皆様、3月11日に発生した「東北関東大震災」の被害、影響はありませんでしたか?
「東北関東大震災」でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興をお祈り申しあげます。
また、福島第一原発事故は、継続しています。
原発の事故で避難されている方々のご苦労、ご心配をお察し申しあげます。
そして、福島第一原発にて命をかけて懸命に作業されている方々に大変感謝いたしております。一刻も早く収束するよう、これ以上の悪い事象が出ないよう祈るばかりです。
こちらでは、地震による直接的な被害は、本箱の上に置いてあった電気スタンドが落ちて、傘のガラスが割れた程度で、たいしたことはありませんでした。
ただ、棚に載せてある達磨さんが、回転して「後向き」になってしまいました。
達磨さんには、やはり「前向き」になって頂きたい。
そして、磯子ヴィレッジが管理する物件に関しては、何ら被害はありませんでした。
地震発生以来「ガタ」、「コト」、「ピッシ」などの音や振動。臭い。視覚に入ってくる「ひび割れ」「垂直、水平に対する傾き」、更には社会、経済の動向などなど全てのことに対して、自分が非常に敏感になっているように思います。
余震が続き原発事故が収束せず、いまだ今回の災害の底が見えない状況です。
これらのことが重石となって、生活のリズムが全く狂ってしまい、今でも元に戻っていません。被災された方や必死に作業に携わっている方々には申し訳ないのですが、何をやるにしても頑張る力が出ない今日この頃です。
災害に対して何も役にたつことが出来ない私です。
せめて出来ることと思い、少しばかりですが、義援金をさせて頂きました。
そして、節電に努めています。
1月17日のブログで、阪神淡路大震災のことを書きました。
それから2ヶ月も経たないうちに、まさか、こんな大震災が起ころうとは、そのときは全く思いもしませんでした。
その日、3月11日 私は、NHKラジオで、参議院の決算委員会の中継放送を聴いていました。
議員が質問中、チャイム音。「あれ?」と思っていると、「宮城県沖で地震……」とのアナウンス。
「遠いな。」「何も揺れないな。」と思っていると10秒ほど経ってからでしょうか。揺れが来ました。その揺れは、次第に大きくなりました。
反射的に大きな揺れが来ると直感し、「地震。地震。大きい。」と言って外に出ました。(後で隣の住人に聞いたことですが、かなり大きな声であったようで、隣人は、私の声に驚いて外に飛び出したとのことです。)
大抵は、この当たりで落ち着くのですが、外に出てから地震の揺れは大きくなる一方。
家族の状況を確認にと母屋に行こうと中庭を半分ほど行くと地震はますます大きくなって、それ以上進めなくなり、近くにある松の木の支えに掴まりました。母屋の屋根の庇が波打ち、ガラス戸は、「ガタガタ」と大きな音をたてて、ガラスは今にも割れそうです。関東大震災にも耐えて、300年建っている母屋ですが、倒れるのではないかとの思いが頭を横切りました。
今まで経験してきた地震は短い大きな揺れが来て、その後は弱くなるもの。今回の地震は、1,2分くらいでしょうか?大変大きな揺れが続きました。「えっ?まだ治まらないの?」と何度も思いました。
通常の地震とは全く違う。今までに全く経験したことが無い地震でした。
これは、大変大きな地震だ。大災害が起こっていると思いました。
残念ながら、この思いは当っていました。
まだまだ、災害が進行していますが、明日から、月が変わり4月です。
自然も活気付いてきます。
『アンズ』『キブシ』
気持ちを切りかえ、やるべきことを出来ることから無理をせず進めていこうと思います。
「東北関東大震災」でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈り申し上げますと共に、被災された皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一日も早い復興をお祈り申しあげます。
また、福島第一原発事故は、継続しています。
原発の事故で避難されている方々のご苦労、ご心配をお察し申しあげます。
そして、福島第一原発にて命をかけて懸命に作業されている方々に大変感謝いたしております。一刻も早く収束するよう、これ以上の悪い事象が出ないよう祈るばかりです。
こちらでは、地震による直接的な被害は、本箱の上に置いてあった電気スタンドが落ちて、傘のガラスが割れた程度で、たいしたことはありませんでした。
ただ、棚に載せてある達磨さんが、回転して「後向き」になってしまいました。
達磨さんには、やはり「前向き」になって頂きたい。
そして、磯子ヴィレッジが管理する物件に関しては、何ら被害はありませんでした。
地震発生以来「ガタ」、「コト」、「ピッシ」などの音や振動。臭い。視覚に入ってくる「ひび割れ」「垂直、水平に対する傾き」、更には社会、経済の動向などなど全てのことに対して、自分が非常に敏感になっているように思います。
余震が続き原発事故が収束せず、いまだ今回の災害の底が見えない状況です。
これらのことが重石となって、生活のリズムが全く狂ってしまい、今でも元に戻っていません。被災された方や必死に作業に携わっている方々には申し訳ないのですが、何をやるにしても頑張る力が出ない今日この頃です。
災害に対して何も役にたつことが出来ない私です。
せめて出来ることと思い、少しばかりですが、義援金をさせて頂きました。
そして、節電に努めています。
1月17日のブログで、阪神淡路大震災のことを書きました。
それから2ヶ月も経たないうちに、まさか、こんな大震災が起ころうとは、そのときは全く思いもしませんでした。
その日、3月11日 私は、NHKラジオで、参議院の決算委員会の中継放送を聴いていました。
議員が質問中、チャイム音。「あれ?」と思っていると、「宮城県沖で地震……」とのアナウンス。
「遠いな。」「何も揺れないな。」と思っていると10秒ほど経ってからでしょうか。揺れが来ました。その揺れは、次第に大きくなりました。
反射的に大きな揺れが来ると直感し、「地震。地震。大きい。」と言って外に出ました。(後で隣の住人に聞いたことですが、かなり大きな声であったようで、隣人は、私の声に驚いて外に飛び出したとのことです。)
大抵は、この当たりで落ち着くのですが、外に出てから地震の揺れは大きくなる一方。
家族の状況を確認にと母屋に行こうと中庭を半分ほど行くと地震はますます大きくなって、それ以上進めなくなり、近くにある松の木の支えに掴まりました。母屋の屋根の庇が波打ち、ガラス戸は、「ガタガタ」と大きな音をたてて、ガラスは今にも割れそうです。関東大震災にも耐えて、300年建っている母屋ですが、倒れるのではないかとの思いが頭を横切りました。
今まで経験してきた地震は短い大きな揺れが来て、その後は弱くなるもの。今回の地震は、1,2分くらいでしょうか?大変大きな揺れが続きました。「えっ?まだ治まらないの?」と何度も思いました。
通常の地震とは全く違う。今までに全く経験したことが無い地震でした。
これは、大変大きな地震だ。大災害が起こっていると思いました。
残念ながら、この思いは当っていました。
まだまだ、災害が進行していますが、明日から、月が変わり4月です。
自然も活気付いてきます。
『アンズ』『キブシ』
気持ちを切りかえ、やるべきことを出来ることから無理をせず進めていこうと思います。