晩

料理に使ったのは

小さなサイズのトルティーヤの皮だったんで

クルクル巻く事は出来なかったけど

 

 

中華レストランでだしていたこの料理は

皮の片端だけを折り込んで

クルクルって巻くんですよ。

 

 

その作業をお客さんの前でするんで

手が食べ物に触れないように

お箸とスプーンを使って

クルクルって巻くんだけど

そんな風に

ちょっと手がかかる料理だったんで

この料理をオーダーするお客さんからは

いいチップが貰えたんだ。

 

 

 

 

中国系韓国人の男性と

台湾出身の姉妹が経営していたその店で

料理をしていたのは

メキシコ人達だった。

 

 

 

そうして

その店では

アルファベットしか知らない

アメリカ人やメキシコ人も

漢字で

料理の名前を読み書きするようにもなっていた。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ

 


感情が動くと

2020-10-29 | 食べ物の思い出

子供の頃

私の具合が悪くなると

明治生まれの祖母は

リンゴをすって与えてくれた。

 

食欲がなくとも

それだと喉を通った事だ。

 

 

リンゴを煮て作ったアップルソースも好き。

 

実は

アメリカに来て

初めて口にした。

 

 

私が好きなのは粒の入ったChunkyタイプ

 

多分それは

祖母がすりおろしたリンゴに

粒が入っていたからだろう。

 

 

 

冷えたリンゴのすりおろしに入った粒は

しゃりっとした噛み心地で

嬉しい小さなサプライズ。

 

美味しさ キラリ だ。

 

 

 

水曜、仕事から帰宅すると

またしても沢山の試食品が

テーブルの上に並んでいた。

 

その中にあったのが

このアップルソース

 

 

 

クラストのないアップルパイみたいだよ

 

って

それが売り込みのアップルソースはね、、、

 

 

 

勤務中に

拳銃で撃たれ

首から下が麻痺し

障害者となってしまわれた元警察官のMullen氏が

母親のアップルソースのレシピ―を使って

販売を始められたんです。

 

じーーーん

 

感情が動いた時に

その商品を手にすると

思わず買ってしまいますね。

 

記憶も同じ

感情が動かされると

記憶の収納箱にしまわれ

それと似た感情が走った時

収納箱から飛び出してくる。

 

 にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
にほんブログ村


ナポリタンの想い出

2020-10-25 | 食べ物の思い出

金曜日の夜だったかなぁ

夕飯にナポリタンを作った。

 

”日本の喫茶のメニューにあるパスタよ

ケチャップが主なソースなの”

 

云う私に

渋い顔をバッキーが向ける。

 

それもそうだ

ナポリタンは

貧しい家庭のスパゲティーってイメージが

それだけで広がる。

 

そう

バッキーの子供の頃の生活、、だ。

 

 

 

 

私を育ててくれた明治生まれの祖母は

料理が苦手だった。

 

 

ナポリタンなど

作ってくれた事がなかったし

それもあり

これと言って

ナポリタンの想い出なく

アメリカに来た私は

その味を懐かしむ事もなく過ぎた。

 

それもあってか

子供たちに作った事もなく

 

今回が初めて

 

 

バッキーに出す前に

味見をしたら

彼には味が薄いようで

それが気にはなった。

 

一口食べるバッキーの反応を

横で食べていた私が

ちらっと観察。

 

”味が薄すぎたでしょ?”

云う私に

頷きながらも

ナポリタンを口に運ぶバッキーが

 

”うーーん 悪くはないぞ。”

云い

何気か満足そうに

食べ続ける。

 

 

 

 

そう言われると

私の口の中にも

コクが広がる。

 

パスタが煮え立った後に絡ませた日本のマヨネーズと

出来上がる前に加えたバターが

それを作り出していたように思う。

 

レシピ―は料理研究家のコウケンテツさんのもの

 

動画にあったソースには

缶トマトがケチャップと一緒に入っていたけど

それがなかった私は

ケチャップ、ウスターソース、砂糖のみ

 

 

 

 

翌日の昼過ぎ

仕事を終えたジェイク君が我が家に来た。

 

お腹を空かせていたジェイク君に

 

”冷蔵庫に残り物のスパゲティーがあるぞ。”

バッキーが言う。

 

”わぁー

バッキーがジェイク君に勧めるほど

このナポリタンは美味しかったんだ。”

 

私は思わずニタついた。

 

 

 

こうやって

私のナポリタンの思い出が

作り始められた。

 

 

 

 

付け合わせのサラダは

アボガドとセロリのワサビ醤油つけ

 

あっ

ジェイク君の感想?

 

美味しかった!  

って

 

 

 にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
にほんブログ村


そう言う訳か

2020-10-21 | 食べ物の思い出

急にオムライスが食べたくなって

久しぶりに

ランチに作ったら

 

”Ohオムライス”

バッキーが

とても自然に 

オムライスの名を言う。

 

それこそ何年も作った事のないオムライスの名前を

憶えている事に驚いた私は

一瞬

オムライスって英語だったっけ?

なんて思いがよぎったほどだ。

 

”ねえ

これなんて料理かもう一度言ってみて”

訊く私の顏を

不思議そうに見て

 

”オムレッツ ライス だろ。”

バッキー。

 

”えっ?オムレツライス?

さっきは オムライス って

言ったじゃないの”

 

つまらない事で攻撃を始める私に

 

”お前がライスが入ったオムレツの事を

オムライスって呼ぶからそう言ったんだよ。”

バッキーが

説明するのを聞いて

 

オムライスは

ライスが中に入ったオムレツの事から

その名がついた和製英語なんだ

 

今まで

一度も

疑問を持たなかった事の謎が解け

一人感動

したのでした。

 

 

 

我が家のオムライスは

炒めたみじん切りの玉ねぎを加えた

インスタントのスパニッシュライスを

 

卵でくるみ

上にサルサかケチャップをかける。

 

 

あー

こういう料理を食べると

今度はナポリタンが食べたくなった。

 

 

 

   へぇー

マヨネーズが隠し味なんですね。

 

実は一度も作った事がないんです。

 

 

ナポリタンと言うと

バッキーの両親が作るスパゲティーは

ソースと一緒にパスタを煮込み

その中にケチャップも入れるんで

ちょっとしたナポリタン

 

 

節約家の義父は

殆ど空になったケチャップのボトルに

水を入れ

ボトルを何度か振って

パスタを煮ている鍋の中に加えてもいた。

 

具なんて何も入っていなくて

パスタのみ。

 

貧しく育った私も驚くようなものを

バッキー家は食べていた。

 

 

そんな食生活でも

兄弟皆

185センチ以上

ですがね。

 

一体 何を話しかけたのか

写真を撮る私に向けた3人の笑顔が

何か

いいねぇー。

 にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
にほんブログ村


インスタントラーメンは栄養足して

2020-07-22 | 食べ物の思い出

1年に2度ほど外泊をもらって

家で2-3泊していた父は

夜のスナックに

インスタントラーメンを食べる事が多かった。

 

”イジー ラーメン作ってくれ”

二階から降りて来た父に頼まれると

自分もラーメンが食べれるからか

父に作ってあげられるのが嬉しいからか

意気込んだ快さが思い出される。

 

 

小学時代の私のお気に入りインスタントラーメンは

出前一丁やチャルメラ

 

 

 

熱いお湯の中で麺がほぐれかけてくる瞬間から

硬すぎもせず

柔らかすぎもしない麺に仕上げるように

そうして

スープの素をお鍋に入れる時のお湯の量とか

細かい観察をしながら作るのは

快感

 

 

アメリカでの生活が始まった80年代

田舎のスーパーでも

インスタントラーメンは売られていた

 

ただ

日本のそれに比べ

まずい。

 

 

 

それから40年近い年月が経ったというのに

アメリカで売られるインスタントラーメンは

進化が見られず

   まずいまま。  笑

 

でも日本の美味しいラーメンが

ネットでも買えるようになったし

ミツワに行くと

それは多くの種類も揃っている。

 

 

アイオワの街のアジアンマーケットに置いてある

中華三昧は私のお気に入りの一つ

 

 

1週間に1度は

ここに買い物に行くようにしているので

こんなに沢山買う必要はなかったけど

つい欲が出た。笑

 

 

インスタントラーメンの好きなけいちゃんに

 

 

作ってあげたよ

 

 

フライパンで炒めた野菜と

薄切りにした残り物の冷たいステーキ

丼に入れたラーメンの上にのせた。

 

 

バッキーもけいちゃんも

 

”美味しかったぁー”

 

って

 

大満足

 

にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
にほんブログ村


ラッキーな日だった

2020-07-02 | 食べ物の思い出

キャンピング場から帰宅したバッキーが

持ち帰ったその日の夕飯は

翌日の私のランチとして頂く

 

 

ご飯は職場で使う寿司飯だけど

他3品はジェイク君が作ってくれた。

 

 

 

 

水曜日は仕事を終えてから

その町にあるアジアンマーケットに立ち寄った

 

 

今週末こそ

アジア風コールスローを作ってみたかったから

それに使う味噌を買いに行ったんだ。

 

 

去年だったかにオープンしたその店に入ったのは

今回初めて

東南アジア系の顔立ちをされたオーナーに

出身地を尋ねると

”ビルマ出身です。”

 

言われ

私の伯父がビルマで戦死した事から

途端に親近感を持った。笑

 

 

 

毎年

盆提灯を窓の外につるしていた祖母は

その夜帰って来る亡き伯父の名前を

まず口にしていた。

 

そんな8月の夜が

ビルマ出身と聞くや蘇ったのだ。

 

 

 

 

店に置かれた商品に

日本の物は少なかったけど

味噌もあったし

冷凍だけどタコとかイカもある。

 

あっ それとサツマイモやカボチャもおいてあった。

 

それだけで 幸せ気分

浮かれて来る。

 

 

閉店まじかの時間だったんで

ゆっくり買い物は出来なかったけど

野菜売り場の中に

生のライチを見つけ

思わずお買い上げ

 

 

 

白いプルンとした実が詰められたライチの缶詰しか

食べた事がなかった私が

 

”どうやって食べるんですか?”

 

妙な質問を店のオーナーにすると

 

”指で皮をはがせばいいです。”

 

と、、、。

 

 

 

 

ほんとだ

指先で簡単にペロッとはげる

 

生のライチには

小さな思い出がある。

 

 

 

最後に帰国したのは

次女が高校1年生を終えた年の7月だった。

 

 

 

乳児の時に生き別れた母を訪ね

 

彼女がその時住んでいた京都の家に歩いていく途中

道路に建った小さな野菜屋に

生のライチを見た母が

 

”私これが大好きなのよ。”

 

言い

それを指さした。

 

 

 

 初めて見た生のライチ

 初めて知った母の好物

 

 

そんな想いで

一人じわんと

ダブルの感動をおぼえた時間が蘇る。

 

 

 

一人で全部食べきる前に

ちゃんとお仏壇にお供えしました。笑

 

 

 

こう考えると

昨日は

二つもの思い出に浸れ

ラッキーな日だった。

 

ビルマ出身の店のオーナーが

なにやら 案内人に思えて来る。

 

また 買い物に行こう。

 

にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へ
にほんブログ村


サンドイッチの思い出

2018-09-30 | 食べ物の思い出



毎週金曜日は従業員に感謝する日とあり

ランチの無料サービスがある。


今週、休憩室に設置されたバッフェスタイルのランチは


ターキードレッシングサンドイッチ (Turkey Dressing Sandwiches) に

   コーンやマカロニにデザート






ターキードレッシングサンドイッチを

私が初めて口にしたのは

  アメリカで暮らし始めた頃に出席した披露宴だった。


貧富の差が大きいアメリカ

 披露宴もピンからキリまであるけれど

  ジーンズで出席している人々や

食事にサンドイッチやポテトチップスが並んでいたのには驚いたことだ

  
ましてドレッシング(スタッフィング)自体も食べた事のなかった私には

 それをバンズに挟んで食べる事に

少々抵抗もあったように記憶する。




今は  大好きだけどね。







バッキーが店長をしていた頃

 感謝祭のあるウイークになると

このターキードレッシングサンドイッチを山ほど作り

  会社に持って行っていた事だ。




前夜遅くまで

 キッチンでほぐしたターキー

1,2度その作業だけ手伝った事があったけれど

 バッキー一人で料理を仕上げた。


そんな想い出も連れて来るサンドイッチ、、、だ。




このサンドイッチは柔らかくてモイスト

  老人にも食べやすい

 その上私にとって思い出もあるこの料理、、、、。


終末期になった時 食べたい料理に入るかも、、、。


それを口にしながら

 ”人思いのいい男と結婚した。”  と

そんな想いに包まれるのだろう、、、、なんてね。




(カテゴリーに”食べ物の思い出”を追加した。

終末期を迎える準備の一つ)

 

にほんブログ村 海外生活ブログ アメリカ情報へにほんブログ村