JR東日本 横川駅発行自由席特急券

昭和63年9月に信越本線横川駅で発行された50kmまでの自由席特急券です。


   


桃色JRE地紋のA型券で、東京印刷場にて調製されたものです。横川駅は山陽本線にも同名の駅がありますので、信越本線の駅であることを示す「(信)」の符号が駅名の前に冠されています。


この券を見ていて思うのですが、


   


「1回限り 2日間有効」となっておりますが、「1回限り」の「1」の数字が半角数字となっているのに対し、「2日間有効」の「2」の数字が全角となっており、少々バランスが悪いように感じます。


このころになるとJR東日本では硬券の淘汰が進み、特急停車駅で硬券を発売している駅がかなり減少しており、発駅と乗車駅の駅名が同一の自由席特急券はかなり希少であったような気がいたします。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小湊鐵道 上総村上駅発行 五井ゆき往復乗車券

前回エントリーにおきまして小湊鐵道里見駅で発行された往復乗車券を御紹介たしましたが、今回は3月に無人化された上総村上駅で発行された往復乗車券を御紹介いたしましょう。


   


五井ゆきの往復乗車券で、桃色JPRてつどう地紋の常備軟券です。


前回エントリーで里見駅分は「一世代前の旧様式券」と御紹介いたしましたが、上総村上駅のものは現行の新様式券となっています。

では新旧の券を並べてみましょう。


    


左が上総村上駅の新様式券で、右が里見駅の旧様式券です。


基本的な部分は変化ありませんが、旧券では発駅と着駅を「~」で結んでいるのに対し、新券は「→」で結んでいます。また、旧券は「往片・複片」となっているのに対し、新券では「ゆき・かえり」となっている点が異なります。


上総村上駅は里見駅有人化に伴って合理化のために無人化されてしまっていますが、ここでは無人化のために廃札となった券が新券であるのに対し、有人化のために設備された券が旧券であるという珍現象が起こってしまっていることになります。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

小湊鐵道 里見駅発行 高滝ゆき往復乗車券

平成25年9月に小湊鐵道里見駅で発行された、高滝ゆきの往復乗車券です。


   


桃色JPRてつどう地紋の常備軟券で、往路券の上に復路券が付いている様式です。


小湊鐵道では予め往復乗車券を購入することで運賃が1割引されることになっており、この券は割引が適用されたうえで発券されたものです。

同区間の片道普通運賃は140円ですので、140円x0.9=126円≒130円、130円x2=260円という計算になっているものと思われます。もしかすると140円x2=280円、280円x0.9=252円≒260円という計算かも知れません。


里見駅は今年の3月に有人駅に復活したことで話題となりましたが、ここで発売されている常備券類はかつて有人駅時代であった時のものがそのまま引き継がれていることが知られています。

御紹介の往復乗車券につきましても無人化前のものが引き継がれており、様式的に現在のものとは異なる一世代前のの旧様式券が使用されています。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

頸城鉄道 鉄道省からの連絡乗車券 (~その2)

しばらく連載させていただきましたくびき野レールパークで蒐集した頸城鉄道の乗車券の話題ですが、あと1回ばかりお付き合いください。


前回エントリーでは鉄道省および運輸通信省から頸城鉄道への常備連絡乗車券を御紹介いたしましたが、補充片道乗車券も数枚ございましたので入手いたしました。


   


昭和11年1月に赤羽駅で発行された、明治村ゆきの片道乗車券です。桃色GJRてつだうしやう地紋の券で、報告片が切り取られていますから小さくなっていますが、恐らく元の大きさはA型券であったと推測されます。発駅である赤羽の右側には東京鉄道局(後の東京鉄道管理局)管内であることを示す「〇東」の符号


経由欄には黒井と表記があります。これは鉄道省線から頸城鉄道への乗換駅であり、鉄道省側は信越本線黒井駅ですが、頸城鉄道は黒井駅の山側に隣接した新黒井駅を起点としていました。現在の黒井駅は直江津駅管理の無人駅となっています。


   


こちらは昭和20年3月に仙薹(台)駅で発行された浦川原ゆきの乗車券です。発駅名の右側には仙台鉄道局管内であることを示す「〇仙」の表記があります。

小児断線のある様式の補充片道乗車券で、1枚目に御紹介したものとは様式的に異なります。運輸通信省となってからのものですが、国鉄になるまで鉄道省時代の地紋が使用されていましたので、桃色GJRてつだうしやう地紋となっています。

また、運賃の他に特別運賃と通行税が加算されており、かなり戦局が悪化してきている頃のものであることが分かります。

戦時特別運賃は帝国議会において、「戦時下ニ於ケル鉄道運営ノ現況並ニ一般経済ノ諸情勢二鑑ミ陸運ノ強化ヲ図リ併セテ購買力ノ吸収卜旅客輸送ノ調整二資スル為鉄道運賃ニ付左ノ措置ヲ講ズルモノトス」という決定により、昭和19年4月1日以降、普通運賃の他に3割を上限とする「戦時特別運賃」を加算するものでした。


この券が発行された一週間前の10日には東京大空襲が、前日17日には大本営が硫黄島の戦いに破れて米軍に占領され(残存日本兵による遊撃戦は続き、栗林忠道大将以下300名余りが最後の総攻撃を敢行し壊滅、日米の組織的戦闘が終結したのは26日)、という状況であり、かなり逼迫した時期に発券されたことが伺えます。

「〇兵」というゴム印が捺印されていることから、そのような戦局の中、大日本帝国軍の下士官が何らかの事情で仙台から浦川原まで移動したときのもののようです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

頸城鉄道 鉄道省からの連絡乗車券

前回エントリーに引き続き、くびき野レールパークでの話題です。


くびき野レールパークでのイベント会場にありました頸城自動車の記念品販売ブースでは、書庫から出てきた着札も販売していました。


   


昭和17年1月に鉄道省(国鉄の前身)信越本線高田駅発行の百間町ゆき連絡乗車券です。

状態は決して良くはありませんが、戦前に発行された頸城鉄道への常備連絡乗車券として大変希少価値の高いものと思われます。しかし、特段昔の乗車券類の販売告知の全く無いイベントでしたので、会場内には乗車券蒐集家は皆無のようで、このようなはっきり言って小汚い乗車券を手にするような人は居らず、縁あって管理人のコレクションに加えられたわけです。


券は桃色GJRてつだうしやう地紋のA型券で、運賃は3等で32銭となっています。
現在の連絡乗車券では接続駅が経由表記されているのが普通ですが、この券には経由表記はありません。


   


鉄道省からの常備連絡乗車券はもう1枚ありました。
これは昭和19年2月に同じく信越本線直江津駅発行の明治村ゆき乗車券です。桃色GJRてつだうしやう地紋のB型券となっています。

昭和19年となりますと、前年11月には鉄道省は運輸通信省に改組されていますので、正式には運輸通信省時代の券となりますが、昭和24年に国鉄となるまで運輸通信省地紋の券は誕生していませんので、てつだうしやう地紋のままとなっています。


このころになりますと戦局が厳しくなってきている頃ですので、昭和17年当時はA型券であったものが、用紙節約のためにB型券に変更となっています。


   


この券の裏面を見てみますと、何らかの書類を貼り付けたような跡があります。少々見づらいので、左右裏返しにして見てみましょう。


   


あまりはっきりしませんが、「願拂(払)戻候…」と記載された用紙がくっついており、恐らく経理精算業務の過程において貼り付けられていた伝票であったのではないかと推測されます。

詳細は分かりませんが、もしかすると、運輸通信省に対して頸城鉄道線分の運賃を請求(払戻)するための経理処理をしたものの、実際には請求されないまま現在に至ってしまったのかもしれません。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
   次ページ »