イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

なんか、「なんか」ってヘン

2006年04月09日 23時19分16秒 | Weblog
気が付くと「なんか」という言葉を使っている。自分もそうだし、他人もそうだ。
それも異常なまでに。よくないな、と思いつつ、
言葉と言葉の合間に「なんか」を連発している。
それも、たとえば「これって、なんか、あの..××ってことですか?」とか、
「なんか、もうしけない」とか、(なんか)良く分からない日本語になっているのだ。

おそらくここ数年の現象だと思う。1年前ほどにこの妙な「なんか」の横行に気づき、慄然とした。なるべく使わないように心がけているのだが、気が緩んでいると、
つい使っている。他人の話を聞いていても、自分がしゃべっていても、「なんか」を連呼する人の(もしくは自分の)「なんか」がいったん気になりだすと、その人の話を聞くというよりも、その人(あるいは自分)がどのくらいの頻度で「なんか」を発するのかということや、なぜこのようなへんな日本語が巷間にはびこっているのか(もしくはなぜ自分の言葉がこれほど貧困になったのか)ということの方に意識が集中してしまっていたりする。

この現象の根底にあるものはなんだろう? ひとつには、人が人とコミュニケーションする空間がヴァーチャルなものになり、みんな自分が発する言葉のリアリティが感じられなくなっているためかもしれない。自分の言葉を常にあいまいな状態にしておくために、「なんか」を挟んでいく。あるいは逆に、使用する言葉の力のなさ、リアリティのなさを補うために、「なんか」を頭につけて、それらしく何かを表現したいという無意識が働いているのだろうか。

英語でもたとえば、"You know"を連発してしゃべる人に、私はあまりいい印象はもたない。(人にいわせれば、私も結構連発しているらしいが・・)
同じような感覚で、「なんか」の使用には少し気をつけようと思うのである。
けれど、「なんか」を使わない、なんて決めるとそれはそれで窮屈になる。
だから、あくまで自然にね。

ささいなことですが、こういう感覚って翻訳者のはしくれとしては大切にしたいと思うのでした。