イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

サーズデイ・ナイト・ブルー

2008年09月04日 22時17分43秒 | Weblog
9月の末日でこれまで勤めていた翻訳会社を退職することになった。10月からはフリー翻訳者として生きていく。これまでは翻訳者に仕事を発注する立場だったのが、これからは受注する側に変わる(もちろん、仕事があればの話なのだけど)。紆余曲折があったけど、ついにここまでたどり着いたという気がする。朝から晩までいやというほど翻訳ができる。働いた分だけ報酬を得られる(働かなければ、報酬は得られないが)。何年も望んでいた生活だ。ただし、これはあくまでも始まりであって、これからどうなるかはすべて自分にかかっている。もう言い訳はできない。サラリーもない。自分が選んだプロフェッションで、いい仕事ができるように頑張るのみだ。不安は山ほどある。だけど、その時がきたんだな、と確かに感じている。

雨ばかり降っている。しかも、外に出てしばらくは晴れていたのに、電車を降りたらどしゃぶりみたいな展開が多い。今日も、武蔵境の駅についたら大粒の雨。傘ばかり買っているのが悔しいから、ずぶぬれになって帰ってきた。稲光がする。雷って、こんなにしょっちゅうあるものだったのか。途中でスーパーに寄ったら、雨宿りしている一団から、哀れ、この濡れ鼠は奇異の目で見られた。まあいい。僕は、変人と思われるくらいのことをやっていて、ちょうどいいのだ。変人と思われるくらいのパワーを出しているときが、自分らしいと思えるのだ。傘なんてなくてもいい、迎えの車なんてなくてもいい、綺麗な夢を見続けてるといわれてもいい(また言っちゃった)。

わけあって、今、家にテレビがない。福田首相が辞任したときも、オリンピックの閉会も、新聞やネットニュースでしか見ていない。何気なく、テレビをつけて見るともなしにボーっとすることもできない。つい本を手に取る頻度も増える。でも、これは読み書きを生業にしようとしている人間にとっては、いい環境かもしれない。


やがてこの街に冬が訪れる 君がいなくても 
世界はこのまま何もかわらない 君がいなければ


気がつけば、悲しく切ない歌ばかり口ずさんでいる。そんな自分に哀愁を感じていたら、僕の隣を、若い男子がものすごい大声で歌を歌いながら自転車で通りすぎていった。よくいるんだよな~、こういう人。なぜか、男。

一日が終わる。ベランダから外をみる。やっぱりそれは、まるでセンチメンタルなプラネタリウムなのだった。

まるで人ごとみたいだ

2008年09月04日 00時20分50秒 | Weblog
天気が良かったので、昼休みに汗だくになりながら、高田馬場近辺まで歩いた。

太陽の日差しをたっぷりと浴びれるのも、今年もあとわずかしかないだろう。静かな住宅街のなかを、神田川沿いの遊歩道をつたって進んだ。昼は抜いてもいいかなと思ってはいたけど、折り返し地点でいかにも高田馬場的な中華屋を見つけたので、衝動的に店に入り、チャーハンと餃子のセットを食べた。チャーハンを仕上げる前に、旦那が白い粉を振りかけるのがばっちり見えた。魔法の粉。あれはやっぱり、限りなく味の素に近いグルタミン酸だったのだろうか。だろうな。。大丈夫じゃないマイストマックを予感しつつ、やっぱり平らげてしまう。帰り道、ひたすらに遊歩道を突き進む。静かな午後。静かに流れる汗。通り過ぎる家々から聞こえる、掃除機をかける音、子どもの声、テレビドラマのセリフ。静寂のなかに人は、安寧を見出している。安定のなかに誰しもが、その代償に失った何かを問い、あるいは問うことを避けて、ありあまる時をやりすごしている。

色んな人から、色んな言葉をいただく。ありがたく、心にそれらを秘めていく。ときにそれらの言葉は圧倒的で、自分の器では受け止めるのが難しいと感じる。大量の水を頭から被せられたときみたいに、体はびしょ濡れになるけど、そのほとんどは地面に流されていく。それでも、体中水浸しになっていることだけは間違いないと思いたい。人々の言葉に、十分な返答ができていないとしても。

夜、中野まで歩く。思わず口をついた言葉が、誰かを傷つける。傷ついているのは、僕なのだと思いつつ、やはり僕は、誰かを傷つけているにすぎないのかもしれない。