パンチ DE ラリー 各駅の鋏痕 ~その②

引き続き「パンチ DE ラリー」ネタにお付き合いください。

前回のエントリーにて各駅の鋏痕を御紹介いたしましたが、では、その鋏痕が本当にかつて使われていたパンチの鋏痕と同じなのか、検証してみましょう。


① 吉祥寺駅

まずは吉祥寺駅の鋏痕です。

   

右上がりの階段のような鋏痕です。

   

現役時代のものと比べますと、今回の鋏痕と現役時代の鋏痕は同一の形となっています。


② 三鷹駅

次は三鷹駅の鋏痕です。

   

冠のような形の鋏痕で、同様のものは上野駅でも見られました。

   

現役時代のものと比べますと、今回の鋏痕と現役時代の鋏痕は、三鷹駅分も同一の形となっています。


③ 武蔵境駅

今回のラストは武蔵境駅です。

   

四角い、大変シンプルな鋏痕です。

   

現役時代のものと比べますと、今回の鋏痕と現役時代の鋏痕は同一の形となっていませんでした。

武蔵境駅の本来の鋏痕は硬券のものが正しいようで、ラリー用のものは本来のものと違います。

ラリー用のものは「予備鋏」と言われ、本鋏とは別に設備されていたものです。中央線の各駅では不正乗車摘発のために午前と午後に使用する鋏痕を別のものとし、予備鋏は午前中に使用されていました。

しかし、当時の武蔵境駅の予備鋏は今回のラリーの形ではなく、三角のものであったように記憶しています。
当時の予備鋏は三角か四角のどちらかとなっていましたが、武蔵境駅については三角のものが使用されていたと記憶しております。

   

これは立川駅の予備鋏ですが、武蔵境駅のものはこれと同一の鋏痕であったような気がいたします。

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コメント
 
 
 
中央線の予備鋏使用について (わんこ)
2010-07-18 16:00:24
中央線では、昭和43年頃から午前中は予備鋏を使用しておりました。神田~高尾間の各駅で予備2号鋏(■)でした。
ところが、■の上辺は力学的にせん断応力がかかりチカラが要るのと刃が長持ちしないなどの理由から、昭和51年9月から予備1号鋏(▲)に変更しました。これは国鉄民営化前年の昭和61年暮れまで続いており、適用区間も高尾から3駅先の上野原まで拡大されておりました。これは通勤圏が拡大されたということでしょうね。
 
 
 
> わんこ様 (isaburou_shinpei)
2010-07-18 23:42:03
コメントありがとうございます。
中央線区間の予備鋏は、ずっと1号鋏が使用されていたものと思っておりました。
たしかに、コレクションの中にある昭和49年ころの武蔵小金井駅のものは、2号鋏の鋏痕でしたので、なぜだろうと思っておりました。
 
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