イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

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読書好きは翻訳者に向いているか

2006年04月15日 01時04分52秒 | 翻訳について
翻訳者に向いている特性として、
「読書好きであること」が、条件である
というようなことが、よくものの本に書いてあります。

この言葉は、紛れも無い真実だと思います。
音楽に興味が無い人に、良い曲が作れないように、
きっと、本に興味が無い人には、良い文章は作れないはずです。

私は、自分は本が大好きな活字中毒者だと思っているはしくれ翻訳者なので、
こういうくだりにあうととても嬉しく思います。
自分は、翻訳者に向いているのだ! と。

でも、気をつけなければいけないことがあります。
自分は本が好きだ、という思いは、ややもすれば自分こそは良い文章が書ける、
良い文章を見分ける力がある、と過信してしまうことがあると思うからです。
実は、本が好きだから、良い言葉を生み出すことができるとは限りません。
(こう断言できるのは、かくいう私がそうだからです)

自戒を込めて言えば、よい文章を書ける人というのは、
何よりもまず、良い文章を書くに値するだけの日々を生きている人
にほかならないのではないでしょうか。読書好きかどうかは、
あくまでその次にくる条件だと思います。
本をたくさん読んでいても、つまらないことをぐだぐだと書いたり、
言葉におぼれて独り善がりな言葉を吐き散らす人が多いように思います。

昔、映画館で働いていたとき、異常なくらいに古今東西の名作映画を見ている、
いわゆる「シネフィル」と呼ばれる知人が、
あまりにも性格が悪い(ごめんなさい)という事実に接して、
"良い映画をどんなに見ても、その人の人格が向上するとは限らない"のだ、と
今から思えばとてもナイーブだった自分が、
目から鱗の経験をしたことを、はっきりと覚えています。

もう一つの例として、たとえば
私の姉は、あまり本は読まない方だと思うのですが、
たまに手紙をもらうと、とても的確に必要なことを過不足無くまとめた
文章を書いてきます。私といえば、読書量ではかなり
のものになると自負しているはずなのに、
1枚の葉書に上手く相手への気遣いや自分の近況をしるすことができた
ためしがありません。
それは、たぶん姉の方が、人生をよりよく生きているからこそ、
普通の言葉で、普通に人生を語ることを、私より上手くできるのだと思うのです。

良い翻訳者になるには、人として、しっかりと毎日を生きること。
ちゃんと生きていることが必要なのだ、といつも感じます。
良い翻訳者としての条件というよりも、良い仕事をするための条件と言った方が
正確かもしれません。



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