頸城鉄道 鉄道省からの連絡乗車券 (~その2)

しばらく連載させていただきましたくびき野レールパークで蒐集した頸城鉄道の乗車券の話題ですが、あと1回ばかりお付き合いください。


前回エントリーでは鉄道省および運輸通信省から頸城鉄道への常備連絡乗車券を御紹介いたしましたが、補充片道乗車券も数枚ございましたので入手いたしました。


   


昭和11年1月に赤羽駅で発行された、明治村ゆきの片道乗車券です。桃色GJRてつだうしやう地紋の券で、報告片が切り取られていますから小さくなっていますが、恐らく元の大きさはA型券であったと推測されます。発駅である赤羽の右側には東京鉄道局(後の東京鉄道管理局)管内であることを示す「〇東」の符号


経由欄には黒井と表記があります。これは鉄道省線から頸城鉄道への乗換駅であり、鉄道省側は信越本線黒井駅ですが、頸城鉄道は黒井駅の山側に隣接した新黒井駅を起点としていました。現在の黒井駅は直江津駅管理の無人駅となっています。


   


こちらは昭和20年3月に仙薹(台)駅で発行された浦川原ゆきの乗車券です。発駅名の右側には仙台鉄道局管内であることを示す「〇仙」の表記があります。

小児断線のある様式の補充片道乗車券で、1枚目に御紹介したものとは様式的に異なります。運輸通信省となってからのものですが、国鉄になるまで鉄道省時代の地紋が使用されていましたので、桃色GJRてつだうしやう地紋となっています。

また、運賃の他に特別運賃と通行税が加算されており、かなり戦局が悪化してきている頃のものであることが分かります。

戦時特別運賃は帝国議会において、「戦時下ニ於ケル鉄道運営ノ現況並ニ一般経済ノ諸情勢二鑑ミ陸運ノ強化ヲ図リ併セテ購買力ノ吸収卜旅客輸送ノ調整二資スル為鉄道運賃ニ付左ノ措置ヲ講ズルモノトス」という決定により、昭和19年4月1日以降、普通運賃の他に3割を上限とする「戦時特別運賃」を加算するものでした。


この券が発行された一週間前の10日には東京大空襲が、前日17日には大本営が硫黄島の戦いに破れて米軍に占領され(残存日本兵による遊撃戦は続き、栗林忠道大将以下300名余りが最後の総攻撃を敢行し壊滅、日米の組織的戦闘が終結したのは26日)、という状況であり、かなり逼迫した時期に発券されたことが伺えます。

「〇兵」というゴム印が捺印されていることから、そのような戦局の中、大日本帝国軍の下士官が何らかの事情で仙台から浦川原まで移動したときのもののようです。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 頸城鉄道 鉄... 小湊鐵道 里見... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。